デジタルエンタテイメント断片情報誌

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邦画と特撮、アニメに寄せて 映画『かがみの孤城』の感想

昨年12/23から公開の映画『かがみの孤城』を観てきたので感想です。細かい内容は列挙しませんが、一応ネタバレありです。原作はヒット小説ですので、既にストーリーを知っている方も少なくないでしょう。実写ではなくアニメ、という点にも期待していました。

※画像をタッチ・クリックすると予告編(YouTube)が再生できます。

原作を読んだ上での鑑賞・感想ですか? 答え:いいえ

原作小説を読んだことはありません。メディアミックスにも様々な戦略があるのでしょうが、個人的に映画は映画、原作は原作で作品が一本立ちしていると嬉しいです。その上で各々異なる味わいや楽しみが得られると最高です。「小説を読んでいればこのシーンの意味がわかる」、といった補完の関係で終わってしまうのはやはり寂しい。本作はどうでしょうか。そのあたり話題作の映画化ということもあり、映画が面白ければ小説にも触れてみたいです。映画公開前は既に古書でずらっと並んでましたが、再度人気が出ている様子。

映画『かがみの孤城』の感想

SF要素、ファンタジー要素はあるが、設定等は深く気にしない方がよい作品。鏡の存在を始め、突然何が起きても「ははあ、そういう世界なんだ」と思って、割り切って観た方が楽しめる。何より作品の主眼がそこではない。主人公を軸として、鏡の向こうの”城”を通じて明るみになっていく彼女達の現実と、再び歩み始めた先は果たして如何に、という作品である。

特に主人公の境遇は浮ついたところのない、リアルで生々しいものだ。細部は異なれど、これこそ私と同じ体験、という向きも決して少なくないのではないか。自身が当事者でなくとも、同じような悩みや出来事を世のニュースで知ったり、身近で起きたことがあれば実感が湧くし、想像は容易だと思う(そうであってほしい)。城が話の中心だとタイトルで思わせて、物語を動かす、未来を左右するのはそうした彼女たちが生きる現実世界の出来事であり、行動である。この辺りの構成はちゃんと筋が通っている。

ただこの構成故か、残念な点が少しある。まず城での鍵探しの過程がイマイチ映像映えしない、あまり面白味を感じないのだ。種明かしのきっかけは古典的で悪くないが、全体的にかなり地味で素っ気ない。原作通りなのかもしれないが、時間の経過ばかり強調されて、行動としてあまり画になっていない。台詞で片付けている箇所も見受けられる。冒険もの要素を期待して鑑賞すると肩透かしをくらうだろう。彼女達にとって、現実世界から離れて仲間と安寧に過ごせる時間・場所が貴重なのは理解するが、舞台装置としてはこざっぱりし過ぎた感がある。

次に主人公のこころ以外の6人の境遇については、ややバランスを欠いた描き方だったと思う。数合わせ気味に存在する人物もいる一方で、ストーリーの核心に迫る人物については、もう一押し人となりを細やかに描いて欲しくなった。映画という尺の問題もあったのかもしれない。ラストの流れは悪くないが、全員を描くがためにかえって薄味で駆け足気味になってしまった。前述の通り、城での鍵探しがメインの展開でもなく、個々の特性を活かす場面が印象に残るような作品ではない。せっかくの世代と学校という繋がりの妙味がもったいなかった。最近の映画で定番とも言える、ノスタルジー要素もそつなく挿入している。これが終盤の種明かしにも関係しており、単なる幅広い層へのウケを狙っているだけでないのは好感が持てる。それだけに繰り返し観て登場人物の人となりを再発見したり、したくなるには少々物足りない出来になったのが惜しい。

キャストの演技は気になる箇所はなく、全く問題ない。音楽は無駄な音響なく、可もなく不可もない。映像面は高い水準で普通。昨今のアニメ映画ならこの位は当然、というクオリティ。アニメならではの派手な演出は少なく、作品を忠実に再現することを意識したものではないか。余談だが、作中で「可愛い」と評されるキャラクターとの差別化、老若男女の表現はまだまだ難しいのだなと感じた。アニメ化に際しての問題点かもしれない。脇役含め、全員可愛いキャラデザだと思った。


公開時期を考慮して改めて書くと、冒険もの、スカッと何かを発散するような作品ではない。じっくり鑑賞するタイプの作品だ。映画単体としてはやや不満だが、原作も気になる内容になっているとは思う。機会があれば読んでみたい。


邦画と特撮、アニメに寄せて 映画『ぼくらのよあけ』の感想

10/21から公開中の映画『ぼくらのよあけ』を観てきたので感想です。事細かには書きませんが、ネタバレは一応ありです。最近この手のSF、宇宙物をよく観ている気がします。

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原作を読んだ上での鑑賞・感想ですか? 答え:いいえ

原作を読んだことはありません。実は原作を知っていて鑑賞するアニメ映画はほとんどないです。原作の下調べ、ヒットしているのかどうかもあまり気にしません。小説だろうがコミックだろうが、何か光るものがあって映画化されたのでしょうから、まずは映画として面白ければ問題ないと思います。

映画『ぼくらのよあけ』の感想

現代と変わらなそうで結構進んでいる、ちょっとありそうな未来が舞台。それでいて寝坊したり、慌てたせいでベッドから落ちたりするのはアニメや漫画の古典的な表現だ。こういった表現に関して、本作は破綻なく進む。よく言えば落ち着いた作品、悪く言えば没個性だ。これといって目を見張るようなシーンはないと思う。

前述の未来世界に加えて、メインとなる”未知との遭遇”も映像や展開のインパクトで押さない。特に中盤以降の、宇宙への帰還に至るまでの障壁を乗り越えていく様に手に汗握ることはない。役に立つ”ガイド”もいるし、どうにも予定調和が過ぎて冷めてしまう。

その中にあって、同級生・真悟の姉の存在といじめのエピソードがストーリーの本筋に対して物凄く雑味に感じる。正直アクセントにもなってなくて大いに疑問。下衆の勘繰りだが、一頃見かけた”学校生活の生々しさ”描写を入れてウケを狙ったのか、とすら思う。そういえば団地という舞台や平成初期・昭和を意識した映像の挿入といったノスタルジーを煽る要素もその一環か。

宇宙の問題に比べれば人間関係・いじめの問題など、些細なはずなのに我々は日々悩み、解決できていない。明確な解法もない。意図としてその程度は読み取り、想像はする。劇中で仲直りして、解決してハッピーエンドにしてくれ、というわけでない。作品の方向性に対して、不要だったと思えるくらい、添え物の程度の浅い踏み込みなのが問題なのだ。その上最後までエピソードが何となく影を落としてしまうのでタチが悪い。このエピソードを覆すような展開もカタルシスも途中ないのだ。それなのにロクに後日談すらない。つくづく必然性を感じなかった。

これを映像化するくらいなら他のメインキャラの造形や胸に期するものを描く時間に割いたほうがよほど感情移入できたと思う。そもそも6年の銀之介のキャラクターは希薄だし、前述の真悟にしても姉との関係を描くならもう少し背景にスポットを当ててよかったのではないか。真悟は一度メンバーから離脱するので尚更そう感じる。かつて断念せざるを得なかった親たちの存在と行動も同様だ。敢えて真悟が団地の屋上から落ちそうになるイベントをきっかけにしなくても別なアプローチができただろうし、子供と協力してもう一度⋯といった展開が中盤の盛り上がりに寄与することも考えられただろう。

そして何より、オートボットとの出会いと別れを表現するに、それら過去から現在へのリンクを劇中でダイジェストでしか描ききれていないのが痛恨。科学的な知識や小ネタは楽しめたが、これでは帰還に至るまでの過程を見せられても感動に至らない。映画の尺の都合でこのような中途半端な描写になったのなら残念だが、もしこれが原作通りとしたら、原作の技量に問題がある。

そんなところで最後は宇宙に帰れてめでたしめでたし⋯なのは予期していたが、どうも釈然としなかった。


映像、音楽面は普通。高いレベルで最近のアニメ映画のクオリティは満たしている。キャストの演技も特に不満なし。だがどうも映画を観ただけでは、もう一度観たい、原作を読んでみたい、とまでは思わせてくれなかった。

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邦画と特撮、アニメに寄せて 映画『僕が愛したすべての君へ』と『君を愛したひとりの僕へ』の感想

10/7公開の映画『僕が愛したすべての君へ』と『君を愛したひとりの僕へ』(公式サイト)を観たので感想です。詳しい展開やあらすじを書いたりはしませんが、一応ネタバレあり。2作同時公開で、どちらから観ても楽しめるというコンセプトに興味が湧きました。あの手この手で映画館に足を運ばせたいという姿勢には、大いに乗りたいと思います。

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原作を読んだ上での鑑賞・感想ですか? 答え:いいえ

原作については読んだことはありません。まずは映画として面白いのを期待。

あとは感想でも触れますが、観た順番について軽く書いておきましょう。『君を愛したひとりの僕へ』→『僕が愛したすべての君へ』の順で観に行きました。理由は単純、『僕が愛した~』がビターな話で、『君を愛した~』が甘い話と宣伝していたからです。確認のため鑑賞するときに、甘い→ビター→甘いの順番で観られます。これが上手くいったかは感想で。

映画『僕が愛したすべての君へ』と『君を愛したひとりの僕へ』の感想

世界観や科学の魅力に終始するのではなく、人間の意志や生命の尊厳が物語の根幹をなすという、言わばSFの古典的、正統派といえる”お約束”をちゃんと守っている作品。

最初に鑑賞した『君を愛したひとりの僕へ』は若干粗雑な内容に見受けられた。並行世界へ導かれるきっかけなど、もう「この世界はそういうものなので」という具合で話が進んでいく。ヒロインのキャラクターも今一魅力が伝わってこない。主人公が執着する心情は理解するが、もう少しエピソードを積み重ねて欲しかった。幽霊としての存在も希薄だ。甘さよりも、作品として緩い作りに感じた。その点でヒロインとの交流は、『僕が愛したすべての君へ』の方が人生として興味ある描き方だと思う。親としてのヒロインの行動も大いに共感できる。

鑑賞の順番としては、『君を愛した~』→『僕が愛した~』で観た方が感動の度合いは大きいと思った。上記の理由に加え、『君を愛した~』の仕掛けが炸裂するのは『僕が愛した~』である。おそらく反対の順で鑑賞するとラストの印象が全く違う。加えて、『君を愛した~』が今一の内容なので続きを観たくなるか疑問なのが惜しい。

惜しい点と言えば、最近の他のアニメ映画にも言えるが、台詞に頼ったシーンが多々見受けられることか。並行世界の解説も、新たな展開のきっかけも、映像作品だからこそ原作(小説)ままに台詞だけで済まさないで欲しいとつくづく思った。もちろん小説ならば、読んで想像・理解するところだ。用語が飛び交うが、そこまで理解しがたいわけではない。せっかく伏線としてのインパクトや見せ方として使い出があるはずなのに、ストーリーに抑揚がなく一本調子に映ってしまうのだ。台詞の話とは関係ないが、両作に登場する、身近な祖父の存在と死もあまり効果的なエピソードでなかったように思う。


映像面は普通。最近のアニメ映画にしては可もなく不可もない。やや『君を愛した~』の作画がのっぺりしているか。この点についても、順番で観た時の印象にかかわるので頑張って欲しかった。キャストは作品の内容に沿った配置で文句はない。音楽については特に印象がない。音楽で劇中の感動を促すには、正直厳しかったように思う。

作品として平凡な箇所がやや気になるものの原作にも興味が湧いたので、映画共々、何かの機会に思い返すことがあるかもしれない。



映画『夏へのトンネル、さよならの出口』の感想 邦画と特撮、アニメに寄せて 

まだ体感的に夏が少し残るこの頃、9/9公開の映画『夏へのトンネル、さよならの出口』を観てきたので感想です。詳細にストーリーを書いたりしませんが、一応ネタバレありです。予告を映画館で観て興味が湧きました。

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原作を読んだ上での鑑賞・感想ですか? 答え:いいえ

原作がある映画は必ずこのトピックから入りますが、小説は読んでいません。映画は映画として面白いものが観たいです。だから原作は漫画でもライトノベルでも何でも結構。むしろ映画を観た後に原作に興味が湧く作品を求めているのですが、なかなかそこまで⋯という感じです。本作は果たして。

映画『夏へのトンネル、さよならの出口』の感想

まず時間が重要な要素の作品だからなのか、全体を通じて作品世界の雰囲気、空気を大事にしていて好印象。特に映像・演出がはしゃいでなくて、安心して観られる。もちろん内容に沿った激しい動きや場面転換はあってよい。だが動かすことがアニメーションの使命だ、と言わんばかりに目まぐるしいだけなのは勘弁したい。その点本作は堅実な画作りが作品に大いに寄与していると思う。昨今流行りの他作品で見かけたような演出も間々あるが、ちゃんと咀嚼している。クドくなるギリギリなのだ。個人的に既視感よりも丁寧な印象が勝った。目立たず地味にアニメーションらしい、ならではの表現を上手く使い分けている。

例えば梅雨時から物語が始まるが、カラッとした天気の場面は少なく、曇り空に雨が降り、水に濡れる場面が印象に残る。夜の場面も多い。だからこそ後半の鮮やかな向日葵の演出は映えるし、シーン含めてベタでも胸がときめく。おそらく原作通りなのだろうが、メールでのやり取り、文字・文章も観客をスクリーン、ひいては物語に引きつける役割をちゃんと果たしている。携帯電話の進歩も作品の大事な仕掛けだ。こういうところが目に留まり、褒めたくなる作品なのだ。

物語の中心になるウラシマトンネルについては、正直SF要素を気にして前のめりになって観るほどのものはないと思う。ここを考察したり、ツッコむのは無粋だろう。主人公とヒロインが心を通わせる模様がメインで、前述の要素は割り切ってみたほうが気軽に楽しめる。主人公とヒロインもアニメ的・漫画的な性格や特徴を散りばめつつ、想像より地に足がついたキャラクターのため鑑賞する上で余計な不快感がない。ニヤニヤ、ニンマリしながら観ればよい。リアル過ぎずファンタジー一辺倒でもなく、このさじ加減が近年アニメ映画で度々観た同様のボーイ・ミーツ・ガールより巧いと思った。

初めは底知れぬ目的のため共同戦線を結んだはずが、実は現実の中でなし得ることを求めていたに過ぎないヒロインと、どうあっても現実では不可能なことを求める主人公。二人がウラシマトンネルで得たものは、長さは違えど時間だった。それもお互いのための。そこに二人が出会った意味があるとわかって、ようやく結ばれる。このラストもつい「無事現実世界に戻ったものの、結ばれることなく⋯」、「ウラシマトンネルの正体は⋯」といった方向を考えてしまいそうなものだが、そういう作品ではないのだな、とホッとするような余韻が本作の肝なのだろう。


そうして鑑賞後に入場者特典で楽しめるのが、これまた憎い。入場者特典が有り難いと思ったのは久々だ。現時点で入りは盛況という感じではないが、これを貰うのと貰わないのでは作品の味わいが違うので、観に行くのなら貰えるうちにおすすめしたい。グッズといえば、ビニール傘も鑑賞後はクスッとしてしまった。これは原作を知らなくてよかった。いつか原作も読んでみたい。


『ガールズ&パンツァー』関連物落ち穂拾い その21 10周年とこれからと

百聞は一見に如かず。作品でアレコレ騒ぐのは観てからにします。これだけ間が空いたらね。というわけで10周年イベントの情報がやっぱり先に発表になってしまった『ガールズ&パンツァー最終章』。果たして続報はあるのでしょうか。一旦雑談しようと思います。いやだから『最終章』最新作公開は何時なんだ。

放送10周年を記念した大規模展覧会が開催決定

目ぼしいイベントこれくらいしかないよね、と書いていたイベントが正式に発表。上映会は正直、もう、ね。ハシゴは『最終章』が完結してからでいいかな。気が向いたら1作品くらい観に行くかも。

展覧会は今年の12月開催予定。今のところ東京会場のみ発表。当然入場特典と記念グッズもあり。キービジュアルは大洗女子中心。生徒全員いるかと思ったらあんこうと生徒会以外は車長のみ。集合写真みたいになるから仕方ないか。ページ最下部の麻子さんが良いですね。

概要を読む限りでは、展示はこれまでの振り返りと今後(だってまだ完結してないし)を中心に、作品資料の展示。あとはおそらく最後に物販コーナーがドカンとあるんでしょうな。まあこれは他作品でも同様みたいですね。こう書くと2017年と似たような構成なのでしょうかね。あのときの展示は正直スカスカだったのよ。

当時の記事で最後の物販コーナーをイベントの”化けの皮”が剥がれた、みたいなことを書いていて苦笑。そこまで書いてたか。金を落とすファンが良いファンなのは、多分間違いないのでしょうが⋯。


⋯完結してから集大成イベントまたやるんだろうな。10年で『最終章』まで終わってたら1回で済んだのになあ。

『ガールズ&パンツァー』関連物落ち穂拾い その21 劇画ガールズ&パンツァー

ちったあ活気づいてきた様子なので粛々と。『劇画ガールズ&パンツァー』(著:小林源文 小学館)。ガルパンのコミックとしては一見、異彩を放つ作品。

一見と書いたのには理由があります。まず著者のファンを楽しませつつ、ガルパンファンにも優しい構成であること。これまで著者の漫画を読んだことがなくても大丈夫。でも読んでいると一層面白いという。丁寧な戦車蘊蓄アリ。自分のワールドに強引に引っ張り込むだけではない、懐の深さを感じるところが流石です。そして何より、作品の端々にあるガルパンネタに、実はガルパン本編の魅力に係るヒントがたくさんあるような気がしてならないのがミソです。

例えば走行中に車輛がガクガクして頭をぶつけたりする。血が出なくてもいいけど、そんな臨場感、最近すっ飛ばしてませんか。せっかく複数名で乗車しているのだから、いつもと違う車内描写がアクセントになってもいいのにな、と思うわけです。『最終章』でも登場した寒い試合会場では生足でなくてもいいんだよな、むしろ衣装チェンジの大チャンスなのに⋯。寒さ以外にも、お肌が傷つかないようガードされた格好で戦車戦に臨む生徒がいてもよいでしょう。これなら動きで魅せることができそうです。イベントだけ、グッズだけ盛大にお着替えではなんとも寂しくはないですか。

『劇画~』の中で既に「アニメは全部妄想の産物」「ファンタジー」と書かれてしまっているものの、そういった些細な事柄が積み重なって臨場感ある作品になりうることを改めて反芻したいと思います。


そうそう、あんこうチームの面々が「私たち、ガルパンが終わったら忘れられちゃうかな」「町の活性化につながったし、大丈夫なんじゃない?」なんて雑談する様子も出てきますが、私は地域の話題にとどまらないエポックメイキングな作品だと思い続けて、僭越ながら10年経ってもまだ追いかけています。大丈夫かどうかは、これから次第でしょう。

『ガールズ&パンツァー』関連物落ち穂拾い その20 もうすぐ10周年

順調とは言いたくないですが、今のペースだと今年中、いや9月くらいにはOVA新作が劇場公開でもおかしくなかった『ガールズ&パンツァー最終章』。もう9月はないでしょうね。10周年に合わせて発表だとしたら⋯ギリギリ年内になるかな。そんなところで雑談しておきたいと思います。

10周年って何するの?

今年10月に10周年を迎えるガルパンですが、それにしても一体何やるのでしょうかね。カウントダウンからの盛大に公開、でしょうか。そうだと考えないと公式の情報があまりにも少なすぎて、ねぇ。公開できる情報がない、そもそも(現時点で何も・イベントが)ないのでしょうか。

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今年のイベント・グッズ情報も相変わらずキャラクターの着せ替え大集合で、正直食指が動かない。やっぱり本編に即した盛り上がりが欲しいですね。かといってまだまだ屋外イベントは大々的に発表しづらいでしょうし。さらに戦車を全面に出して盛り上げられるかと言えば、国際情勢的に思わぬ批判を受けかねません。

以前他の記事でも書いたのですが、現実と作品世界の区別がつかないわけでは決してないのです。本編を観てどういう作品かわかっているつもりです。ただ、作品の元ネタとなった国々や歴史から現実世界の出来事を連想してしまい、ガルパンが以前のように楽しめない。この状況は今だ続いているし、いつ終わるのか全くわかりません。

作品の素材はそれだけ近しいものを使っているのがわかっていて、これまでも配慮があったと思います。だからこそ観る方も一層気になるものでしょう。これを「アニメと現実は関係ない」の一点張りで世の人々に問う方が、現況は無神経のそしりを免れないのではないでしょうか。その点で本編含め、公式が今後どういう展開をしていくのか、興味はあります。

『ガールズ&パンツァー』関連物落ち穂拾い その20

ここまでスパンが長いと正直白々しく感じる『最終章』の『10周年です。ありがとうございます。皆様お疲れ様でした本』。まさかファンに制作側の苦心を感じつつ作品に共感してもらいたいのでしょうか。作品世界のああだこうだより、スタッフの名前を挙げつつ映像を語るのが本作の楽しみ方なのでしょうか。ちょっと下衆の勘繰りが過ぎたか。でもそんなことを書きたくなる非公式本。くだらないプレミアがつく前に買うか、公開間隔のせいで値崩れしたときに買うのがオススメ。

知波単学園に関するネタが盛り沢山なのはとても楽しい。ただ各校の勝敗寸評なんて、そんなの戦車の優劣より脚本のさじ加減でしょ、とは言いたい。そうじゃなきゃ主人公側にマーク4なんて出さないでしょう。

うーむ、非公式な本とはいえ、アニメ(OVA)本編が進んでいない状況で関係者の専門的・技術的な話で作品世界の与太話を聞くのは、そろそろ虚しくなってきたかな。繰り返しますが、作品よりスタッフ・関係者の名前や話題が全面に出て欲しいわけではないでしょうから。

内輪で成功と一体感を感じて、とにかくそれを発信する。俺たち(関係者)が楽しんでいるんだからお前ら(ファン)も楽しめ、と。それも今時の作品の売り方なのでしょうかね。彼らが作品の根本的な不満を述べることは決してないというのは、『お疲れ様でした本』に限らずムックやインタビューを読めばわかるわけで。マニアックな話題に夢中になるあまり、作品の本質から目をそらすのはファンとして避けたいところ。まして最近は作品の細部よりストーリーや展開といった大枠に不安を感じているので⋯。そんな不安を払拭する作品の発表を待ちたいと思います。どんな宣伝するのやら。


小説で続きを読む『時守たちのラストダンス』

ようやく『時守たちのラストダンス』(原作:東堂いづみ 著:三萩せんや 河出書房新社)を読んだので感想を書いておきたい。2016年に公開されたアニメ映画『ポッピンQ』の続編”小説”。なので感想は映画を鑑賞していること前提。小説ながら気合の入ったPVもある。

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『ポッピンQ』は東映アニメーションの記念作で、それなりの宣伝や公開規模だったと思うがヒットしなかった様子。素敵なキャラクターデザインに映像面ではダンスも良かったが、内容としてはターゲットの年齢層を絞りきれていなかった。青春・思春期をテーマにしつつ伏線的な面白味も少なく、成人が観ると物足りない、子供が観たら今一楽しめないという具合ではないか。ファンタジーにしても無難過ぎたように思う。ただ個人的には、中学卒業前のメインキャラ各々の悩み・葛藤が大げさでない、等身大なもので好感を抱いた。学校を卒業して大団円ではなく、始まりであるという締めくくりも良かった。成長物としてもう少し対象年齢を上げて踏み込んでも良かったかもしれない。続編を予感させるラストだったので一層惜しいなと思っていた。

ポッピンQ

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その辺りは以前感想で書いたが、まさかこのような形で日の目を見るとは。ファンの、制作スタッフの熱意でここまで辿り着いた作品。私など大したファンでも何でもないが、このような縁があったことにささやかに感謝したい。

『時守たちのラストダンス』の感想

まずメインの5人が高校で再会する場面は映画をなぞっていて胸が高鳴る。ただ、お互いのこと、映画(前作)での出来事に関して記憶がほぼ消えていることに関しては、伏線とは言え少々残念。読めばやはりそうかと思う反面、卒業からの新たな生活なので、もう少し5人一緒の楽しい学校生活、楽しい一時が垣間見える内容を期待していた。メインの5人に新たな悩み・葛藤が生まれるのはわかる。だが、5人各々がそれを持ち寄り再びダンスに向かうという”天丼”ではなく、今度は気心知れた5人と絡んでいくうちに⋯という流れの方が新鮮だし、映画で物足りなかった部分が補われたのではないだろうか。全員揃った場面で吐露するだけではなく、ペア、トリオでの絡みにバリエーションがあってもいいのにと、もどかしい気持ちで読んでしまった。要は映画を前提に、進展した5人の関係性に喜びつつ新たな物語を楽しみたかったのだが、個人的に期待した方向からは外れていた。

もっとも話の展開から、そういったエピソードを挿入するのが難しかったのかもしれない。この辺りが映画と同様、小説のボリュームの都合なのか全体的に駆け足気味になってしまった。特に主人公の伊純には重めのエピソードを入れている。これが軸になるが故に、伊純以外のキャラクターの見せ方が残念になってしまった印象だ。もし映像化があるのならば、この辺りのバランスの改善を願いたい。小説と全く同じ内容でなくてもよいはずだ。映画も単発でなくとも、前後編でも3部作でも、というところだ。

そのメインの伊純のエピソードに絡んでくるレノの正体もやや唐突感があったか。これは仕方がないが、前作からの伏線という面からは弱い。アクション全開というわけでもなく、おそらく映像化しても映えないように思う。痛快さかハートフルか、映画をさらにどっちつかずの展開にした感がある。内容的に、一からやるなら映画を作り直すところから始めるか、前述の通り尺が必要かなと思った。

また改めて文章で読むと、ダンスは映像ありきかなあという寂しさがある。決して小説として表現がまずいわけではない。ただ、作品のウリだった要素なので、上達や団結の過程は絵がついた方が説得力があるように思う。心情描写の面で小説が優れているのは認めつつも、この作品の映像的魅力を再認してしまった。


小説の文章は読みやすい。カバーの絵も相変わらず魅力的だ。だが内容に関しては映画のラストから(勝手に)思い描いた方向ではなかった。今後プロジェクトがどうなるかはわからない。その点からも消化不良だ。僅かではあるが期待する。


映画『白蛇2:青蛇興起』の感想(字幕版)

2021年に日本で吹替版が劇場公開された映画『白蛇:縁起』の続編、『白蛇2:青蛇興起』(字幕版)の感想です。中国では既に『2』が公開されており、日本では2022/6時点でNetflixが独占配信中です。『縁起』が当初U-NEXTで配信開始だったのに対し、何だか商売としてチグハグな気がしますが、まずは観られることを喜びましょう。色々と事情があるにせよ、私の関知するところではありません。

実は『2』の劇場公開を楽しみにしていたのですが、昨年12月に配信されていたことを知らなかったのと(何たる情報音痴)、『白蛇:縁起』が良かったので待ちきれず観ることにしました。ちょうど『縁起』のBlu-rayが今年5月に発売されましたし、そんなファンも少なくないかと思います。中国映画のイベントで『縁起』も再上映の機会が多いことですしね。

今回の感想はネタバレありです。ただ、感想に行く前に『2』を観るにあたってのガイドを挟みました。いきなり『2』を観てよくわからなかった、という御仁がいそうだからです。

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『白蛇2:青蛇興起』を観る前に

既に配信されてから半年が経っており、今更だが『白蛇2:青蛇興起』鑑賞前にやっておきたいことについて書いておこう。これから観る人、もう観てしまった人、どちらにも向けて。実は後述の感想にも関係しているからだ。

  • 『白蛇:縁起』を観ておく

やはり続編なので、前作は観ておきたい。いや、観ておいた方がよい。登場人物、ストーリーも続いている。今なら『縁起』もディスク・配信揃っている(U-NEXT以外でも配信中)。

  • 『白蛇伝』について知っておく

前作『縁起』も同様だが、作品のベースとなった『白蛇伝』は中国ではポピュラーな民話だ。ドラマに映画と、実写で何度も映像化されている。だが日本では正直知名度が高いとは言えないのではないか。少々残念ではあるが、『2』はこの『白蛇伝』と周辺情報を知っていた方が楽しめると思う。ちなみに前作『縁起』はさほど知らなくても大丈夫(だからこそヒットしたとも考えられる)。なので手っ取り早くWikipediaや青空文庫で『白蛇伝』を調べておこう。中国語版のWikipediaも充実しているし、青空文庫の『雷峯塔物語』(著:田中 貢太郎)は『2』を観る前にはうってつけだと思う。


また手前味噌だが、当ブログで以前『白蛇伝』を知るための記事を書いており、その他の文献についても紹介している。よければこちらも。

『白蛇2:青蛇興起』の感想

まず本作は作品のベースとなっている『白蛇伝』を大まかにでも知っていた方が楽しめると思う。前作『白蛇:縁起』がそういった知識がなくても楽しめる構成・展開だったのに対し、本作の冒頭は続編でありつつ『白蛇伝』の流れも汲んでいる。中国で上映するなら配慮は不要かもしれないが、日本だと前作を観ていても戸惑う向きが少なくないのではないか。

特に”宣の生まれ変わり”に前作の主人公、宣のような活躍を期待していると大いに落胆することだろう。出番がほとんどない上に大変情けない姿を晒している。実はこの姿が本来の宣(『白蛇伝』では許宣)に近かったりするのだ。少なくとも日本で読める『白蛇伝』の文献では同様の印象を受けるはずだ。例えば許宣が白の正体を疑ったり、『2』でも登場する法海にすがる姿はいたたまれない。

前作を観て妖怪の白や青が人智を超えた存在であることはわかった、だがそこにあって宣の存在が重要な位置を占めていたからこそ光るものがあった。その流れで『2』で冒頭から”原典に忠実”な展開を繰り広げられると、期待が外れるだけでなく作品に対する疑問や不安が湧いてくるというものだ。そしてその第一印象は残念ながら覆されることはなかった。本編の感想から外れるが、日本で吹替キャスト込みでの集客を狙うとしたら、これでは厳しいと思う。記事冒頭で配信先のことを書いたが、これは確かにセットだとヒットしないかも、という気がする。

とりわけ今作は青が主人公ということで、前作の宣のような人物像の掘り下げを期待したが、キャラクターとして魅力的に描ききれていなかった。いかなる時でも場所でも、白を慕う心情は理解できる(※『白蛇伝』を知っていれば一層理解できる)。だが白の想いを理解させるに、「私には白しかいない」という帰結だけでは共感するに足らなかった。前作や白自身と同じ展開になってしまうので避けたのかもしれないが、やはり他者との関わりを通じて相手に感情を向け注ぎ込むことで、白への感情や存在も一層際立つというものではないだろうか。もちろんこれは男女の恋愛に限らなくてよい。青に関わる者たちがそういった関係を築く前に尽く途中退場してしまう様は必然というより、ご都合感やキャラクターの造形の甘さを感じてしまった。青の心情描写も短絡的に映ってしまう。

また、大きな仕掛けとなるはずの”面”の種明かしは種と言えるほどのものがなく、若干白けた。面と本来の顔という対比でもなく曖昧で意図を測りかねる。敵役の法海のキャラクターについては恐ろしいまでに描かれず、これがまさに原典(『白蛇伝』)を知っておいてねと言わんばかりだ。むしろこの辺りを新説として盛って欲しかったのだが単なる悪役の域を出ておらず、個人的に大変残念だった。この法海含めたバトルシーンも前作に比べて単調で、盛り上がりに欠けたのもマイナス要素。妖術・仙術が使えないという制限を逆手に取るような戦いが観たかった。

舞台となる暗黒世界については、映像技術的には素晴らしいものだったが、アイデア・表現としてはありがちな、並のものになってしまった。キャラクター含めて所謂「世紀末」である。世の漫画・アニメ作品のリスペクトだとしたら、食傷気味。終始暗めの世界で、闇と光の対比が多く前作のような場面転換・美術の見せ場が少なくなった。美しさの表現ひとつをとっても一本調子なのだ。また前作では必要性があった上で艶のある場面や表現を用いていたが、今作ではそういった見どころはない。配慮だとしたら理解はするが、作品の意欲としては薄れたように感じる。もっとも、今作はそういった表現を活かすに足る内容ではなかっただろう。切符や蜘蛛の妖怪といった、前作でもあった『千と千尋の神隠し』のオマージュ(と思われる)は本作でも健在。

ラストで現代と繋がるのは『白蛇伝』周りを調べていれば楽しめるはずだが、知らなければ、あるいは作品内で解釈するとしたら唐突感が漂うのではないだろうか。まして強烈な起承転結でもどんでん返しでもない。繰り返すが、本作はこういう構成が目立つのだ。そこが私が前作ほど熱中できなかった理由の一つである。関係筋のことは一切知らないが、『白蛇:縁起』の吹替版は上手く商売したなあとつくづく感じる。前作を受けてこのストーリーでは、日本では売りにくい。

最後に、前作で世界を俯瞰するような立ち位置かと思われた宝青坊の主は、本作では若干小物感ある描き方になってしまった。この点が残念だが、どうやら続編では(あるとしたら)キーになる人物の様子である。いや、中心になりそうな雰囲気だ。これをするならもう少し前作の神秘的で底知れぬ雰囲気は残してよかったと思うが、その辺りの感想はもし続編(的作品)があったときに結論づけたい。


総じて、前作『白蛇:縁起』を観た人には観て損はないが期待した方向には多分向かない、『2』から観た人には味の薄い、今一つの内容に映るのではないか。観るのであれば前作から観て、時間があれば『白蛇伝』を調べてから鑑賞するのをお勧めしたい。


(2023/8追記)続編、白蛇3が中国で2024年公開予定の様子。浮生、ですか。楽しみの一言。

※画像をタッチ・クリックすると3予告(YouTube)が再生できます。



邦画と特撮、アニメに寄せて 映画『シン・ウルトラマン』の感想

ネタバレありです。5/13公開の映画『シン・ウルトラマン』を観てきたので感想です(公式サイト)。詳細なあらすじを並べたりはしませんが、観た人には分かる内容だと思います。感想は目次と前書きでワンクッション置きます。

※画像をタッチ・クリックすると特報②(YouTube)が再生できます。

『シン・ウルトラマン』を観る前に

感想の前に、私がどの程度ウルトラマンが好きか、知っているか、というお話を。所謂テレビ放映された空想特撮シリーズ、『ウルトラマン』(1966)は一通り観ました。『怪獣図解入門』のような本も好きでした。ただ、映画の前に視聴し直したり、日頃から繰り返し観ているわけではないです。ぬるいファン、程度だと思います。

今回は日本を代表するヒーローを題材にした最新映画としてどうだったか、他の一般映画作品と同じスタンスで鑑賞したつもりなので、まずはその感想を書きます。その後は、あれこれ思いついたウルトラマンに纏わる与太話を。

『シン・ウルトラマン』の感想

冒頭の巨大不明生物出現と禍特対の設置までのダイジェスト。これが映像への興味やわかりやすさよりも、映画の始まりとして凄く残念だった。ウルトラマンを知らない層に向けた”軽さ”を狙っているのかもしれないが、物語の導入や伏線として経緯はベタでも劇中に織り込んで欲しかった。特にガボラなど序盤に登場しており、もっと唐突さを排して話を構成できなかったのか。

また今回、政府と関係者の立ち回りがいかにも風刺で床屋政談が過ぎている。タイトルで登場したので書くが、『シン・ゴジラ』が同様な路線でありつつも政治家・役人の”責任”の所在を描くことに腐心していたのに対し、本作は人類側の描写が矮小化してしまった。人間であり宇宙人、という本作のウルトラマンを描くために人類という存在が必要なはずなのに、である。喜劇・コント的な台詞回しの面白さだけ印象に残っていては、ラストで人類滅亡の危機を乗り越えてもカタルシスは得られない。インターネットに現代的な世間・世界の表現を任せる一方で、VR会議が滑稽だけどやっていることは凄い、といった取り残された世代を代弁するような場面にしか演出できなかったことにも本作の限界を感じた。数式の絵面も小手先である。未知の技術や存在に翻弄される人類、だけではなく未来の人類はこうだ、という”空想”や夢の視点を入れて欲しかった。それが後に作品の評価に繋がることもある。

そういう粗さ、雑さは禍特対の描写にも言える。チームや仲間としての妙味以前にリアリティを感じることができなかった。例えば状況に応じた指揮の点で現場に赴く必要性は認めるにしても、禍威獣が暴れる度に班長以下メンバー全員で出動する必要はない気がした。全滅したらどうするのか。対処中に別の場所で禍威獣が現れたら? 禍特対をお役所、ビジネス然として打ち出すのならそういう目で見てしまう。ちょっとしたフォローすらないのが釈然としないのだ。当然ドラマ的、映画的な、ここぞで全員集合という見せ場もない。ウルトラマン誕生のきっかけである、現場での行動も解せない。あの少数精鋭で、神永が一般市民を保護しに動く流れが不自然なのだ。せめて神永が動く前に自衛隊員が手を挙げる、といった描写は入れられなかったのか。説得力が違ったように思う。

ストーリー・展開にももう一捻り欲しかった。高度な知能と科学力を持つ宇宙人、星人が相手だ。アナログが見抜けない、というありがちな弱点を突いたと思ったらさらに出し抜かれる、そういう応酬が観たかった。ザラブなどあれだけ電子データを自由に操れるのならば、浅見と公安の人間が接した時点で察知するだろう。そこで妨害が入って、というドラマがひとつできる。最終的に神永の居場所に辿り着くにしても、本作のテーマである人間の限界や底力、可能性が結びつけられる。禍特対のコンビネーションがあればラストにも繋がる。単独行動が文字通り一人の行動でなくてもよい。ベーターシステム周りの話を考察・解釈の餌にして風除けにするのではなく、この辺りの丁寧な画が観たかった。

ウルトラマンの格闘シーンについては、活動リミットに纏わる演出が今一つだったように思う。エネルギーがなくなるとカラータイマーの代わりに体色が変わるだけでなく、もう少し動作でピンチが表現できたのではないか。肩で息をする、膝を折る⋯圧倒的な力を見せた後ならば、その落差で表現は容易なはずだ。そもそもそうやっておけば、体色が変わる必要があったのか疑問だ。時間的な制限をなくした割に、最後がわざわざストップウォッチまで示して間隙を縫う戦いだったのは、作品のコンセプトとしては本末転倒に映った。

また全体的な印象として、一部台詞回しや言葉のチョイスにセンスを感じなかった。現代的な言葉遣いを入れるのは構わないが、芝居がかった言い回しとの使い分けがちぐはぐしている。少し時代が変わっただけで作品が古びてしまいそうだ。余談だが今日日女性にコーヒーを淹れたり勧めてもハラスメントの危険性を孕んでいるが、あのシーンは風刺なのか皮肉なのかキャラクターの性格を示唆しているだけだったのか。カメラアングルも独特であること以前に正直男性向けを狙ったようなものが目立ち、作品の意図を測りかねる。

CGについてはクオリティが高く、このレベルならと好意的に鑑賞していた。最後のゼットンだけCG感アリアリで今一つだったか。狙ったのかもしれないが、宇宙という地球上の環境と比較対象できない場所であの表現は画が浮いてしまう。これはゼットンのサイズ設定も同様で、ウルトラマンよりもさらに巨大な相手=強敵を印象づけたかったのだろうが、前述の通り宇宙だとスケールがあやふやになってしまうのだ。バクテリアのような相手にウルトラマンが小さくなって戦っているようにも見える。あれが昨今エンターテイメントで題材にされる仮想空間での戦いだと言われてもおそらく違和感がない。そこが劇中の”日常”以上に、ラストが人類の存亡をかけた最後の戦いという盛り上がりに欠けた要因の一つだと思う。映画全体にこじんまりとした印象を与えたのではないか。もっともそういう含みを持たせて、最後にウルトラマンが帰ってきた場所は果たしてどこだ、という余韻を残すように仕向けたのだとしたら、あざとい。

最後に音楽については、なぜ全て新録しなかったのか不思議だ。ウルトラマンのオリジナル音源は『シン・ゴジラ』で使用されたゴジラシリーズの音源より状態が良さそうだったが、やはり映画館の音響設備だと画の新しさと調和がとれていない。シネマコンサートも盛んな昨今、オリジナルの楽曲を使いたかったら新録で「再現」に挑んでよいと思う。今回新録したと思われる音楽が良かったので尚更だ。


特撮で見たい夢

見出しは『ウルトラマン誕生』(著:実相寺昭雄 ちくま文庫)より。最後にウルトラシリーズ、特に初代ウルトラマンを踏まえて私が『シン』で観たかったもの、期待していたものについて放言しておきたい。既に巷に溢れている内容と大いに被るかもしれないが、独善的に。

ちなみに「特撮で見たい夢」は何か、ウルトラシリーズを担当したカメラマン・中堀正夫がとても素敵な言葉を残しているので引用する:

「⋯⋯むずかしいけど、どこかで本物をこえてなきゃ、特撮がほんとうにすごい、夢が見られたっていえないんじゃないかなあ」
(『ウルトラマン誕生』 ちくま文庫)


・現代においてウルトラマンがいかにバレずに変身するかを楽しみにしていたのだが、早い段階で正体がバレて人前で変身するようになったのが残念。いつも単独行動だからではなく、少しは疑ってもよかったのに。現場にいなくて怒られたりとか。その辺りが様式美の押しつけだとしたら頂けない。逆に変身シーンはもう少しじっくりと、フラッシュビームが体を覆うバージョンが見たかった。ゴメスのついでにジラース出してもよかったのに。


・ウルトラマンのスペシウム光線お披露目はポーズを溜めていてガッカリ。サッと構えてスッと発射が一番好き。あの一連の所作は溜めがないから美しい。以降は溜めてなかったので良しとする。最近のゴジラの熱線といい、なんか溜めるんだな。ゴジラもサッと吐いてくれる方が絶望感を煽る。


・ザラブ、メフィラス、とくればファンなら、あるいはファンでなくてもアイツが出てくると思った宇宙人が出なかった。宇宙忍者ね。デザインは2代目で。こいつなら宇宙語ネタも巻き取れるし、地球侵略の背景も他人事ではない。八つ裂き光輪といえば、でもある。実は各宇宙人が連携していた、みたいな話もつくりやすそうだ。そういう定跡はおそらく外したのだろう。そう言えば本作のウルトラマンは「シュワッチ」などと声を発しなかった。これもとっておきかと思ったら最後まで黙ったままだった。宇宙人としての肉付けなのか意図不明だが、声を発しないことが特段の映画に出来栄えに影響しているとも思えない。

ULTRA-ACT バルタン星人 (2代目)

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・前述のウルトラマンの正体が疑われる、宇宙人が結託してウルトラマンを倒しに次々と現れる、というのはネタ元がある。『小説ウルトラマン』(著:金城哲夫 ちくま文庫)である。この本に『ウルトラマン(1966)』放映後に発表されたノベライズが収録されているが、本編にない、あるいは一部削られたかもしれない前述の要素が補われているのだ。今回ウルトラマンのデザインで成田亨が注目されているが、氏に匹敵するウルトラマンの創造主の一人が著者である。宇宙人ラッシュで『シン・ウルトラマン』を締めたのは金城哲夫に敬意を込めてのことかもしれない。


・名前を出したので書くと、ウルトラマン以外に「ああこいつか」「これだよね」という成田亨オリジナルデザインままの怪獣や宇宙人があと1、2体観たかった。尊重するのはウルトラマンのデザインだけ、というのであれば異議を唱えたい。ネロンガはグロテスクな要素がやや蛇足。パゴス、ガボラの顔は萎えた。ザラブ(星人)のアレンジは今だからこそできるものだと感心した。やっぱりメフィラス(星人)か、ゼットンだな。どちらもデザインが好きなので甲乙つけがたい。ゼットンはあのシルエットでウルトラマンと同サイズ、要塞ではなく生物だからこそ無機的で恐ろしいほどの強さが際立つものだと再認した。1兆度~を真剣に取り扱い、小ネタ要素も含めたかったのだろうが、ウルトラマンを倒した怪獣として変わらぬシンボルであることで溜飲を下げたかった。


・感想を書きながらストーリーを思い出していると、『ウルトラマン』の設定で『ウルトラセブン』をやったのだなと今更感じた。例えばウルトラマンの正体がバレて最後は人類の力を借りてゼットンを倒す、なんて「セブン暗殺計画 前篇・後編」プラス「史上最大の侵略 前編・後編」ではないか。ヒロインポジションを配したのもそうか。居酒屋で酒飲むシーンもそのノリか。地球はもう狙うに値しない、という話は先越されてたな。体色が変わったり、正体がバレるのは最近のウルトラシリーズでもあった。こうなると映画のラストを観るに、知的生命体が地球に大勢攻め込んでくるらしい『シン・ウルトラセブン』は何をネタにするのだろうか。先に『シン・帰ってきたウルトラマン』か。初代ウルトラマンが帰ってきたという当初の企画を掘り起こすのか。何だかんだで観に行くんだろうな。

狙われた街

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・身も蓋もない話かもしれないが、あくまで『シン・ウルトラマン』劇中の話、解釈として書いておきたい。劇中で「ウルトラマン」と呼称を決めていたが、なぜ「マン」になったのだろうか。マン(man)に「人、人類」の意味があるのはわかるが、初登場時、まさか人だとは認識されていないだろう。ではヒト型、という意味で正しい使い方なのか、浅学故わからない。手元の辞書でもよくわからなかった。

もちろんこんなことは古今東西の「~マン」とつく作品で考えたことすらなかった。だが劇中では「ウルトラマン」という概念が存在しない様子の上、ウルトラマンが服を着ているか云々の台詞があったので気になってしまった。外見のみで男女の判別をするのは案外難しくないだろうか。大体、もし性別についての調査・検討があったとしたら、正体不明の存在に「マン」とつけないのではないだろうか。地球上のUMAだってビッグフットにヒバゴンだ。性に関する昨今センシティブな話題でもあるので、できれば劇中で答えが知りたかった。

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『ガールズ&パンツァー』関連物落ち穂拾い その19『アハトゥンク・ガールズ&パンツァー3』他雑談

いつも以上に時期を逃してしまいましたが、『最終章』第3話の内容を踏まえたムックが今年になって発売されているので、ガルパン放談しておきたいと思います。スタッフ本は通販後に話題にできたら。10周年の続報ないね、うーん、今年はちょっとね⋯という雑談も少々。

ガルパンと2022年の世界情勢

大げさな見出しにしたが、何を言わんとするか分かりやすくしたつもりである。

ガルパンが話題になり始めた頃、あるいは作品に纏わる話題で、本作の作風や存在が「危険」とする論調を見かけることがあった。どう危険なのか。実在の兵器を肯定的に扱い軍国主義の前触れ云々、といったものである。頻度や件数は定かでないが、今でも時折WebニュースやSNSで見かけるように思う。

ここ最近、作品内ではなく、現実で兵器や戦争に関するニュースが頻繁に流れている。今年2月に始まった侵略行為のことだ。その経緯や実態はとても残虐で理不尽、の一言に尽きる。この凄惨な状況は創作では到底及びつかない。既に現地を含め、極限状態を目の当たりにした一般の人々は、悲しみ苦しみ逃げ惑うだけでなく、現実を受けとめ対処し淡々と行動する所まで事態が進行している様子だ。この段階に来ていることが本当に恐ろしい。戦争の終わりが見えなくなっているからである。

こういう事態は望んでいなかったし、このことにかこつけて文章を書きたかったわけでは決してない。ただ図らずも現実によって、本作が題材を昇華して打ち出した魅力はせいぜい競技やスポーツマンシップのそれであり、そこにギャグ漫画のノリを織り交ぜた位のものだと再認してしまった。安直に戦争などと結びつくものではない。もし結びつけている向きがいるとしたらあまりに短絡的だし、歴史から学ぶような思慮に欠けている。月並みだが現実と空想の区別がついていないのではないか。一体どこの戦車が砲撃をくらって、車内で操縦していた人間が転げまわってススがついて眼鏡が割れるだけで済むものか。

とは言えである。現実を思い返さず、本作の作品世界のみに没入するというのは、現況なかなか難しい。憶測に過ぎないが公式の情報発信はそのような配慮をしている様子であり、前述の通り私などが徒に騒ぐことではないのはわかっている。それでも日々のニュースに接していると、どうしても以前のような気分で作品を楽しむとまでいかないのだ。

ガルパン10周年に『最終章』新作公開、もう少し穏やかな気持ちで祝い、待ちたかった。

関連物落ち穂拾い その19

今年2月、3月に『アハトゥンク・ガールズ&パンツァー3』と『月刊戦車道別冊 第41回冬季無限軌道杯大特集号2』が発売されました。個人的に色々と思うところのあった、第3話の話題を交えつつ読んでおきましょう。

まず『アハトゥンク~3』は、ほぼいつもと同じ構成です。登場車輌を紹介しつつ、本編おさらい。後半は戦車内部や小ネタの一覧。なので私が常々不満な戦車外観の各部名称は載ってないままです。私は記事にするときに一々調べるのが面倒なのですが、大多数はわかるのかなあ。ファンのレベルを上げなくちゃ。

あとは1~3話までの構成なので、発売されるであろう続刊にも継続高校(戦)が掲載になっちゃうのね。そう考えると、最終話まで話のボリュームは変わらないのかしら。決勝、6話だけスペシャル編の線はないのか。と願望を書いたりして。

一方の『月刊戦車道別冊 第41回冬季無限軌道杯大特集号2』は3話後半、継続戦を含めてないのでちょっと薄味。日本戦車の記事など、内容は良いがネタ切れのような気がする。まだまだ大洗観光の話題を出しにくい状況というのは寂しいですね。まだ通販しているようなので(2022/5/14時点)、気になるなら今のうちにどうぞ。私はボールペンは要らない。

表紙の全員集合で脚が並ぶ絵面が正直頂けない。私だけでしょうか。第3話の新ビジュアルもそうだったか。画一的でセンスを感じない。こういうのは見せ方、魅せ方なのに。これが今時、高校生的とでも? ガルパンのキャラデザは頭を大きめにしているので、細身の脚がアンバランスに感じるのね。何より露出させた脚を並べただけでファンが興奮するような作風でもないと常々考えているのですが⋯。これが商売でウケているのなら私には関係ない話です。

そうそう、今回採り上げた『アハトゥンク~3』や『最終章』第3話BDに関して気になった点を一つ。

もうオフィシャルで載ってる・言っていることなので書いてしまうと、継続の車輌T-26とまだ登場していない継続の生徒たちが第4話で活躍するっぽいのね。BDの感想で「3話のBDは今後の展開について触れてるからネタバレ気にするなら注意して」みたいなことを書いたのですが、『アハトゥンク~3』の方でもそんなニュアンスの文面がT-26の紹介とともに載ってます。

以前の公式なら、ここまで『最終章』の今後を明かすことはなかったと思うのです。展開の肝にはあまり触れなかったはず。本当に下衆の勘繰りですが、やはり3話のT-26は不気味なだけの数合わせモブ戦車の印象強すぎ、みたいなことを方方で言われて堪えたのでしょうか。方方と書きつつ私も書きましたが⋯。だって、ねぇ。あの個性希薄な大学選抜チームと被るし。

こういうことがあると、改めて3話の出来はちょっとまずかったのかなという印象です。3話時点で、T-26の活躍を予感・期待させるような見せ方がもう少し必要だったのではと。4話ではこういう3話で感じたモヤモヤを払拭する展開を期待します。まだまだ期待します。

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