新生メロディアがショスタコーヴィチの生誕”110”周年を記念して発売した交響曲全集ボックス(10枚組 MEL CD 10 02431)から、今回は交響曲第13番「バビ・ヤール」の話です。このボックスは、現在音楽配信サイトSpotifyでも無料配信されています。既にCDが手に入れにくい様子なので、まずは配信サービスの利用がオススメです。
(2023/7追記:各種リンク、目次や見出しを追加・修正)
(2020/7追記)MelodiyaがSpotifyなど、サブスクリプションでの音源配信を停止した様子。※NMLのニュースも参照。でも記念ボックスに収録の第13番は配信で聴けます(後述)。やったね。
(2020/9追記)記念ボックスのSpotify配信が再開されたので、下記リンクからでも聴ける。なぜか正規の配信に恵まれた曲。
・序のリンクはコチラ。
・各交響曲へのリンクはコチラ:
第13番の佇まい
エフトゥシェンコの詩から⋯いきなりだが曲目解説は各自検索、文献をあたれば良いと思う。多分私の記憶や手持ち資料と大して変わらない。それよりも、だ。ロシア語の独唱と合唱を伴うこの交響曲を、ポッとダウンロードサイトや配信で聴いて、即座に感銘を受けるものだろうか。解説を読んでなくとも? ロシア語の意味がわからなくとも? いや、受ける人はいるとは思う。いても構わない。
私自身も「問題作」という触れ込みでこの曲に興味を持ったクチだ。だがその問題作たる所以が理解はできても、楽曲の魅力として、初めは今一つピンとこなかった。ましてこのご時世、曲目解説や作曲経緯の紹介に徹して「(そんなスゴイ曲だから)さあ聴いてみよう」で良いのか。それでは「つまらない」と即停止ボタンを押されやしないか。
そこで全集で聴くことに意味が出てくる。ショスタコーヴィチの他の曲を楽しんでから第13番を聴くことに意味が出てくる。
交響曲第11番や他の詩曲を思わせる雰囲気、映画音楽で培った音響テクニック、凶暴なユニゾン、中期交響曲の寂寥感、そして交響曲第15番を仄めかすようなウッドブロックの響き⋯これだけでも、この交響曲を楽しむ端緒になると思う。聴き手まで喧伝しなくとも、既にショスタコーヴィチの色褪せない魅力はそこに佇んでいるのではないだろうか。
息子マクシム家族達に、生前一度言ったことばを紹介してディスコグラフィーへ。
「お願いだから、私が死んでも、私を『不朽』のものにしようなんて思わないで欲しい。私の音楽を流そうと奔走したりしないでおくれ。」
(『わが父ショスタコーヴィチ』 音楽之友社 P.162)
ディスコグラフィ
記念ボックスは、コンドラシン指揮モスクワフィルの録音。エイゼン独唱。まあそうでしょうね、というチョイス。他のライブ録音も集めたなあ。これを録音の状態含めて溺愛するか、タワーレコードが復刻したシャーリー=カーク独唱・バイエルン放送響のライブ(PROA-30)の精度を堪能するか。まあ他のライブ録音はモノラルだし、正直真贋よくわからないから⋯。ショスタコーヴィチの初期~中期の交響曲の魅力を咀嚼しているからこその好演、という印象。
(2020/7追記)下記全集内では抜粋収録で、全曲聴けない仕様になった。でも⋯
(2023/7追記)記念ボックスも全集もSpotify配信が再開。
ちなみに正規で単体配信されています。
こちらはバイエルン放送響とのライブ録音。復刻された上にSACD化もされた。
室内楽を思わせる”静”の魅力なら、コフマン指揮ボン・ベートーヴェン管の演奏(MD&G Records)。なぜか配信されていない様子。CDも手に入れにくい。このコンビのアプローチが好きなのに、ヘッドホンや夜聴くにもってこいなのに。口惜しい。
そんなコンビをもう一組。オーマンディ指揮フィラデルフィア管の演奏。世界初CD化の後、音沙汰なし。痛烈さ、鋭さよりも余裕と深みを感じるオーケストラの鳴りが、決して”名曲カタログコンビ”ではない実力をありありと示した録音。サーというノイズが割と耳につくので、是非流行りの(そろそろ終焉か?)リマスタ版をおねだりしたい。いやその前に配信を。
ロジェストヴェンスキー指揮ハーグ・レジデンティ管弦楽団の録音。同オーケストラの100周年記念CD(RO 100。カッコいい型番)。現代の録音環境と、ホールトーンで楽しめる、今に伝わるショスタコーヴィチ。大げさか。2楽章「ユーモア」、第3楽章「商店にて」の臨場感が好きで、全曲聴いてしまう。
次回は交響曲第14番。また独唱つき。