デジタルエンタテイメント断片情報誌

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ちょっと知らないシューベルト

こういうプログラムが、普段着の演奏であり、実は聞き逃せないものではないか。そんなことを思わせてくれる演奏会だった。

10/21にブロムシュテットが指揮するNHK交響楽団の定期公演(Cプログラム)を聴いた。曲目はシューベルトの交響曲第1番と第6番である。当日は空席も比較的あり、いつもの定期という印象だった。
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シューベルトの交響曲と言えば、『未完成』に『グレート』⋯。おそらくそのどちらかがプログラムに入っていれば、Aプログラムのマーラー:交響曲第9番並の早さでチケットが埋まっていたのではないか。誤解を恐れず書けば、曲よりも演奏よりも何より、近年の指揮者の健勝ぶりに拍手を浴びせたい向きにとって、ちょっと躊躇するプログラムだったと思う。

シューベルトという作曲家自体、中学までの授業で名前は聴くだろうし、クラシックファンなら知っているはずだ。交響曲だって全集を所持していたり、配信で見かけたことがあるだろう。だがその中にあって、この第1番と第6番を愛聴している向きは一体どれくらいいるのか。作曲家の知名度の割に少ないのではないか。知名度故にマイナー曲・珍曲のファンを自称する向きがこれらの曲を話題に上げることもまずないだろう。これこそ有名なマイナー曲、というものだ。もちろん、世の中には様々なファンがいるので、愛好家の存在は否定しない。それにしても、ごく僅かではないか。

そんな意表を突くプログラムで、俄然聴きたくなった。渾身の名曲、大曲に群がり、指揮者のプロフィールを見ただけで礼賛を並べ立てるようなことはしない。そんな自分の「媚を売らない」という媚、すら見透かされた気がしたのだ。


ブロムシュテットはシュターツカペレ・ドレスデンとシューベルトの交響曲全集を録音している。今やこのように気楽に聴け、リンクを貼って紹介できるので、比較も楽しみにしていた。ディスクも何度も再発されている。


さて当日の感想だが、交響曲第1番はシューベルトらしい歌心が炸裂している曲。第1楽章などオペラの序曲のようだ。実は後の交響曲第6番より華があって、もっと演奏されてよい曲かもしれない。ブロムシュテットの解釈は穏当で、全集録音時の解釈と変わらない印象を受けた。最近他曲の解釈で顕著な、颯爽としたダレないテンポ設定とはまた違う、オーケストラの特性重視のようにも思えた。

続いて交響曲第6番。余談だがこの交響曲第6番がベルリンクラシックスのCDでドヴォルザークの交響曲第8番(オーケストラは同じくシュターツカペレ・ドレスデン)とカップリングされており、昨年10月にN響でドヴォルザークを聴いたので是非シューベルトも、と思っていた。ちなみにその時のドヴォルザークの交響曲第8番は第2楽章が凄かった。あんなに情緒豊かに聴かせる第2楽章はなかなかない。その分第3楽章など、終楽章にエネルギーを温存するために幾分サラッと流していて、胸躍るとまではいかなかった。第4楽章も普通。それでも当時から既に終焉後の拍手とカーテンコールは大盛況だった。


話が脱線したが、シューベルトの交響曲第6番は打って変わって、諧謔というより、愛らしさが勝る楽曲だ。木管楽器のおどけたような旋律と弦楽器、特に低減を強調したメリハリある演奏。曲自体を飽きさせないように、工夫していたのだと思う。こちらの方が、近年ブロムシュテットが繰り広げている演奏スタイルに近かったと思う。ただそれでも繰り返し聴きたくはならなかったのが、曲の限界か。

演奏中にお休みの方も客席に若干いたようだが、第6番の演奏が終わった瞬間は盛大な拍手だった。指揮者とオーケストラの健闘ぶりに対してか、曲に感動してかどうだったのか、正直わからない。だが、今後実演を聴くことが多くなさそうなシューベルトの解釈の一つとして、私は満足しながらカーテンコールに応える指揮者を見送って会場を後にした。

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