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音楽と現実と夢 漫画『マエストロ』の感想

ようやく、遅ればせながら『マエストロ』(著:さそうあきら アクションコミックス 全3巻)を読んだ。映画化もされたというのに、繰り返すが本当に今更という気がする。電子書籍化されているが、新装版が既に投げ売り状態だったので手に取った。

もう完結して結構経つ作品なのでネタバレを気にするものでもないと思うが、「不況で解散した日本屈指の交響楽団(中央交響楽団)のメンバー達が謎のジジイ、もとい指揮者・天道徹三郎のもとに再結集し、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」とシューベルトの「未完成」交響曲を曲目に再結成コンサートを開くまで」(新装版裏表紙より一部引用)を描く漫画である。


まず本作は音楽をいかに絵で、文字で表現するか、これに迫った表現が素晴らしい。目を見張るような上手い絵だとは正直思わない。だが音楽を描くために漫画の効果線を使い分け、効果音の字面を工夫し、演奏に没頭し表情を変える団員たち⋯。現場の空気まで伝わるような臨場感がある。

ストーリーは楽曲にまつわるエピソード、楽曲の構成、指揮者とオーケストラ・各パートの役割⋯これらをときに意表を突いたアプローチで織り込んで進んでいく。オーケストラのリハーサルを経験したことがある、観たことがある向きからするとニヤリとする話が多い。

オーケストラの解散というきっかけも現実的で自然である。オーケストラ団員の人間・男女関係にしても、赤裸々に描いている。芸術に奉仕する清廉な⋯といった綺麗事だけでなく、俗で、等身大の生々しさにも事欠かない。主人公(コンサートマスター)を始めとした登場人物についても、いかにも音楽家という職業柄ありそうなエピソードから、家族絡みでコテコテの泣かせる話まで用意している。

これは余談だが、作者が取材したという演奏家の中には天道徹三郎真っ青の所業が後に判明した人物もいる。作者が想定したものではないだろうが、その意味でもリアルだなと感慨深い。

クラシック音楽に興味のない人よりも、作曲家や楽器、指揮者とオーケストラに演奏会からクラシック音楽業界⋯これらに興味がある、経験ある人こそ楽しめる作品だと思う。これはいわゆる初心者お断り、という意味ではない。クラシック音楽の世界にハマればこの漫画がわかる、そういう楽しみとしてぜひ心に留めておいて欲しい作品なのだ。

巻数は3巻ですぐ読める。途中もっと描きたいことはあったんだろうな、そんな幕切れ感は多少ある。それでも作品の登場人物たちが生み出した音、音楽というクライマックスについては、もちろん私は興奮した。


ただクラシック音楽や芸術の世界に多少なりとも接してきた者としては、一瞬、ほんの一瞬だが「演奏(家)にこれらの経緯やエピソードがあったからといって、出てくる音楽は必ずしも素晴らしいとは限らないのでは」「過去の挫折や苦悩、数々の障壁の克服、それが果たしてどこまで音楽として結実するのだろうか」などと思い浮かんでしまうことも、また事実である。

例えばディスクや配信で聴くことのできる演奏家と演奏会の中には、そういったエピソードに彩られた録音も少なくない。

演奏(録音)に至るまでの経緯に始まって、演奏家のキャリアに年歴、自身の健康・精神状態、家族や交友関係の慶弔。共演者やオーケストラ、ホールにレコード会社との関係。果ては演奏家と祖国に国家、世界情勢。これらの要素を「死の直前、最後の録音」「〇〇(歴史的な場所、イベント名)での記念碑的な演奏会」「このコンビは一期一会」などとまくしたてるのだ。ネットで読めるレビューや感想ですら、そんな情報を並べただけのものをしばし見かける。


『マエストロ』では天道徹三郎と中央交響楽団の演奏に、観客は大いに感動した。天道や集まった(元)楽団員達にとって、この音楽をやるには漫画で描かれたエピソードが必要だったのだろう。それは理解しているつもりだ。私も楽器をかじったことがあるので、精神面と演奏が少なからず影響することがあるのは多少なりとも感覚としてわかる。

しかし、である。本作にも描かれている、空回りしている指揮者やお仕事感アリアリの団員の演奏が、観客に意図せぬ感動を与えている場合だって大いにあるだろう。逆に、演奏側にとって面白い曲・エキサイトした演奏が、聴く側にとっては退屈でつまらない演奏ということもありうる。

私自身、上記のような演奏(家)にまつわるエピソードや情報をかつては熱心に収集したクチだ。だが今やネットの配信で聞いたことのない音楽・演奏を簡単に聴くことができる。御託はともかく、大量に触れることができる。その鑑賞で得た感動の裏に何があるかは、気にしない、むしろ雑念なのではと考えるときがある。これが純粋に音楽に向き合うということだ、そこまでは言わないが。

登場人物の生々しい描写も魅力だが、この点において、本作はやはり音楽に対する夢や理想が溢れた作品なのだなあ、と思う。

できれば、この続きが読みたかった。

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