デジタルエンタテイメント断片情報誌

デジタルな話題もそうでない話題も疎らに投稿

海外から見た日本の日常を読む

ここ最近、日本だけでなく外国のことを気にしている。特にヨーロッパやアメリカの話題に触れる機会が増えた。とは言え人々の生活、日本との違い、外国から見た日本⋯⋯もっと身近な、生活に即した視点から知りたい。気恥ずかしいが平時はどうも目が行き届いていない。

だが例えば自分の趣味の範囲で映画『GODZILLA ゴジラ』(2014)を観ても、この作品に登場する日本の家屋には違和感を覚える。こうしてネットが当然になった現代においても、「まだ日本のイメージってこんなものなんだなあ」と言わざるを得ない。そしてそれは私のイメージする「外国」にも多分に言えることではないかと思っている。

GODZILLA ゴジラ(字幕版)

GODZILLA ゴジラ(字幕版)

  • 発売日: 2015/02/25
  • メディア: Prime Video

イギリス人が電車で相席すると天気の話題から始める、そんな内容の英文を学生時代に読んだ。受験頻出の名文だったらしい。ただ当時からして既に有名過ぎたのか、試験問題で見たことはなかった。実際に現地で内容の事実確認したこともない。


そんな私なので、海外在住、旅行ブログを読むのが好きである。中には自分のブログを読者登録している方がいて、恐縮だが楽しく読んでいる。そして”日本通”の日本、アメリカ、イギリス生活記が興味深い。『「ニッポン社会」入門 英国人記者の抱腹レポート』(著:コリン・ジョイス 生活人新書)を始めとした著者の一連の新書がそうだ。

これらの本に登場する日本やイギリス、アメリカ社会の話題は手探り感満載だ。著者と、著者と話している日本人、どちらの心情もありありと思い描くことができる。

彼はぼくが「よろしく」と挨拶すると、”I am pleased to meet you”(お会いできてうれしいです)と完璧な発音で返答してくれた。ぼくは彼が英語を流暢に話せると思い込み、家族との会話の間、何度も彼に助けを求めた。やがて、ぼくは彼が話せる英語はたった一言だけだと理解した。


花見を素晴らしいと讃えた上で、著者の日本文化理解と人となりに親近感を抱く。

また花見は、新入社員に会社とはいかなるものかを教える上でも打ってつけである。「あそこに行って、仕事が終わるまで席取りをしてきて」と命じられることは、新入社員に組織がどのように動くものなのか、新人の才能はどのように活用されるものなのかを一瞬のうちに理解させることだろう。

ふだんから、ぼくが嫌いな酒の飲み方というのは、昼間から飲むこと、無理に飲まされること、わざと飲みすぎて大声を張り上げることなのだ。春の上野公園に行ってみるといい。どうしてぼくが、花見の席の酒を好まないか、すぐにわかってもらえるだろう。

別頁で”たいていのヨーロッパ諸国では、いまだにイギリス人とフーリガンは同義語だ”と著者は言うが、この箇所だけでも日本、日本人以外に対しても先入観や偏見が横たわっていることを考えさせられる。


アメリカ(ニューヨーク)に対しても著者のスタンスは変わらない。ショップに発音、日本人でも抱きそうな悩みが語られていて何だか安堵してしまう。

「サブウェイ」では手頃な値段でうまいサンドウィッチを食べられる。しかし、パンの種類やら挟む野菜、ドレッシングなど選択の幅が広すぎて、どぎまぎしてしまう。緊張のあまり、つい「ロースト・ビーフにマヨネーズ・ドレッシング、オリーヴ追加。スイス・チーズも入れて」という無難な注文になってしまうこともよくある。事前によく注文を練習しておくことが必要だ。

ここで発音についてひと言。”mocha”は「モカ」と読むらしい。スペリングのchにつられて「モチャ」などと発音してはいけない。ぼくはそれで一度、失敗したことがある。


アメリカ式社交術の頁での一例は笑ってしまった。日本(人)も含めた、あらゆる当事者の立場や意図、心境が一斉に浮かび上がるからだ。

(前略)ある日本人の家族が歓迎会を開いてくれたときのことだ。素晴らしい和太鼓の演奏に、ぼくはたいへん感激したのだが、続いて『小さな世界』、あの陳腐で安っぽいディズニーの歌をみんなで歌いましょうと言われて、せっかくの感激も台無しになってしまった。頭を抱えて、うつむこうとすると、なんとアメリカ人たちは、まるで一二歳かそこらの子どものように、楽しそうに歌いだすではないか!


今、世界の衛生環境、感覚に関心が高まっているかと思うが、著者のこんな憤慨がある。

 また、ニューヨークのレストランのトイレには、「従業員は、仕事に戻る前に必ず手を洗うこと」という掲示が出ている。こんなこと、わざわざ言わねばならないのだろうか。

掲示の写真も掲載されているので、まず本当のことだろう。日本との比較の話をしたいわけではない。読み直して、これほど神妙な気分になるとは思わなかった。


著者の観察眼は、平易でユーモアに溢れていながら後を引く、真摯なメッセージになっているものが多い。最後に日本社会の「和」について、”ガイジン”に向けた一文を紹介したい:

 あなたは日本人読者に向けてエッセイを書いている。あなたは意図的に日本について否定的なことを述べないようにするだろうか。それとも、正直に善いところと悪いところを述べて、自分の主張を理解してくれることを期待するだろうか。

”否定的”を”肯定的”に置き換えても同じことである。そして最近巷で見かける種々の主張を思い出しながら、”正直に善いところと悪いところを述べて”、この箇所に悶々としてしまうのは私だけか。

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