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生誕110周年・ショスタコーヴィチ交響曲全集を聴く 第15回 交響曲第15番

新生メロディアがショスタコーヴィチの生誕”110”周年を記念して発売した交響曲全集ボックス(10枚組 MEL CD 10 02431)から、今回は交響曲第15番の話です。ショスタコーヴィチ最後の交響曲に、ようやく辿り着きました。このボックスは、現在音楽配信サイトSpotifyでも無料配信されています。今はCDで揃える前に、配信サービスの利用が便利かと思います。

(2023/7追記:各種リンク、目次や見出しを追加・修正)


2020/7追記)MelodiyaがSpotifyなど、サブスクリプションでの音源配信を停止した様子。※NMLのニュースも参照。配信サービスの利用は便利だが、こういうこともあるので残念だ。
2020/9追記)残念がっていたら、この記念ボックスはSpotifyの配信が再開された。良いことがあるものだ。※NMLの配信停止は継続。


・序のリンクはコチラ
・各交響曲へのリンクはコチラ:

最後の交響曲として

”最後”にまつわる曲は何かと注目される。作品の意義や作曲家のエピソードとセットで有名な作品もある。例えばベートーヴェンの交響曲第9番であり、それを意識したマーラーの交響曲第9番が代表だろう。

そんな最後の交響曲すら「煙に巻いたような」作風で答え、問いかけているのが第15番、というのは穿ち過ぎか。作曲背景や死を前にした心情告白を探るのではなく、まず曲に対面する。そう捉えると、ショスタコーヴィチの交響曲は第15番までだが、作品世界はまだまだ終わりではない気がしてくる。そもそもファンとして、ここでショスタコーヴィチおしまい、では名残惜しい。

自作・他作品の引用が注目されるが、個人的には明確に引用元がわかる曲以外の面影が、よく脳裏によぎる。中期交響曲の緩徐楽章を一層研ぎ澄ませたかのような寂寥感。室内楽作品を思わせる弦楽器の切々とした叫び。種々の映画音楽やバレエ音楽でみせた諧謔性は、打楽器や管楽器の役割で顔を出す。

交響曲第1番の印象を書いた際に「後半の第3、第4楽章は冗長で、(作品として)まだまだかな」などと、我ながら不遜なことを書いた。しかし第15番の終楽章など、「どこに向かっているのだ」という曲の運びで、やはり唸ってしまう。そんな音楽の変遷を再認識して、またショスタコーヴィチ作品を聴き続けるのだろうな、と思う。

ディスコグラフィ

記念ボックスには、このボックス2つめの注目、マクシム・ショスタコーヴィチ指揮:モスクワ放送交響楽団の録音(1972年)を収録。やっとやっとCD化、配信音源化。待てなくてLP買いましたよ私は。例によってショスタコーヴィチのレア音源はさほどプレミアつかないので。ゆっくり探せば大体見つかる。国内盤、輸入盤と色々なジャケで発売されている。

(2020/7追記)現在のところ、中身が同じ配信音源はない様子。かと言ってレコードが再び注目されるかは⋯どうだろうか。
(2020/9追記)記念ボックスのSpotify配信が再開されたので、まずは聴いてみるのがよいかと思います。

序で書いた感想を繰り返すが、淡々とした曲運びの中に、生々しい各セクションの音が主張する。そしていつの間にか作品に引き込まれている。渾身の録音。大げさかな? でもこの録音は父ショスタコーヴィチを立ててこう書いておきたい。実際素晴らしいですからね。以下引用:

これは彼がはじめてマクシムに委ねた大作の初演だったが、息子が指揮者として着実に成長するのを、彼は父としての誇りをもってつぶさに見守ってきた。彼はモスクワ放送交響楽団と交響曲の準備をするマクシムのやり方に満足し、初演はうまくいきそうだと希望を抱いた。


(『ショスタコーヴィチ ある生涯』P.334  アルファベータ)

初演(1972年1月8日)のコンサートなんて、この様子ですよ。これだけで腹いっぱいですよ。さあショスタコーヴィチになったつもりで聴きましょう。

休憩の度ごとに、マクシムの指揮はすばらしいと、彼はささやいた。
(同)


そんな記念ボックスの収録に大喜びしつつ、実はまだ復刻されてない音源があるんですよ! ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルのレニングラード初演ライブ(1972年)。これもビクターが国内盤LP(VIC-28053)で販売していたのに、CD化で漏れた音源。

どんな演奏かというと、すごく野卑な演奏。ムラヴィンスキーの録音評で使いたくなる、透徹感や統率力、鋭さ、冷たさ⋯そんな言葉よりも、「どうしたの?」と聞きたくなるほど荒っぽい。オイストラフが指揮したのかよ、と言いたくなるくらい管楽器なんてブリブリ鳴らしている。すごく下品なのね。とまあそこが面白くて、はしゃぎたくなる録音。新生メロディア、早く復刻して


よーしこっちも親子指揮だ、というわけでクルト・ザンデルリンクとミヒャエル・ザンデルリンク。他の兄弟も全集作っていいぞ。ミヒャエル・ザンデルリンクの全集は全体的にフレージングが気に入らなかったのだが、第15番は落ち着いた解釈が胴に入っていて、聴ける。
クルト・ザンデルリンクは第8番辺りはあまり好みでなかったが、第15番の各セクションの鳴らし方は巧い。がなり立てず、キッチリ存在感ある音がしている。なるほどこれでベルリン・フィルと録音したら、というわけだ。

Fifteen Symphonies

Fifteen Symphonies

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この記念ボックスに度々チョイスされていたコンドラシンの全集録音はどうか。というところで、うーん、やっぱり演奏時間以上に忙しない気がする。この解釈が曲にハマったときは壮絶で鋭く、恐ろしい演奏になるのだが。もう全集のCD再発は⋯配信で聴けるから、どうなのかな。

(2020/7追記)全集リンクでも全曲聴ける上に、単体で正規配信されている。配信し直している⋯と願いたい。
(2023/7追記)記念ボックスも全集も配信再開。


第10番と同様、長らくCD化されていなかった音源。スプラフォンから、フランティシェク・ヴァイナル指揮チェコフィルの演奏。人がLP見つけたら配信ですよ。第10番はちょっと厳しかったが、この演奏は悪くない。管楽器が割と野太く野暮な音を出していて、それがこの曲の朴訥な魅力を引き出しており、結構好き。


LP時代にもショスタコーヴィチ作品の録音が残っている、ヴァフタング・ジョルダニアの比較的新しい録音(Angelok)。全集にするつもりだったのだろうか。サラッとした解釈で、メリハリに欠ける部分はあるものの、気取らず聴ける。カップリングが「『黄金時代』組曲」とは、狙っているのか。


CHANDOSで映画音楽集を録音しているシナイスキーのBBC Music Magazine付録の演奏。そこで培ったアプローチが功を奏しているのかは知らないが、オケを鳴らした効果抜群の演奏。第2楽章、第4楽章をこういう風に派手派手しく魅力的にできるんだなと感心した。
www.discogs.com



今後は紹介しきれなかった音源、交響曲以外の録音をまた番外として話題にしたいと思う。第15番を聴こうがヴィオラ・ソナタを聴こうが、まだまだ終わりにしたくない作曲家です。

(2020/3追記)話題を少し広げて、細々やってます:

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