デジタルエンタテイメント断片情報誌

デジタルな話題もそうでない話題も疎らに投稿

司馬遼太郎の書いた名言集 『ビジネスエリートの新論語』

本のタイトルで、少し損をしているように思う。元々司馬遼太郎がつけたタイトルは、『名言随筆サラリーマン ユーモア新論語』だったそうだ。こちらのほうが少々野暮ったくとも、鼻につく感じがなくて、よかった気がする。

いっそ原題で、と誰か声を発しなかったのか。もっともセンスを語ると、私など苗字が「司馬遼太郎」で、名前が遼遼遼遼⋯になってしまうが。


閑話休題。今回は名言集の話である。さらに誤解を招かないように念を押すが、司馬遼太郎自身の発言や文章を名言・金言として集めた本ではない。歴史上の人物始めとした種々の人物の言葉が並んでいる、書店やコンビニ、ネットで今だよく見かける体裁の本を司馬遼太郎が書いていた、というものだ。それを復刊して『ビジネスエリートの新論語』(文春新書)というタイトルに改めたのである。元は昭和30年(1955)に刊行されたもの。

ビジネスエリートの新論語 (文春新書)

ビジネスエリートの新論語 (文春新書)

歴史小説と史実を混同しないように、そんな注意とともに司馬遼太郎の小説が話題になることがある。歴史に興味を持つと、例えば三国志の演義と正史のような見分け方・楽しみ方が身についてくると思うが、そんな注意を誰かがしなければならないほど影響力があったということなのだろう。ただ、そのことで司馬遼太郎の表現の魅力まで訝しむことはない。今回の名言集もその辺りを踏まえ、当時の空気や司馬遼太郎の語り・文章を楽しむことを忘れずにいたい。



そもそも名言集など、飽き飽きしているだろうか。気楽に、何か耳触りのいい言葉が並んでいやしないか、軽く読んで、気がついたら同じような本があちらこちらに⋯そんな心当たりもありそうだ。

その点本書はさすがというか、通り一遍の内容にはなっていない。広い視野で、仕事だけでなく生き方を見つめ、自戒したくなる読み物だ。”ビジネスエリート”だけに向けたものでは決してない。むしろエリートという垣根を取っ払ったところに本書の底光りする魅力がある。記事冒頭の話題に戻るが、その意味で新しいタイトルは看板に偽りあり、と言える。


初っ端から鎌倉時代の大江広元をサラリーマンの元祖と書き立て、私利を追わずシステムのために役立ち生きる”処世術”の披露が熱い。本書が書かれた当時、サラリーマンという存在が既に現代と変わらぬ形相を呈してきたことまで読み取れる。以下引用:

決して彼は、積極的に出世を企てようとは思いもせず、しもしなかった。専務や社長になろうとは思わなかったのである。出世のために人の頭をフンづけ、押しのけ、謀殺するということはしなかった。謀殺を建議し、その謀議に加わったことはあっても自分一個の利害から発したものでないというスジが通っていたのである。


この印象は、当時の若者の働き方についても同様だ。次の一文など、それこそ今もどこかでささやかれている文章ママではないか。以下引用:

 自分が踏まえている大地に信用がおけないという不安感は、大なり小なり、二十代の青年の人生観に影響している。いつ地震がおこるかわからないというのでは、計画的な大建築は設計できないというのだろう。だから雨露をしのげば足りるという、バラック的な職業人生観も生れるのではないか。


出世についての項も趣深い。いかにも著者自身がそんな人物は笑止、と言いたげだ。そういう当時”サラリーマン”記者と化してきたと自ら語る著者の、矜持も所々感じる。以下引用:

出世とは千載青史に名をとどめるような大英雄になることであって、それ以外なら何々会社社長であろうがゲタ屋のオヤジであろうが、出世という段からみれば五十歩百歩だという大度量をサラリーマンの女房は持つべきだろう。


また、ともすればサラリーマンに限らない生活術にも言及している。職場の悪口、同僚・会社の批評について、既にこの時代をして、卓見である。こういう俗な話題にも、現代に通じる著者の観察眼の片鱗が垣間見えて痛快だ。以下引用:

サラリーマンにとって、無用の長物は余計な表現慾である。人物を評価してもいいが、その批評能力を口頭で表現してみせることはやめたがよい。評論家でもない人間が表現能力や批評能力を誇ったところで、一文のもうけにもならないことはわかりきったことだ。ならないばかりか、批評された向きから、やがては十倍にもなってお返しがもどってくるぐらいがオチなのである。

”口頭”は、今なら「文章」であり、「呟き」であり、はたまた「動画」かもしれない。周りを見渡し、自分を顧みたくなるところである。


f:id:m-ranenkei:20191128225445j:plain

最後に、この『新論語』の良いところ。名言集でありながら名言に溺れまいと戒めがある点である。

このご時世、各種メディアの記事の見出しや主張が金言・名言のごとく強調され、繰り返される。その言葉は短く、歯切れ良く、私達の気を惹く。

だが一体、その問題の深部、細部についてはどうか。そこに”コケオドシ”や”マヤカシ”はないか? 司馬遼太郎の、久々に蘇ったメッセージで本書の紹介を終わりにしたい。以下引用:

が、たいていの場合、格言ずきな人達は、ちょうど新聞記事に見出しをつけるような調子で、事態に似合った格言を抽出し(※ひきだし)のなかからぬきだしては問題の上に貼りつけ追求への努力を省略してしまう癖はないだろうか。

戒心すべきことは、これらを人生に応用する態度の問題である。金言を、念仏や呪文のように自己催眠や自己弁解のために使用するとなれば、いかにすぐれた真理をふくんでいるにせよ、それは麻酔薬にすぎないのである。

スポンサーリンク