この時期の書店には「社会人の教科書」・「~が1年目にやっておくべきこと」といった類の本がずらっと並んでいる。古書店の実店舗でも同様の光景を見かける。おそらく新生活の前に、あるいは新生活を迎えた人々が多く手にとっているのだろう。私自身もその一人だったし、今でも「最近の人はどういった姿勢で仕事に臨んでいるのかな」と確認するために新刊を読むことがある。
それにしても、それらの本の内容で今だに満足いかない項目がある。職場での人との付き合い、特に酒の席のことだ。特にこの時期、仕事への取り組み方云々よりもそれら”人付き合い”に不安になる向きの方が少なくないのではないか。
会社に入って早々、歓迎と称して大小様々な会が開かれる。同期や社会人となった友人・知人と酒でも、という機会もあるはずだ。もちろん、先輩・上司に誘われることもあるだろう。
そんな案外重要な事柄を巷の本では妙にアッサリと、スタイリッシュに片付けがちではないか。「会社の人とは仕事での接点を探そう」、「時間外は普段付き合いのない人と交流しよう」、「社内以外のネットワークを意識して、会社の同僚とはなるべく飲みに行かないようにしよう」等々⋯⋯もちろんそれらが悪いとまでは思わない。ビジネスの一つの感覚だ。だが必要なのは、今直面している「参加することになった人付き合いをどう過ごし・振る舞うのか」、その心得なのだ。
少し古い本だが、そんな酒の付き合いや人との関わり合いを中心に書かれた『社会人心得入門』(著:山口瞳 講談社+α文庫)がある。今回はこの本の引用を交えた話をしたい。著者は直木賞作家で、出版・広告とれっきとした社会人経験のある作家だ。他にも有名なビジネス書がある。この類の本では「〇〇(元)社員」といった著者のキャリアが書かれていることが多いので、一応書いておこう。
- 作者:山口 瞳
- メディア: 文庫
この本の酒席・付き合いに関する記述は、「酒はやるな」「付き合うな」といったハードルから入らない所が良い。そもそもサントリーの新聞広告用文章である。酒に関する悪印象から入るわけがない。その上で「とにかく飲め飲め」という話で終わってないから得心が行く。なお念の為書いておくが、酒が体質的に飲めない人は、絶対に酒を飲まないでください。
「酒の席は品性を向上させるための道場であり、戦場」(戦場とは大げさなようで、感覚として個人的にはよくわかる)であり、だからこそ若い人は「酒の上の失敗を恐れるな」と書いた上で、
ただしそれは、その根底に、礼儀正しさと謙虚さがあるかぎりにおいては、という話しになる。
と、こんな調子の文章で毅然として諌めてくれる。一方で社会人を経ると、茶目っ気ある下記引用も一層「わかる」のではないだろうか。
ただし、ひとつだけお願いがある。酒場では静かに飲んでくれ。一気飲みなんかで騒いだり暴れたりしないでもらいたい。一日の疲れを癒やすために一杯のハイボールを飲みにきている大人のサラリーマンもいるのだから⋯。
「大人のサラリーマン」といえば、酒の飲み方指南も洒落ている。”経験者は語る”酒のペースとして参考になると思う。こんな付き合いができる人と出会いたいし、そうありたい。
銀座の酒場で、どうやってウイスキーを飲むかと相談されたら、僕はこう答える。最初の一杯はストレイトで飲む。次の二杯はハイボールか水割りにする。合計三杯でやめ給え。これだけの心得があれば、ゆったりとした気分で銀座を歩ける。
またこれは酒の席に限らず実感することがあると思うが、
ただひとつだけ、卑しい人間になるな、と言いたい。コソコソするな。思いやりのない、無神経な人間になるな。
酒場での作法だって同じことだ。僕が言いたいのはただひとつ。卑しい酒を飲むな!
前述の酒の上での失敗、酒の席だから何をしてもいいわけではない、そんな戒めも有り難い。
陰でグチをこぼすだけで、会議になるとうつむいてしまって、一言も発言できない人の数もかなり多いのである。
そういう会社員になってもらいたくない。
会議では発言しないと意味がない、この手の本で書かれている心得がきちんと繋がっている。そんな文脈を見つけられて嬉しい。
時代がかかった記述のようで、現代に通じる感覚を捉えていて、はっとすることが多いのがこの本の特徴でもある。
二十代の社員には、私たちのやれなかったもっと別な新しい道があると思う。それは、端的に言ってサラリーマンがサラリーマンにならないという方向だと思う。
”働き方”について昨今議論はつきないが、既にポジティブな記載があって著者の先見の明に感服する。転職が後ろめたい、という風潮が残っていた時代に、キャリアを積み重ねていたからだろう。この本の文章は大体20~40年以上前の物。著者の社会人生活はそれより前だ。
そんな著者は「自分の会社の悪口は、どんなことがあっても言うな」とも言う。古臭い、月並みな意見だろうか?
なぜならば、自分が損をするからである。悪口を聞いた人は、なんだ、そんなつまらない会社で、そんなつまらない上役につかえているのか、馬鹿だな、お前は、と思うだけである。
最近SNSを巡回していて、上記引用ままの感想を抱く発言・発信を見ることがある。
そういった発言・発信については、酒にまつわる心得でも同様だが、社会人として大事なものの意識が抜けているのだと思う。
会社勤めで何がものを言うのかと問われるとき、僕は、少しも逡巡することなく「それは誠意です」と答えている。
こう答えられる仕事をしているか、あるいは仕事に就いているか。そんな問いかけも、図らずも酒のように味わい深い。
こんな調子で、今読んでも得るものが多い本なのだ。冒頭で書いた通り、この手の本は書店での新陳代謝も激しい。どれを読んでいいか迷うこともあるだろう。だが機会があれば読んでもらいたい、”古くて新しい”本である。
※ちなみに社員旅行の宴会で、重役が流行歌を率先して熱唱するエピソードが紹介されている。重役は事前に家で猛練習するのだ。「宴会芸は全力でやれ」⋯この手の本で、そんなことが書いてある本読んだなあ。種本になっているんだな、とニヤリとできる。そんな楽しみ方もできる、古典的な優れた内容の本である。