新生メロディアがショスタコーヴィチの生誕”110”周年を記念して発売した交響曲全集ボックス(10枚組 MEL CD 10 02431)から、今回は交響曲第11番の話です。後半残り4曲です。このボックスは、現在音楽配信サイトSpotifyでも無料配信されています。どうもCDがプレミア価格になっている様子なので、まずは配信サービスを利用して試聴したほうがよいかもしれません。
(2023/7追記:各種リンク、目次や見出しを追加・修正)
(2020/7追記)MelodiyaがSpotifyなど、サブスクリプションでの音源配信を停止した様子。※NMLのニュースも参照)。この第11番はもっと広めたかった。
(2020/9追記)記念ボックスはSpotifyの配信が再開! 当然この第11番も。やった! もっとこの録音を聴いて! ※NMLの配信停止は継続。
・序のリンクはコチラ。
・各交響曲へのリンクはコチラ:
ショスタコーヴィチ入門・第11番と革命歌(家)の時代
映画音楽で培われたテクニックと標題音楽、わかりやすさ・明快さが融合した規模の大きめな交響曲、それが第11番ではないだろうか。ショスタコーヴィチの交響曲では第5番と第9番のカップリング、そして第7番、第1番あたりが定番・入門として世間的に紹介され、販売されているように見受けられる。だが「とっつきやすさ」を考えたときに、この第11番もなかなか捨てがたい、と私は思っている。第11番を知ることが、ショスタコーヴィチやクラシック音楽を知る際に特段「マニアック」な域ではなく、もっとメジャーな楽しみになって欲しい⋯というのはファンの贔屓目か。
そう書きたくなる交響曲第11番で特徴的な要素の一つが、「革命歌」の引用を中心とした、メロディの親しみやすさなのだ。後の第12番も標題音楽としてそういった共通点はあるが、第11番では特に顕著だ。この要素が第11番の演奏時間が長く、冗長な印象を軽減しているように思う。
ちなみに引用された革命歌の原曲が同じく新生メロディア発売のアルバムに一部収録されている。『世界革命の歌1』だ。こうした原曲を聴いてみるのもこの趣味ならではの楽しみだ。ロジェストヴェンスキーの指揮するインストゥルメンタル版『インターナショナル』(ステレオ収録)も聴き物。ちなみに『歌2』は世界各地の革命(歌)が中心になり、趣向が異なるので注意。
ところで第11番で引用されている革命歌を、私はショスタコーヴィチに興味を持つまでロクに聴いたことがなかった。当然歌ったこともなかった。それが貧相な人生経験であるかどうかは何を言われても結構だ。
だがこれらの歌が日本においても歌われ、「なつかしさ」を感じる世代がいることを評論家、いやここではクラシック音楽コレクターの俵孝太郎が『CD ちょっと凝り屋の楽しみ方』(コスモの本)で述懐している。
どういう世代かというと、察しのいい御仁はお分かりだろうが、「戦前の左翼運動をした生き残り」から「全共闘世代」のことである。そして第11番はやはり「古い革命歌のオーケストラによる大メドレー」と俵孝太郎も評している。
俵孝太郎は大学の国際組織に属している際、用心棒として立っていた宮本百合子の葬儀で革命歌『同志は倒れぬ』を聴いたとのこと。現在の俵孝太郎を知っていると、日本共産党との接点に妙な可笑しさを感じる。一方で知識や情報の収集に躍起になりがちな昨今、音楽がそんなエピソードで結びつき語れるところに、私などはある種羨望の眼差しを向けてしまう。
ボックス収録の録音について・ディスコグラフィ
記念ボックスに収録されている音源は、このボックスで初出のコンスタンティン・イワノフ指揮:ソヴィエト国立交響楽団の演奏。ハッキリ言ってこのボックスの目玉、いや大げさと言われようが、必聴の演奏。一連の記事、『序』の際も書いたが、何度でも書いておきたい。ひょっとしたら演奏家情報の真贋を疑われているのかもしれないが、そんな情報なんぞどうでもよくなる凄演。ショスタコーヴィチが好きでこの演奏を聴いていない、話題として触れていない人はモグリ。いや聴く機会は人それぞれだし、そんなくだらないレッテル貼りはしない。でもやはり、ぜひとも聴いておいて欲しい演奏。配信もあるし、ショップを漁らなくとも聴ける、この時代に見つかったこの音源を聴いていないのは、もったいない。
1965年のライブ録音で、状態の良いステレオ。これも過去の記事から繰り返しの情報になるが、録音の雰囲気はムラヴィンスキーとレニングラード・フィルがモスクワ音楽院で行った同年の有名なライブ録音と非常に似ている。その研ぎ澄まされた録音が曲と演奏にマッチしている。場内の咳やざわつきは、臨場感として個人的にマイナス要素ではない。
第1楽章の仄暗さから第2楽章への盛り上がりと爆発。耳をつんざく金管楽器、弦楽器のうねり。打楽器の響きも胴に入っている。そして期待を裏切らない「血の日曜日」のテンション。こんな音源残ってたのかよ、と新生メロディアに感謝したくなる。ときに過剰で暴力的でありながら、メロディその他の魅力を忘れていない冷静な音楽の運びが光る。第3楽章から第4楽章で繰り返される音楽の静と動、特に第4楽章中間部以降の振幅に引き込まれる。いろんな演奏を聴き比べ、楽しむコンセプトでこの記事もやっているつもりだが、この演奏を聴くと「当分第11番はいいかな」と満足してしまう。第11番を供給過多した音源、などと書きたくなる。
(2020/7追記)配信音源がなくなったので、興味が湧いたらぜひこの記念ボックスを購入して聴いてみてほしい。
(2020/9追記)めでたく記念ボックスはSpotifyの配信が再開されたので、購入の前にまずは聴いてみてほしい。
この記念ボックスの音源を聴くとムラヴィンスキーがレニングラード・フィルと残した2種の名高い録音(1959年スタジオ:メロディア他、1957年レニングラード初演ライブ:Venezia、Russian Disc他)も、録音の状態含めて、正直言って分が悪い。ムラヴィンスキーのショスタコーヴィチ解釈の柱である鋭さや冷たさ、引き締まったテンポは第11番でも健在で、好きだ。だが、前述の標題音楽の魅力、ひいては「革命歌大メドレー」として第11番を捉えると、もっと弾けた、おおらかな解釈を望んでしまう時がある。
※1959年スタジオ録音:
※1957年ライブ:
※同ライブは『Evgeny Mravinsky Edition Vol. 4』(Profil)にも収録・配信されており、音源の入手や鑑賞はもう困難でも何でもない。そういったエンターテイメントに徹した解釈を現代でやっている演奏はちゃんとあって、マリス・ヤンソンス指揮ロンドン・フィルはもっと評価されても良い音源かと思う。音楽の節々で切る見得がよくハマっていて、普段第11番を聴くのであればこのくらいが心地よい。オーケストラの技量も問題ない。
デプリーストの指揮も巧い。ヘルシンキ・フィルとの旧録(DELOS)。整然とした音楽の中に、たまにグロテスクな響きが入り、聴いていて「おっ」と思う瞬間がある。こういう比較的新しい音源にそんな解釈の余地が残っているのを聴くにつけ、ショスタコーヴィチの音楽は現代にも通じるのだな、などと実感してしまう。
第2楽章、「血の日曜日」の場面はこの曲の聴きどころだが、そこに特化した話題で出てくる音源2種。ネーメ・ヤルヴィとロジェストヴェンスキーが指揮した音源。ヤルヴィが超高速でロジェストヴェンスキーが超低速。両指揮者ともこの箇所以外は颯爽とした癖のない表現で、色んな演奏を聴いていくと案外聴かなくなる音源だったりする。ロジェストヴェンスキーも配信が充実してほしいなあ。
ピアノ・デュオ版が2018年に発売され、配信でも既に聴ける。CDを購入せずとも全曲聴けるとは。配信万歳。第1楽章の陰鬱な雰囲気は聴ける。ただ、全体として第11番はオーケストラが演奏したほうが映える曲かな、という印象。併録の『タヒチ・トロット』が気楽に楽しめる。
(2023/7追記)配信に喜んでいたら聴けなくなってしまった。大変残念。
次回は交響曲第12番です。