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映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』の感想 邦画と特撮、アニメに寄せて

7/22公開のアニメ映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』を観たので感想です。詳細にストーリーを書いたりしませんが、一応ネタバレありです。予告で知って鑑賞することにしました。例に違わず、見所を予告で文字にしちゃうタイプですが。

※画像をタッチ・クリックすると予告編(YouTube)が再生できます。

作中の時期と実際の公開時期が一致するのは嬉しい。肌の感覚が既に作品世界に馴染んでいる気分になるからです。あとは本筋が面白ければ。

映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』の感想

序盤だけ、アニメしすぎたのが惜しい。アニメーションといい、登場人物といい。全体的に振り返ると、もう少し現実的な掴みで良かったように思う。画を動かして、きっかけと終盤の伏線を印象づけたかったのかもしれないが、中盤・後半の落ち着いた作風にはあまり寄与していない。むしろ影響させない作りにしたようにも感じる。
 
今日日、街中での落書きがアーティスティックなのかどうか、その界隈の動向は追いかけていないが、落書き自体はやはりネガティブイメージをもたらすのではないか。個人的にもそう。注意書きするくらいなら登場人物の行動にしなくとも、イメージでの挿入・表現でも作品の味わいは変わらなかったように思う。ちょうど今話題のスポーツを道具に起用したのも偶然だろうが、こちらも好感度の上がる使われ方ではなかった。

ここを乗り越えると、清涼感のある展開が待っている。ヒロインの動画主、所謂YouTuberとしてのキャラクター周りは、今どきのネットを作品で上手く消化している。現実だと特定されて⋯みたいな冷めた視線よりも、可愛さや人気者に対する憧れが勝る。

俳句という要素も衒学的にならず、「良い句でしょう?感動してね」といった作中での評価を強要されるものでなく、主人公の人となりやヒロインの関係を示すに小粋な使い方だったと思う。作中でリミットを設けるストーリーだけに、ヒロインも一句詠みだすような甘酸っぱい展開がもうちょっと観たかったくらい。主人公とヒロイン双方の家族を中盤で絡めるのは、昨今の片親だの亡くなっただの通り一遍でなく、キャラクターと作品世界にさりげなく厚みを与えていて好印象。そもそも出会いのきっかけからして主人公の家族の事情である。デイサービスの描写もリアル過ぎず嘘過ぎず、さじ加減が良い。絵柄の色使いに比して地味ではあるが、この辺りの丁寧さが光る作品。

そしてその流れで迎えるラストは宣伝ほどではないが、ベタでも気恥ずかしさが、悪くない。思わずエンドロールでその後が観たくなったが、それをしないのも上品だ。折を見て再鑑賞したい。

映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』と音楽

本作は音楽ファン、レコード・音盤コレクターはぜひ観て欲しい、と書くと大げさだが、観ると楽しめる要素があると思う。ノスタルジーを喚起するかもしれない。また後半の”思い出探し”の伏線と仕掛けは、早々に気がつく人も少なくないのではないか。こんな製品よく店頭で見るよ、といった具合に。

そして作中の音楽もうるさすぎず、この作品独特の世界を作り上げている。劇伴と謳っているようだが、文字通りの劇伴ではなく、音楽として興味が湧いた。こういう作品の上映は流行りの音響設備で体感したいと思ったが、今の所一般上映形式が多い様子。

サントラはすでに配信・発売されている。最後に余談だが、ラストは「本人歌唱」の小田山だるま音頭で笑いつつ感動、でもよかったかも。


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