デジタルエンタテイメント断片情報誌

デジタルな話題もそうでない話題も疎らに投稿

記事更新600日目・ブログ開設15周年記念 ネットと私と回顧と懐古と雑談

今回で600日目の更新です。おいワーイ! 昨年ちょうどこの時期に500日目でしたので、1年で達成です。早い早い。おいワーイ! さらに今回はブログ開設15周年です! おいワーイ!

毎回書いてますが、これがPCゲーム雑誌『ログイン』式の祝詞です。寒くても、つまらなくても気にしない(全国気にしない協会)。しかしまあ、つくづく600日目ってのは凄くないですね。毎日更新したら2年かからないですからね。そういえば更新日数で喜んでる人も見たことないな。これも毎回書いてるな。でも、15年ですよ? 途中放置してましたがね。その間に何も起こらなかったブログですよ。怠惰の極みです。

それはともかく、今回は普段極力避けている自分のブログの話題中心の、無駄に長くて糞にも役に立たない記事です。え、いつもと同じ? 硬いこと言うなよ、ダイアモンド。

はてなブログと私

はてなダイアリーの終了のときも書いたのだが、15年前に始めたときは、今で言うTwitterの感覚で短文を更新していた。ちょうどブログでそんな使い方が盛んになったのね。テキストサイトから、より気楽な使い方というか。下に表示されている文で更新終わり。BBSって死語だなあ。語尾でキャラをつける気はなかった。

でも私はすぐそれもしなくなった。何より自分がそういうお気軽なブログを熱心に見ないタチだったのだ。やっぱり筋立てて、理屈こねて書くとある程度文字数は必要になる。2013年頃にブログ(ダイアリー)を本格的に再開したときなど、長文が詰め込めるデザインに変更したくらいである。そんな経験をしているので、今SNS、特に日本におけるTwitterの盛況ぶりは、不遜なことを書けば今更であり、しばし生じる呟きの応酬が何だかダサい。素早い情報伝達の手段としてはもちろん認めている。

個人的に、テキストサイトからTwitterに移行した人の発信する情報が軒並みつまらなくなったという実感が今だになくならない。表現手段にも得手不得手があることを意識すればいいのに、とすら思う。そんなわけでTwitterを始めとしたSNSで一挙手一投足を追いかけたい人物は、今いない。不定期に覗きに行けば間に合う。

かといって私は、「はてな」に対して帰属意識も思い入れもない。当時「はてなキーワード」の便利さやコメントのやり取りに惹かれて使い始めただけである。たまにそういう「はてな」の歴史やコミュニティとしての自負を語る記事や書き手が目に入るが、これまた興味がない。もしサービス終了したら別の場所に移るだけである。

そもそも私は雑誌投稿してたので、みんなでワイワイも結構だが、やっぱり自分のこと(話題)で目立ちたいのだ。かつ学校や会社以外の時間にわざわざ集団行動したくないのよ。普段そういう生活じゃないの? という。なのでSNSや5ch各種掲示板といった、ネットで”話題に群がる””集いたがる””属したがる”人たちを見かけると、「何だかんだヌルい日々を送ってるんだろうなあ」などと邪推してしまう。嫌味かな。いや、羨望かな? すぐ妬み嫉みの話に持ち込むのもまた、ロクに人と接してない証拠か。余計なお世話か。


とまあ、そんなスタンスで更新してきたおかげかどうかは知りませんが、記事の8~9割が外部からの検索流入です。記事の文字数も最低2000字前後になるので、Googleアドセンス審査も何も困らずストレート通過。はてなブログに移行したころ、ブログのカスタマイズや収益報告の記事をよく見かけたのでどんなものかと思ったら、大したことなかった。

まあアドセンスやらない人でも、ブログの文字サイズはGoogleが公式SEOチェックツールの項目に入れている「フォントサイズ(16px以上)」を満たしておくと、読みやすいし良いことありそうですよ。これやってなくて読む前に萎える記事が、巷にはまだまだある。

もっとも肝心な記事の内容・反響については、雑誌『ログイン』で培った(つもりの)「真面目で、お馬鹿さん」というスタンスが通用したりしなかったりという具合です。さんざ書いておいて自分もログイン投稿者の端くれという帰属意識は捨てがたいという話で締め。キャハ。

音楽と私

はてなブログでは、音楽の記事が弱い気がする。特にクラシック音楽。〇〇ランキングだけでなく、ネットで検索して辿りついたときに少しは役に立つ記事をと思っている。

日本でも配信、サブスクリプションの利用が一般化した。CDを買う気になっても「買う前に聴いて確認」ができる。Spotifyなど、解釈や録音の傾向を掴むに十分な音質だと個人的には思っている。

だが一方でこれら配信の音質に関して、クラシック音楽の愛好者の不満を根強く見かけることがある。確かに音源の質から使用機器まで、望めばもっと良い音質、再生環境はあるだろう。しかし、だからといって即効性のある手段を使わないのは単なる意固地ではないか。

感想や意見の表明は自由だが、自分に実際どう聞こえているかなんて、他人が完全に理解するのはほぼ不可能だ。自分の聴力だって日々衰える。使用機器・環境だって人それぞれだ(簡単にでも、そういった情報すら公開せずに媒体や録音の優劣を語る人もいる)。自分の気に入らない・知らない音質で、他人は音楽の微細な表情を楽しみ深い振幅を味わい、音楽にのめり込んでいるかもしれない。目利きならぬ”耳利き”に絶対の自信を持つのはいいが、こうした前提を差し置いて「配信は・CDは・国内盤は・〇〇(レーベルやプロディーサー)の録音は、音質が駄目」などと断罪しすぎてはいやしないか。

このような点を踏まえて、例えば私などもやっている特定の曲や作曲家、演奏家に特化したレビューは、ありがたくカタログ的な利用中心にして、最終的には自身で聴いて判断という使い方で割り切った方が良いように思う。カタログにない音源をそういう向きに「この録音は知ってますか、どうですか」と問うてみたり薦めるのも私に言わせれば時間の無駄である。自分が聴いてどう感じたのかをなぜ重要視しないのか。まあカタログ代わりなら、そういう”使い方”も悪くはないが⋯。その意味で違法アップロードではなく、Spotifyを始めとした配信の再生リンクまで貼れる現在の状況はとても喜ばしい。

もっとも、いろいろ聴いているからと言って、人の推薦があてにならないのは下記のような本を読んでもわかるわけで、実は今も昔もさほど変わっていない。演奏家の好みや初めて聴いた音源といったものが、如何に趣味嗜好として形成されるかがよく分かる。

名盤鑑定百科 交響曲篇 (新装増補版)

名盤鑑定百科 交響曲篇 (新装増補版)

一方配信されている音源については、現代音楽などもっとアピールすればよいのに、と思っている。聴かれてナンボ、ではないのかね。世界中の人間から「良い」「悪い」「面白い」「つまらない」と感想、批評に中傷まで一斉に受ける大チャンスだというのに。あ、そういうのを受けつけないのも現代音楽の一種なのかなあ。

映画やドラマ、アニメと私

音楽の話題でもそうだが、面白いと思ったら面白いと書くし、つまらないと思ったらつまらないと書く。それだけだと一言で終わるので、わずかでも理由は書く。どこが、どう、なぜ⋯という風に。文章の質や長さに問題あるかもしれないが、幸い読まれることがあるようだ。後々感じ方が変わったら、そのことをまた正直に書けばよいだけのこと。いや経験や学習で変化するのは当然だろう。Twitterなど見ていると、どうも一度「面白い」「つまらない」と方向性を決めて発信すると後戻りできない、乗った船から降りられない風潮がSNSにはあるのか、と訝しむことがある。これも上記した帰属意識が働いているのかしら。

また、これら作品を語るにあたっては自分の生業とは全く関係してないし、作者や関係者との接点もない。感想を書くときに気をつかうような交流関係もない。故に他人がどういう感想を発信していようが、気にすることもない。今面白いと思っている作品を後で厳しく評価するかもしれない。逆もまた然り。私はこういう表現活動がしたくてネットに場所を求めたのだが、最近は目的が変わっていると思しき人をしばし見かける。まあ私のような人間だけではないわな。

読書と私

読書の記事は、読まれる。実は音楽鑑賞もそう。これらの記事の需要は根強い。なぜかと言うと、どちらもある程度時間が必要だから。読書には速読があるが、記事を書くにはある程度熟読、要所を掴む必要がある。音楽、ことにクラシック音楽は曲全体の中での意味を問われる上、映画などのように1.5倍速で鑑賞して~、というわけにいかない。作品の印象が全く変わってしまうからだ。

こんな手間を省きたくて、感想やレビューが今だに読まれているのだろう。そういう読書代わりに、誰かがまとめた記事を読むのも、実は立派な読書術だ。売れ行きや自分の好みで順位付けたランキング記事が読まれるのも似たような理由だろう。ただ、ランキングにして複数書籍を紹介するのなら、私は普段考えていることや時事に絡めた話題にするようにしている。そのときはさりげなく、ね。記事タイトルもそうだが、声高でインパクトのある主張はそれだけで眉唾、という向きもあるだろう。静かに賛同が得られていると、嬉しい。

今後と私

いつもなら節目はネタ記事にするのだが、今回は雑談でお茶濁し。お茶というかドブを更に濁したものか。大体ね、他人にとって節目でもなんでもないタイミングで毎回お祝いしてるなんて、おめでたいとは思いませんか。思われても気にしませんが(全国気にしない協会2回目)。

f:id:m-ranenkei:20200913140821j:plain


今後ですか? 毎年夏は記事のペースが鈍るので、今年は記事を増やしたい。あ、もう秋だった。秋からだね。秋が駄目なら冬ね。いつからでもいいんだよ、ということを今回延々と書いたんじゃなかったんだっけ? もういいや。最後は夢で締めくくりたいね。読み方間違えないでね。

ではまた今度、夢。

スポンサーリンク