デジタルエンタテイメント断片情報誌

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ちょっと知らないシューベルト

こういうプログラムが、普段着の演奏であり、実は聞き逃せないものではないか。そんなことを思わせてくれる演奏会だった。

10/21にブロムシュテットが指揮するNHK交響楽団の定期公演(Cプログラム)を聴いた。曲目はシューベルトの交響曲第1番と第6番である。当日は空席も比較的あり、いつもの定期という印象だった。
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シューベルトの交響曲と言えば、『未完成』に『グレート』⋯。おそらくそのどちらかがプログラムに入っていれば、Aプログラムのマーラー:交響曲第9番並の早さでチケットが埋まっていたのではないか。誤解を恐れず書けば、曲よりも演奏よりも何より、近年の指揮者の健勝ぶりに拍手を浴びせたい向きにとって、ちょっと躊躇するプログラムだったと思う。

シューベルトという作曲家自体、中学までの授業で名前は聴くだろうし、クラシックファンなら知っているはずだ。交響曲だって全集を所持していたり、配信で見かけたことがあるだろう。だがその中にあって、この第1番と第6番を愛聴している向きは一体どれくらいいるのか。作曲家の知名度の割に少ないのではないか。知名度故にマイナー曲・珍曲のファンを自称する向きがこれらの曲を話題に上げることもまずないだろう。これこそ有名なマイナー曲、というものだ。もちろん、世の中には様々なファンがいるので、愛好家の存在は否定しない。それにしても、ごく僅かではないか。

そんな意表を突くプログラムで、俄然聴きたくなった。渾身の名曲、大曲に群がり、指揮者のプロフィールを見ただけで礼賛を並べ立てるようなことはしない。そんな自分の「媚を売らない」という媚、すら見透かされた気がしたのだ。


ブロムシュテットはシュターツカペレ・ドレスデンとシューベルトの交響曲全集を録音している。今やこのように気楽に聴け、リンクを貼って紹介できるので、比較も楽しみにしていた。ディスクも何度も再発されている。


さて当日の感想だが、交響曲第1番はシューベルトらしい歌心が炸裂している曲。第1楽章などオペラの序曲のようだ。実は後の交響曲第6番より華があって、もっと演奏されてよい曲かもしれない。ブロムシュテットの解釈は穏当で、全集録音時の解釈と変わらない印象を受けた。最近他曲の解釈で顕著な、颯爽としたダレないテンポ設定とはまた違う、オーケストラの特性重視のようにも思えた。

続いて交響曲第6番。余談だがこの交響曲第6番がベルリンクラシックスのCDでドヴォルザークの交響曲第8番(オーケストラは同じくシュターツカペレ・ドレスデン)とカップリングされており、昨年10月にN響でドヴォルザークを聴いたので是非シューベルトも、と思っていた。ちなみにその時のドヴォルザークの交響曲第8番は第2楽章が凄かった。あんなに情緒豊かに聴かせる第2楽章はなかなかない。その分第3楽章など、終楽章にエネルギーを温存するために幾分サラッと流していて、胸躍るとまではいかなかった。第4楽章も普通。それでも当時から既に終焉後の拍手とカーテンコールは大盛況だった。


話が脱線したが、シューベルトの交響曲第6番は打って変わって、諧謔というより、愛らしさが勝る楽曲だ。木管楽器のおどけたような旋律と弦楽器、特に低減を強調したメリハリある演奏。曲自体を飽きさせないように、工夫していたのだと思う。こちらの方が、近年ブロムシュテットが繰り広げている演奏スタイルに近かったと思う。ただそれでも繰り返し聴きたくはならなかったのが、曲の限界か。

演奏中にお休みの方も客席に若干いたようだが、第6番の演奏が終わった瞬間は盛大な拍手だった。指揮者とオーケストラの健闘ぶりに対してか、曲に感動してかどうだったのか、正直わからない。だが、今後実演を聴くことが多くなさそうなシューベルトの解釈の一つとして、私は満足しながらカーテンコールに応える指揮者を見送って会場を後にした。

邦画と特撮、アニメに寄せて 映画『僕が愛したすべての君へ』と『君を愛したひとりの僕へ』の感想

10/7公開の映画『僕が愛したすべての君へ』と『君を愛したひとりの僕へ』(公式サイト)を観たので感想です。詳しい展開やあらすじを書いたりはしませんが、一応ネタバレあり。2作同時公開で、どちらから観ても楽しめるというコンセプトに興味が湧きました。あの手この手で映画館に足を運ばせたいという姿勢には、大いに乗りたいと思います。

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原作を読んだ上での鑑賞・感想ですか? 答え:いいえ

原作については読んだことはありません。まずは映画として面白いのを期待。

あとは感想でも触れますが、観た順番について軽く書いておきましょう。『君を愛したひとりの僕へ』→『僕が愛したすべての君へ』の順で観に行きました。理由は単純、『僕が愛した~』がビターな話で、『君を愛した~』が甘い話と宣伝していたからです。確認のため鑑賞するときに、甘い→ビター→甘いの順番で観られます。これが上手くいったかは感想で。

映画『僕が愛したすべての君へ』と『君を愛したひとりの僕へ』の感想

世界観や科学の魅力に終始するのではなく、人間の意志や生命の尊厳が物語の根幹をなすという、言わばSFの古典的、正統派といえる”お約束”をちゃんと守っている作品。

最初に鑑賞した『君を愛したひとりの僕へ』は若干粗雑な内容に見受けられた。並行世界へ導かれるきっかけなど、もう「この世界はそういうものなので」という具合で話が進んでいく。ヒロインのキャラクターも今一魅力が伝わってこない。主人公が執着する心情は理解するが、もう少しエピソードを積み重ねて欲しかった。幽霊としての存在も希薄だ。甘さよりも、作品として緩い作りに感じた。その点でヒロインとの交流は、『僕が愛したすべての君へ』の方が人生として興味ある描き方だと思う。親としてのヒロインの行動も大いに共感できる。

鑑賞の順番としては、『君を愛した~』→『僕が愛した~』で観た方が感動の度合いは大きいと思った。上記の理由に加え、『君を愛した~』の仕掛けが炸裂するのは『僕が愛した~』である。おそらく反対の順で鑑賞するとラストの印象が全く違う。加えて、『君を愛した~』が今一の内容なので続きを観たくなるか疑問なのが惜しい。

惜しい点と言えば、最近の他のアニメ映画にも言えるが、台詞に頼ったシーンが多々見受けられることか。並行世界の解説も、新たな展開のきっかけも、映像作品だからこそ原作(小説)ままに台詞だけで済まさないで欲しいとつくづく思った。もちろん小説ならば、読んで想像・理解するところだ。用語が飛び交うが、そこまで理解しがたいわけではない。せっかく伏線としてのインパクトや見せ方として使い出があるはずなのに、ストーリーに抑揚がなく一本調子に映ってしまうのだ。台詞の話とは関係ないが、両作に登場する、身近な祖父の存在と死もあまり効果的なエピソードでなかったように思う。


映像面は普通。最近のアニメ映画にしては可もなく不可もない。やや『君を愛した~』の作画がのっぺりしているか。この点についても、順番で観た時の印象にかかわるので頑張って欲しかった。キャストは作品の内容に沿った配置で文句はない。音楽については特に印象がない。音楽で劇中の感動を促すには、正直厳しかったように思う。

作品として平凡な箇所がやや気になるものの原作にも興味が湧いたので、映画共々、何かの機会に思い返すことがあるかもしれない。



映画『雨を告げる漂流団地』の感想 邦画と特撮、アニメに寄せて

現在Netflixで配信中の映画『雨を告げる漂流団地』を観たので感想です。映画館で予告を見て自宅鑑賞。ネタバレはしています。

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映画『雨を告げる漂流団地』の感想

舞台からストーリーまで、ノスタルジーを誘いたいのはわかる。それがミエミエだと揶揄する気もない。

設定にツッコむのは野暮だろう。SFというより、「物に魂が宿る」というのは日本のこうした作品ではオーソドックスだと思う。迷い込んだ大海原や謎の少年”のっぽ”の正体について劇中で明言されることはないものの、「そんな話聞いたことがある」程度の知識があれば詳しい民間伝承など知らなくとも難解な話ではない。深読み、裏読みするような展開もないはずだ。

ただそれならそれで、せっかく思い出の場所、モノ、人が登場するのだから、もう少しそれらの記憶や邂逅を伏線や終盤のキーポイントにできなかったのか。「昔こんなことがあった、だけど頑張る」の応酬だけでは、映像の割に起伏のない淡々とした展開に映ってしまう。特に祖父の存在は劇中の描写で人となりがピンとこなかったので、繰り返し思い起こされる意味を感じなかった。何より”のっぽは”もう少し作品のテーマに迫る、かけがえのない存在に描けなかったのか。中途半端な肉付けだった。

主人公達の人間関係にしても数合わせ感覚だ。果たして同級生たちと一緒に巻き込まれる必要があったのか。例えば主人公絡みで序盤に三角関係を匂わせていたが、特段イベントがあるわけでもない。それをやると中学・高校生の設定にしたほうがよさそうなので、そうしなかったのだろうか。年相応と言えばそれまでだが、その辺りをストーリーや伏線だけでなく、アクセントとして活かすことがない。かといってベタな”熱い友情”、みたいなものも描ききれていない。主人公と幼馴染だけ巻き込まれても話が進んだのではないか。

作品の大枠がその調子なので、大筋のストーリーである「大海原に迷い込んで荒波を乗り越えたら元の世界に戻った」にも何ら起伏がない。巡り会う”場所”のエピソードにしても場当たり的だ。これが尺の問題だとしたら、それこそNetflixで1クールなり2クールなり配信する作品にすればよさそうなものだ。そうなると今度はネタがないのだろうか。そういう粗が気になってしまう作品だった。

観る側としても、多分元の世界に帰れるんだろうな、と思いながら観ている以上、結末に意外性も驚きもない。感動もない。だから繰り返し観たいと思わない。私が懸念してもしょうがないが、これでは劇場公開だけでヒットを狙うには苦しいように思う。Netflixに加入している間は、何か確認したいことがあったときに再生する位だろう。

映像に関して文句はない。痛みを伴う描写も良い。”のっぽ”の登場を始めとした序盤のホラー描写はなかなか健闘していると思う。キャストの演技も不満はない。それだけに色々と惜しい。


余談だが、現実で雨(台風)が猛威を振るっていた最中の公開で、何ともタイミングが悪い。『ペンギン・ハイウェイ』のときもそうだったか。もっとも、現実を思い起こして忌避したくなるような強烈な映像やメッセージ性があるかというと、残念ながらそういう作品ではなかった。


映画『夏へのトンネル、さよならの出口』の感想 邦画と特撮、アニメに寄せて 

まだ体感的に夏が少し残るこの頃、9/9公開の映画『夏へのトンネル、さよならの出口』を観てきたので感想です。詳細にストーリーを書いたりしませんが、一応ネタバレありです。予告を映画館で観て興味が湧きました。

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原作を読んだ上での鑑賞・感想ですか? 答え:いいえ

原作がある映画は必ずこのトピックから入りますが、小説は読んでいません。映画は映画として面白いものが観たいです。だから原作は漫画でもライトノベルでも何でも結構。むしろ映画を観た後に原作に興味が湧く作品を求めているのですが、なかなかそこまで⋯という感じです。本作は果たして。

映画『夏へのトンネル、さよならの出口』の感想

まず時間が重要な要素の作品だからなのか、全体を通じて作品世界の雰囲気、空気を大事にしていて好印象。特に映像・演出がはしゃいでなくて、安心して観られる。もちろん内容に沿った激しい動きや場面転換はあってよい。だが動かすことがアニメーションの使命だ、と言わんばかりに目まぐるしいだけなのは勘弁したい。その点本作は堅実な画作りが作品に大いに寄与していると思う。昨今流行りの他作品で見かけたような演出も間々あるが、ちゃんと咀嚼している。クドくなるギリギリなのだ。個人的に既視感よりも丁寧な印象が勝った。目立たず地味にアニメーションらしい、ならではの表現を上手く使い分けている。

例えば梅雨時から物語が始まるが、カラッとした天気の場面は少なく、曇り空に雨が降り、水に濡れる場面が印象に残る。夜の場面も多い。だからこそ後半の鮮やかな向日葵の演出は映えるし、シーン含めてベタでも胸がときめく。おそらく原作通りなのだろうが、メールでのやり取り、文字・文章も観客をスクリーン、ひいては物語に引きつける役割をちゃんと果たしている。携帯電話の進歩も作品の大事な仕掛けだ。こういうところが目に留まり、褒めたくなる作品なのだ。

物語の中心になるウラシマトンネルについては、正直SF要素を気にして前のめりになって観るほどのものはないと思う。ここを考察したり、ツッコむのは無粋だろう。主人公とヒロインが心を通わせる模様がメインで、前述の要素は割り切ってみたほうが気軽に楽しめる。主人公とヒロインもアニメ的・漫画的な性格や特徴を散りばめつつ、想像より地に足がついたキャラクターのため鑑賞する上で余計な不快感がない。ニヤニヤ、ニンマリしながら観ればよい。リアル過ぎずファンタジー一辺倒でもなく、このさじ加減が近年アニメ映画で度々観た同様のボーイ・ミーツ・ガールより巧いと思った。

初めは底知れぬ目的のため共同戦線を結んだはずが、実は現実の中でなし得ることを求めていたに過ぎないヒロインと、どうあっても現実では不可能なことを求める主人公。二人がウラシマトンネルで得たものは、長さは違えど時間だった。それもお互いのための。そこに二人が出会った意味があるとわかって、ようやく結ばれる。このラストもつい「無事現実世界に戻ったものの、結ばれることなく⋯」、「ウラシマトンネルの正体は⋯」といった方向を考えてしまいそうなものだが、そういう作品ではないのだな、とホッとするような余韻が本作の肝なのだろう。


そうして鑑賞後に入場者特典で楽しめるのが、これまた憎い。入場者特典が有り難いと思ったのは久々だ。現時点で入りは盛況という感じではないが、これを貰うのと貰わないのでは作品の味わいが違うので、観に行くのなら貰えるうちにおすすめしたい。グッズといえば、ビニール傘も鑑賞後はクスッとしてしまった。これは原作を知らなくてよかった。いつか原作も読んでみたい。


『ガールズ&パンツァー』関連物落ち穂拾い その21 10周年とこれからと

百聞は一見に如かず。作品でアレコレ騒ぐのは観てからにします。これだけ間が空いたらね。というわけで10周年イベントの情報がやっぱり先に発表になってしまった『ガールズ&パンツァー最終章』。果たして続報はあるのでしょうか。一旦雑談しようと思います。いやだから『最終章』最新作公開は何時なんだ。

放送10周年を記念した大規模展覧会が開催決定

目ぼしいイベントこれくらいしかないよね、と書いていたイベントが正式に発表。上映会は正直、もう、ね。ハシゴは『最終章』が完結してからでいいかな。気が向いたら1作品くらい観に行くかも。

展覧会は今年の12月開催予定。今のところ東京会場のみ発表。当然入場特典と記念グッズもあり。キービジュアルは大洗女子中心。生徒全員いるかと思ったらあんこうと生徒会以外は車長のみ。集合写真みたいになるから仕方ないか。ページ最下部の麻子さんが良いですね。

概要を読む限りでは、展示はこれまでの振り返りと今後(だってまだ完結してないし)を中心に、作品資料の展示。あとはおそらく最後に物販コーナーがドカンとあるんでしょうな。まあこれは他作品でも同様みたいですね。こう書くと2017年と似たような構成なのでしょうかね。あのときの展示は正直スカスカだったのよ。

当時の記事で最後の物販コーナーをイベントの”化けの皮”が剥がれた、みたいなことを書いていて苦笑。そこまで書いてたか。金を落とすファンが良いファンなのは、多分間違いないのでしょうが⋯。


⋯完結してから集大成イベントまたやるんだろうな。10年で『最終章』まで終わってたら1回で済んだのになあ。

『ガールズ&パンツァー』関連物落ち穂拾い その21 劇画ガールズ&パンツァー

ちったあ活気づいてきた様子なので粛々と。『劇画ガールズ&パンツァー』(著:小林源文 小学館)。ガルパンのコミックとしては一見、異彩を放つ作品。

一見と書いたのには理由があります。まず著者のファンを楽しませつつ、ガルパンファンにも優しい構成であること。これまで著者の漫画を読んだことがなくても大丈夫。でも読んでいると一層面白いという。丁寧な戦車蘊蓄アリ。自分のワールドに強引に引っ張り込むだけではない、懐の深さを感じるところが流石です。そして何より、作品の端々にあるガルパンネタに、実はガルパン本編の魅力に係るヒントがたくさんあるような気がしてならないのがミソです。

例えば走行中に車輛がガクガクして頭をぶつけたりする。血が出なくてもいいけど、そんな臨場感、最近すっ飛ばしてませんか。せっかく複数名で乗車しているのだから、いつもと違う車内描写がアクセントになってもいいのにな、と思うわけです。『最終章』でも登場した寒い試合会場では生足でなくてもいいんだよな、むしろ衣装チェンジの大チャンスなのに⋯。寒さ以外にも、お肌が傷つかないようガードされた格好で戦車戦に臨む生徒がいてもよいでしょう。これなら動きで魅せることができそうです。イベントだけ、グッズだけ盛大にお着替えではなんとも寂しくはないですか。

『劇画~』の中で既に「アニメは全部妄想の産物」「ファンタジー」と書かれてしまっているものの、そういった些細な事柄が積み重なって臨場感ある作品になりうることを改めて反芻したいと思います。


そうそう、あんこうチームの面々が「私たち、ガルパンが終わったら忘れられちゃうかな」「町の活性化につながったし、大丈夫なんじゃない?」なんて雑談する様子も出てきますが、私は地域の話題にとどまらないエポックメイキングな作品だと思い続けて、僭越ながら10年経ってもまだ追いかけています。大丈夫かどうかは、これから次第でしょう。

『ガールズ&パンツァー』関連物落ち穂拾い その20 もうすぐ10周年

順調とは言いたくないですが、今のペースだと今年中、いや9月くらいにはOVA新作が劇場公開でもおかしくなかった『ガールズ&パンツァー最終章』。もう9月はないでしょうね。10周年に合わせて発表だとしたら⋯ギリギリ年内になるかな。そんなところで雑談しておきたいと思います。

10周年って何するの?

今年10月に10周年を迎えるガルパンですが、それにしても一体何やるのでしょうかね。カウントダウンからの盛大に公開、でしょうか。そうだと考えないと公式の情報があまりにも少なすぎて、ねぇ。公開できる情報がない、そもそも(現時点で何も・イベントが)ないのでしょうか。

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今年のイベント・グッズ情報も相変わらずキャラクターの着せ替え大集合で、正直食指が動かない。やっぱり本編に即した盛り上がりが欲しいですね。かといってまだまだ屋外イベントは大々的に発表しづらいでしょうし。さらに戦車を全面に出して盛り上げられるかと言えば、国際情勢的に思わぬ批判を受けかねません。

以前他の記事でも書いたのですが、現実と作品世界の区別がつかないわけでは決してないのです。本編を観てどういう作品かわかっているつもりです。ただ、作品の元ネタとなった国々や歴史から現実世界の出来事を連想してしまい、ガルパンが以前のように楽しめない。この状況は今だ続いているし、いつ終わるのか全くわかりません。

作品の素材はそれだけ近しいものを使っているのがわかっていて、これまでも配慮があったと思います。だからこそ観る方も一層気になるものでしょう。これを「アニメと現実は関係ない」の一点張りで世の人々に問う方が、現況は無神経のそしりを免れないのではないでしょうか。その点で本編含め、公式が今後どういう展開をしていくのか、興味はあります。

『ガールズ&パンツァー』関連物落ち穂拾い その20

ここまでスパンが長いと正直白々しく感じる『最終章』の『10周年です。ありがとうございます。皆様お疲れ様でした本』。まさかファンに制作側の苦心を感じつつ作品に共感してもらいたいのでしょうか。作品世界のああだこうだより、スタッフの名前を挙げつつ映像を語るのが本作の楽しみ方なのでしょうか。ちょっと下衆の勘繰りが過ぎたか。でもそんなことを書きたくなる非公式本。くだらないプレミアがつく前に買うか、公開間隔のせいで値崩れしたときに買うのがオススメ。

知波単学園に関するネタが盛り沢山なのはとても楽しい。ただ各校の勝敗寸評なんて、そんなの戦車の優劣より脚本のさじ加減でしょ、とは言いたい。そうじゃなきゃ主人公側にマーク4なんて出さないでしょう。

うーむ、非公式な本とはいえ、アニメ(OVA)本編が進んでいない状況で関係者の専門的・技術的な話で作品世界の与太話を聞くのは、そろそろ虚しくなってきたかな。繰り返しますが、作品よりスタッフ・関係者の名前や話題が全面に出て欲しいわけではないでしょうから。

内輪で成功と一体感を感じて、とにかくそれを発信する。俺たち(関係者)が楽しんでいるんだからお前ら(ファン)も楽しめ、と。それも今時の作品の売り方なのでしょうかね。彼らが作品の根本的な不満を述べることは決してないというのは、『お疲れ様でした本』に限らずムックやインタビューを読めばわかるわけで。マニアックな話題に夢中になるあまり、作品の本質から目をそらすのはファンとして避けたいところ。まして最近は作品の細部よりストーリーや展開といった大枠に不安を感じているので⋯。そんな不安を払拭する作品の発表を待ちたいと思います。どんな宣伝するのやら。


小説で続きを読む『時守たちのラストダンス』

ようやく『時守たちのラストダンス』(原作:東堂いづみ 著:三萩せんや 河出書房新社)を読んだので感想を書いておきたい。2016年に公開されたアニメ映画『ポッピンQ』の続編”小説”。なので感想は映画を鑑賞していること前提。小説ながら気合の入ったPVもある。

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『ポッピンQ』は東映アニメーションの記念作で、それなりの宣伝や公開規模だったと思うがヒットしなかった様子。素敵なキャラクターデザインに映像面ではダンスも良かったが、内容としてはターゲットの年齢層を絞りきれていなかった。青春・思春期をテーマにしつつ伏線的な面白味も少なく、成人が観ると物足りない、子供が観たら今一楽しめないという具合ではないか。ファンタジーにしても無難過ぎたように思う。ただ個人的には、中学卒業前のメインキャラ各々の悩み・葛藤が大げさでない、等身大なもので好感を抱いた。学校を卒業して大団円ではなく、始まりであるという締めくくりも良かった。成長物としてもう少し対象年齢を上げて踏み込んでも良かったかもしれない。続編を予感させるラストだったので一層惜しいなと思っていた。

ポッピンQ

ポッピンQ

  • 瀬戸麻沙美
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その辺りは以前感想で書いたが、まさかこのような形で日の目を見るとは。ファンの、制作スタッフの熱意でここまで辿り着いた作品。私など大したファンでも何でもないが、このような縁があったことにささやかに感謝したい。

『時守たちのラストダンス』の感想

まずメインの5人が高校で再会する場面は映画をなぞっていて胸が高鳴る。ただ、お互いのこと、映画(前作)での出来事に関して記憶がほぼ消えていることに関しては、伏線とは言え少々残念。読めばやはりそうかと思う反面、卒業からの新たな生活なので、もう少し5人一緒の楽しい学校生活、楽しい一時が垣間見える内容を期待していた。メインの5人に新たな悩み・葛藤が生まれるのはわかる。だが、5人各々がそれを持ち寄り再びダンスに向かうという”天丼”ではなく、今度は気心知れた5人と絡んでいくうちに⋯という流れの方が新鮮だし、映画で物足りなかった部分が補われたのではないだろうか。全員揃った場面で吐露するだけではなく、ペア、トリオでの絡みにバリエーションがあってもいいのにと、もどかしい気持ちで読んでしまった。要は映画を前提に、進展した5人の関係性に喜びつつ新たな物語を楽しみたかったのだが、個人的に期待した方向からは外れていた。

もっとも話の展開から、そういったエピソードを挿入するのが難しかったのかもしれない。この辺りが映画と同様、小説のボリュームの都合なのか全体的に駆け足気味になってしまった。特に主人公の伊純には重めのエピソードを入れている。これが軸になるが故に、伊純以外のキャラクターの見せ方が残念になってしまった印象だ。もし映像化があるのならば、この辺りのバランスの改善を願いたい。小説と全く同じ内容でなくてもよいはずだ。映画も単発でなくとも、前後編でも3部作でも、というところだ。

そのメインの伊純のエピソードに絡んでくるレノの正体もやや唐突感があったか。これは仕方がないが、前作からの伏線という面からは弱い。アクション全開というわけでもなく、おそらく映像化しても映えないように思う。痛快さかハートフルか、映画をさらにどっちつかずの展開にした感がある。内容的に、一からやるなら映画を作り直すところから始めるか、前述の通り尺が必要かなと思った。

また改めて文章で読むと、ダンスは映像ありきかなあという寂しさがある。決して小説として表現がまずいわけではない。ただ、作品のウリだった要素なので、上達や団結の過程は絵がついた方が説得力があるように思う。心情描写の面で小説が優れているのは認めつつも、この作品の映像的魅力を再認してしまった。


小説の文章は読みやすい。カバーの絵も相変わらず魅力的だ。だが内容に関しては映画のラストから(勝手に)思い描いた方向ではなかった。今後プロジェクトがどうなるかはわからない。その点からも消化不良だ。僅かではあるが期待する。


邦画と特撮、アニメに寄せて 映画『泣きたい私は猫をかぶる』の感想

映画『泣きたい私は猫をかぶる』を観たので感想です。2020年の作品。予告やスタッフ等に注目していたわけでもなく、現在Netflixで配信中だったので観ました。鑑賞もNetflix加入も今更です。ディスクも既に販売中。なのでもうネタバレは気にせす書くことにします。

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映画『泣きたい私は猫をかぶる』の感想

周囲には予測不能な行動ばかりすると思われている主人公には秘密があった。不思議なお面で猫になって、気になる相手に会いに行ったり、可愛がってもらったり。ところが相手の普段知らない素顔を知るうちに、すれ違いや家庭の悩みがきっかけで大変なことに⋯。というお話。

作品の舞台や登場人物の設定は自然。等身大のキャラクターですんなり入り込める。ともすればいじめに近いような行動や人間関係が程よい生々しさを加えている。鑑賞が不快にならない、ギリギリでリアルな中学生らしさといったところか。家族の描写も通り一遍な幸せな家庭にしたくなかったのだと思う。

一方で作品の肝になるはずの、猫界・猫になれる要素に関してはさほど感銘を受けなかった。一見して「あ、ファンタジー世界なのね」というのはわかる。これを作中の登場人物が延々と世界観を喋ったり、ダイジェストで説明する場面を挿入されたら興醒めだ。解釈を餌にしているような理解不能な設定でも困る。だがタヌキやキツネ、はたまた魔法使いから宇宙人まで、古今東西様々な作品で題材にされた变化(へんげ)・変身要素があまりにもありきたり過ぎた。ストーリーと相まって、鑑賞中に感情が高ぶったり、興奮を覚えることがなかった。鑑賞後に不快な後口は残らないものの、名シーン、名場面、語りたくなることも特にない。内容が全く同じだとは言わないが、昨今のアニメ映画で見かける、学生あるいは未成年の男女一組が繰り広げる一大事、の範疇なのだ。そこに家族の問題が絡んで、というのも同様だ。当然リピーターを意識したようなハッピーエンドで締めくくられる。

映像表現に関しては普通。目を見張るものは特になかった。もはや劇場公開作品ならこの程度は当然、という気すらする。キャストの演技も特に違和感なかった。最近は本業声優以外のキャスティングで演技が気になる作品はごく少ないのではないか。


今回Netflixに加入したのがきっかけで鑑賞したが、元々は劇場公開予定だったとニュースで見かけた。しかし映画館で観ていたら正直物足りなかったと思う。見放題の配信サービスで観られるのなら、興味があればどうぞ、という位のものか。


映画『白蛇2:青蛇興起』の感想(字幕版)

2021年に日本で吹替版が劇場公開された映画『白蛇:縁起』の続編、『白蛇2:青蛇興起』(字幕版)の感想です。中国では既に『2』が公開されており、日本では2022/6時点でNetflixが独占配信中です。『縁起』が当初U-NEXTで配信開始だったのに対し、何だか商売としてチグハグな気がしますが、まずは観られることを喜びましょう。色々と事情があるにせよ、私の関知するところではありません。

実は『2』の劇場公開を楽しみにしていたのですが、昨年12月に配信されていたことを知らなかったのと(何たる情報音痴)、『白蛇:縁起』が良かったので待ちきれず観ることにしました。ちょうど『縁起』のBlu-rayが今年5月に発売されましたし、そんなファンも少なくないかと思います。中国映画のイベントで『縁起』も再上映の機会が多いことですしね。

今回の感想はネタバレありです。ただ、感想に行く前に『2』を観るにあたってのガイドを挟みました。いきなり『2』を観てよくわからなかった、という御仁がいそうだからです。

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『白蛇2:青蛇興起』を観る前に

既に配信されてから半年が経っており、今更だが『白蛇2:青蛇興起』鑑賞前にやっておきたいことについて書いておこう。これから観る人、もう観てしまった人、どちらにも向けて。実は後述の感想にも関係しているからだ。

  • 『白蛇:縁起』を観ておく

やはり続編なので、前作は観ておきたい。いや、観ておいた方がよい。登場人物、ストーリーも続いている。今なら『縁起』もディスク・配信揃っている(U-NEXT以外でも配信中)。

  • 『白蛇伝』について知っておく

前作『縁起』も同様だが、作品のベースとなった『白蛇伝』は中国ではポピュラーな民話だ。ドラマに映画と、実写で何度も映像化されている。だが日本では正直知名度が高いとは言えないのではないか。少々残念ではあるが、『2』はこの『白蛇伝』と周辺情報を知っていた方が楽しめると思う。ちなみに前作『縁起』はさほど知らなくても大丈夫(だからこそヒットしたとも考えられる)。なので手っ取り早くWikipediaや青空文庫で『白蛇伝』を調べておこう。中国語版のWikipediaも充実しているし、青空文庫の『雷峯塔物語』(著:田中 貢太郎)は『2』を観る前にはうってつけだと思う。


また手前味噌だが、当ブログで以前『白蛇伝』を知るための記事を書いており、その他の文献についても紹介している。よければこちらも。

『白蛇2:青蛇興起』の感想

まず本作は作品のベースとなっている『白蛇伝』を大まかにでも知っていた方が楽しめると思う。前作『白蛇:縁起』がそういった知識がなくても楽しめる構成・展開だったのに対し、本作の冒頭は続編でありつつ『白蛇伝』の流れも汲んでいる。中国で上映するなら配慮は不要かもしれないが、日本だと前作を観ていても戸惑う向きが少なくないのではないか。

特に”宣の生まれ変わり”に前作の主人公、宣のような活躍を期待していると大いに落胆することだろう。出番がほとんどない上に大変情けない姿を晒している。実はこの姿が本来の宣(『白蛇伝』では許宣)に近かったりするのだ。少なくとも日本で読める『白蛇伝』の文献では同様の印象を受けるはずだ。例えば許宣が白の正体を疑ったり、『2』でも登場する法海にすがる姿はいたたまれない。

前作を観て妖怪の白や青が人智を超えた存在であることはわかった、だがそこにあって宣の存在が重要な位置を占めていたからこそ光るものがあった。その流れで『2』で冒頭から”原典に忠実”な展開を繰り広げられると、期待が外れるだけでなく作品に対する疑問や不安が湧いてくるというものだ。そしてその第一印象は残念ながら覆されることはなかった。本編の感想から外れるが、日本で吹替キャスト込みでの集客を狙うとしたら、これでは厳しいと思う。記事冒頭で配信先のことを書いたが、これは確かにセットだとヒットしないかも、という気がする。

とりわけ今作は青が主人公ということで、前作の宣のような人物像の掘り下げを期待したが、キャラクターとして魅力的に描ききれていなかった。いかなる時でも場所でも、白を慕う心情は理解できる(※『白蛇伝』を知っていれば一層理解できる)。だが白の想いを理解させるに、「私には白しかいない」という帰結だけでは共感するに足らなかった。前作や白自身と同じ展開になってしまうので避けたのかもしれないが、やはり他者との関わりを通じて相手に感情を向け注ぎ込むことで、白への感情や存在も一層際立つというものではないだろうか。もちろんこれは男女の恋愛に限らなくてよい。青に関わる者たちがそういった関係を築く前に尽く途中退場してしまう様は必然というより、ご都合感やキャラクターの造形の甘さを感じてしまった。青の心情描写も短絡的に映ってしまう。

また、大きな仕掛けとなるはずの”面”の種明かしは種と言えるほどのものがなく、若干白けた。面と本来の顔という対比でもなく曖昧で意図を測りかねる。敵役の法海のキャラクターについては恐ろしいまでに描かれず、これがまさに原典(『白蛇伝』)を知っておいてねと言わんばかりだ。むしろこの辺りを新説として盛って欲しかったのだが単なる悪役の域を出ておらず、個人的に大変残念だった。この法海含めたバトルシーンも前作に比べて単調で、盛り上がりに欠けたのもマイナス要素。妖術・仙術が使えないという制限を逆手に取るような戦いが観たかった。

舞台となる暗黒世界については、映像技術的には素晴らしいものだったが、アイデア・表現としてはありがちな、並のものになってしまった。キャラクター含めて所謂「世紀末」である。世の漫画・アニメ作品のリスペクトだとしたら、食傷気味。終始暗めの世界で、闇と光の対比が多く前作のような場面転換・美術の見せ場が少なくなった。美しさの表現ひとつをとっても一本調子なのだ。また前作では必要性があった上で艶のある場面や表現を用いていたが、今作ではそういった見どころはない。配慮だとしたら理解はするが、作品の意欲としては薄れたように感じる。もっとも、今作はそういった表現を活かすに足る内容ではなかっただろう。切符や蜘蛛の妖怪といった、前作でもあった『千と千尋の神隠し』のオマージュ(と思われる)は本作でも健在。

ラストで現代と繋がるのは『白蛇伝』周りを調べていれば楽しめるはずだが、知らなければ、あるいは作品内で解釈するとしたら唐突感が漂うのではないだろうか。まして強烈な起承転結でもどんでん返しでもない。繰り返すが、本作はこういう構成が目立つのだ。そこが私が前作ほど熱中できなかった理由の一つである。関係筋のことは一切知らないが、『白蛇:縁起』の吹替版は上手く商売したなあとつくづく感じる。前作を受けてこのストーリーでは、日本では売りにくい。

最後に、前作で世界を俯瞰するような立ち位置かと思われた宝青坊の主は、本作では若干小物感ある描き方になってしまった。この点が残念だが、どうやら続編では(あるとしたら)キーになる人物の様子である。いや、中心になりそうな雰囲気だ。これをするならもう少し前作の神秘的で底知れぬ雰囲気は残してよかったと思うが、その辺りの感想はもし続編(的作品)があったときに結論づけたい。


総じて、前作『白蛇:縁起』を観た人には観て損はないが期待した方向には多分向かない、『2』から観た人には味の薄い、今一つの内容に映るのではないか。観るのであれば前作から観て、時間があれば『白蛇伝』を調べてから鑑賞するのをお勧めしたい。


(2023/8追記)続編、白蛇3が中国で2024年公開予定の様子。浮生、ですか。楽しみの一言。

※画像をタッチ・クリックすると3予告(YouTube)が再生できます。

(2024/4追記)新たな予告と共に、続編の中国公開日は2024年8月10日(旧暦の七夕)に決まったようです。




ウルトラQとウルトラマンの間に 『ウルトラ作戦 科特隊出撃せよ!』

特撮作品で圧倒的な存在感を放つヒーローよりも、地球の平和を守るべく強大な敵に立ち向かう人類側、防衛集団についつい感情移入してしまうのは私だけでしょうか。

今回は空想特撮シリーズ『ウルトラマン』に登場する防衛チーム、科学特捜隊の活躍を描いたPCゲーム『空想特撮シリーズ ウルトラ作戦 科特隊出撃せよ!』(1992 バンプレスト PC-98)の話です。ちなみに記事タイトルは旬な話題に便乗したのではなく、付属のマニュアルの見出しから。いやちょっと狙いました。

ウルトラ作戦 科特隊出撃せよ!』とは

バンプレストのPCゲーム参入第1弾は題材を『ウルトラマン』に求めながらも、当時のいかにもPC作品、ディープなファン向けのゲームでした。科特隊のムラマツキャップの視点を中心に怪獣や宇宙人と戦う全6話構成のアドベンチャーゲームです。発売はPC-98のみでコンシューマ移植もされませんでした。最近話題になったフロッピーディスク7枚組。ハードディスクにもインストール可能。ちなみに参入第2弾のゲームは『ああっ女神さまっ』だったはず。これもPC-98作品。

※OPはもちろん『科特隊のテーマ』が流れています

特典冊子の『ウルトラ作戦大図鑑』によると、最初はウルトラシリーズと関係のない怪獣撃退ゲームを作る予定だったのが円谷プロの協力、しかも”空想特撮シリーズ”まで冠してOK、となって出来上がったとのこと。なのでゲームのOPにも当然「監修:円谷プロダクション」。円谷プロ公認のアナザーストーリー、これはファンなら遊びたくなるはず。私は当時既にウルトラマンから”卒業”気味でしたが、こういうPCゲームや平成ゴジラシリーズがきっかけで戻ってきて今に至ります。それがまさか今の今になっても語っているとは。いや世間に語れる土壌があるとは。

『ウルトラ作戦大図鑑』にはゲームに登場するオリジナル怪獣の造形写真や図解(まるで小学館の『怪獣図解入門』)、ウルトラマン制作当時の企画書から再録された科特隊の各種設定、制作者インタビュー(怪獣デザイン・西川伸司はじめ存命だった円谷皐の寄稿も有)と盛りだくさんです。そうそう、科特隊メンバー5名プラス佐原健二のインタビューも載っています。読んでいるだけで至福の時間です。

※科特隊インタビューではイデ隊員(二瓶正也)が、”ウルトラマンのいない地球を科特隊が守るんですか。大丈夫かなぁ。”なんて仰っていてニンマリ。イオゴンは先鋭的なデザイン。

ゲーム概要とスピンオフの在り方

本作では『ウルトラQ』と『ウルトラマン』を繋ぐ、科特隊の誕生からウルトラマンが地球にやってくる直前までが描かれます。これが前述の通り、ファン向け、ファンのためのつくりで本当にニクい。

グラフィックは『ウルトラマン』本編のキャプチャと新たに撮影したミニチュアを組み合わせており、雰囲気満点です。当時のPC-98に画像を取り込んでいるので解像度は低いですが、ぼやけた画像がかえって想像力を高めてくれる気がします。我ながらちょっと贔屓目かな。登場人物も当時のまま! 一の谷博士に岩本博士も登場します。ゲームだからこそできる、夢の世界です。第一話の科特隊メンバーお披露目はウキウキします。

※ウルトラQから話が続いていることに胸が高鳴る

※志願して入隊したフジ隊員

※消去エネルギーといえば⋯『シン』では登場しませんでしたねぇ

※特殊潜航艇S号に危険察知のネクタイピンもちゃんと使ってます


怪獣のデザインは後の『ウルトラマン』を意識した怪獣が多く、「この着ぐるみを改造して⋯」と想像して楽しめます。私は合神竜ミドンガのコンセプトが大好き。ミドとロンガ2体の合体怪獣ね。

※この合体方式の怪獣は映像作品で見たい

※レッドキング感アリアリのゴルドキング。そこが良い

※パゴスとネロンガの間にもう一体、ゴロモス。ゴルドンのダイヤモンド版

※完全オリジナルの怪獣も魅力的なのが素晴らしい。宇宙鳥獣エックスと再生ビルガメラー。


ストーリーは全6話の選択型アドベンチャーで一本道です。難しい選択肢はなし。科特隊誕生から環境問題、『ウルトラQ』で登場したあの宇宙人再びに古来の伝説等々、バリエーションに富んでます。たまに寄り道しないと見られないグラフィックがあるので総当りしておきましょう。

※イントロダクションがまた、らしくてグッド

※例えば1話のこのグラフィックなど、見なくても話が進んでしまいます


戦闘モードはターン制のシミュレーションゲーム形式。そうそう、ゲームはオリジナルBGMも怪奇色があってなかなか良いですが、ここぞでは宮内國郎の音楽です。『科特隊のテーマ』から、戦闘モードでは『ウルトラ作戦第一号』から「戦い」の曲も流れます。

ゲーム時点の科特隊には強力な武器がなく、怪獣の体力がなかなか減りません。怪獣が目標に到達するのを防ぐマップもあり不安になりますが、四分の一くらい減らせばクリアです。

※戦闘前には勝利条件が表示されます。バックのシルエットがカッコいい

あとはマニュアルに載ってない攻撃技を紹介しておきます。スーパーガンを所持している隊員ユニット(ムラマツ、ハヤタ、イデ、フジ)を3人隣接させて、真ん中のユニットのターンで攻撃すると強力な「トリプルショット」になります。隣接はまっすぐでもカギ括弧型(「、」)でもOK。斜めはダメ(\、/)。これを使うと比較的早めにダメージを与えられるはず。

※アラシはスパイダーショットを使っているからできないのね。⋯スーパーガンも持ってるよな


最後に作品について。私は普段スピンオフを語る際に、安易にスピンオフのストーリーを本編に結びつけたり、設定をごちゃ混ぜにして語ったりしないように気をつけています。メディアの違い、制作者の違い、本編との設定の違い、制作側の(情報)連携⋯。受け手の想像力や読解力も大事ですが、制作側が作品裏話や現場の話をSNSで気楽に発信したりする昨今、バズるため・PVを稼ぐために一二を争って作品を「曲解」し自分の考えを喧伝することを避けたいからです。

そんな中、本作はとりわけ『ウルトラQ』『ウルトラマン』の世界観を大事にしており、当時違和感なくゲームにのめり込んだことを改めて思い出しました。制作者の個性や人間性を読み解かせウルトラマン蘊蓄披露に終始したりすることもなく、「面白い設定だな」「こんなエピソードがあったらいいなあ」と素直に思わせてくれる作品でした。世間的な知名度やヒットには程遠い作品ではありましたが、”空想特撮シリーズ”の名にふさわしい作品だと思います。ウルトラマンについてはゲームに限らず、このような出会いをまだまだ望みたいです。

それでは説明不要のゲームEDとともに。


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