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映画『雨を告げる漂流団地』の感想 邦画と特撮、アニメに寄せて

現在Netflixで配信中の映画『雨を告げる漂流団地』を観たので感想です。映画館で予告を見て自宅鑑賞。ネタバレはしています。

雨を告げる漂流団地 | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト

※画像をタッチ・クリックすると予告編(YouTube)が再生できます。

映画『雨を告げる漂流団地』の感想

舞台からストーリーまで、ノスタルジーを誘いたいのはわかる。それがミエミエだと揶揄する気もない。

設定にツッコむのは野暮だろう。SFというより、「物に魂が宿る」というのは日本のこうした作品ではオーソドックスだと思う。迷い込んだ大海原や謎の少年”のっぽ”の正体について劇中で明言されることはないものの、「そんな話聞いたことがある」程度の知識があれば詳しい民間伝承など知らなくとも難解な話ではない。深読み、裏読みするような展開もないはずだ。

ただそれならそれで、せっかく思い出の場所、モノ、人が登場するのだから、もう少しそれらの記憶や邂逅を伏線や終盤のキーポイントにできなかったのか。「昔こんなことがあった、だけど頑張る」の応酬だけでは、映像の割に起伏のない淡々とした展開に映ってしまう。特に祖父の存在は劇中の描写で人となりがピンとこなかったので、繰り返し思い起こされる意味を感じなかった。何より”のっぽは”もう少し作品のテーマに迫る、かけがえのない存在に描けなかったのか。中途半端な肉付けだった。

主人公達の人間関係にしても数合わせ感覚だ。果たして同級生たちと一緒に巻き込まれる必要があったのか。例えば主人公絡みで序盤に三角関係を匂わせていたが、特段イベントがあるわけでもない。それをやると中学・高校生の設定にしたほうがよさそうなので、そうしなかったのだろうか。年相応と言えばそれまでだが、その辺りをストーリーや伏線だけでなく、アクセントとして活かすことがない。かといってベタな”熱い友情”、みたいなものも描ききれていない。主人公と幼馴染だけ巻き込まれても話が進んだのではないか。

作品の大枠がその調子なので、大筋のストーリーである「大海原に迷い込んで荒波を乗り越えたら元の世界に戻った」にも何ら起伏がない。巡り会う”場所”のエピソードにしても場当たり的だ。これが尺の問題だとしたら、それこそNetflixで1クールなり2クールなり配信する作品にすればよさそうなものだ。そうなると今度はネタがないのだろうか。そういう粗が気になってしまう作品だった。

観る側としても、多分元の世界に帰れるんだろうな、と思いながら観ている以上、結末に意外性も驚きもない。感動もない。だから繰り返し観たいと思わない。私が懸念してもしょうがないが、これでは劇場公開だけでヒットを狙うには苦しいように思う。Netflixに加入している間は、何か確認したいことがあったときに再生する位だろう。

映像に関して文句はない。痛みを伴う描写も良い。”のっぽ”の登場を始めとした序盤のホラー描写はなかなか健闘していると思う。キャストの演技も不満はない。それだけに色々と惜しい。


余談だが、現実で雨(台風)が猛威を振るっていた最中の公開で、何ともタイミングが悪い。『ペンギン・ハイウェイ』のときもそうだったか。もっとも、現実を思い起こして忌避したくなるような強烈な映像やメッセージ性があるかというと、残念ながらそういう作品ではなかった。


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