デジタルエンタテイメント断片情報誌

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アーティストにあって欲しいもの 『フレディ・マーキュリー ~孤独な道化~』

流行は遅ればせながら、くらいが実は楽しいと思っている。後からついていって、ああ一時の喧騒だったのね、となるか、やっぱりこいつは本物だ、と再認識するか。そんな楽しみ方もむしろ”今どき”なのではないか。ましてネットの存在は、大勢で共感・共有するピークは過ぎたとしても、常にウェルカムの状況が残されていることが多い。


映画『ボヘミアン・ラプソディ』でロックバンド、クイーン(QUEEN)が再び世界を席巻した。今だに上映中の映画館もある。

ボヘミアン・ラプソディ (字幕版)

ボヘミアン・ラプソディ (字幕版)

  • 発売日: 2019/04/17
  • メディア: Prime Video

クイーンの公式YouTubeチャンネルでは、あらゆる音源からミュージック・ビデオまで平然と公式配信されている。違法アップロード云々を嘲笑うかの如き充実度だ。そして世代を超え、自分のような”後追い”の人間まで取り込んでやろうという、先見性としたたかさに恐れ入る。今までベスト盤を「基礎知識」程度に数回聴いただけだったが、これは延々と再生してしまう。

※私の好きな曲、Good Old Fashioned Lover Boy(懐かしのラヴァー・ボーイ)。もちろん公式。画像をタッチ・クリックすると動画(YouTube)が再生されます。


そんなクイーンのことを知りたくなって、ボーカリスト、フレディー・マーキュリー中心の伝記、『フレディ・マーキュリー ~孤独な道化~』(著:レスリー・アン・ジョーンズ、翻訳:岩木 貴子 ヤマハミュージックメディア)を読んだ。

まず映画の脚色、そして事実確認が楽しいのは書くまでもない。例えば三国志の正史と演義、司馬遼太郎始めとした歴史小説のように、「事実である」ことだけが作品の魅力に直結するわけではない。「事実でないこと」に創作として面白みがあるかどうかも重要だと思う。そこが映画『ボヘミアン・ラプソディ』の巧さだ。現に映画を楽しんだ私もこうして両方に興味を持っている。

映画でも象徴的に描かれたフレディの家族についての記載は充実している。実際のところ母親と衝突したこともあったようだが、駆け出しの頃も週に一度は実家に戻って食事をするなど、家族関係は概ね良好だったようだ。同時に出っ歯を気にしていたことにも触れている。映画ではやや誇張されているように感じたが、なかなかの再現度というわけだ。

メンバーのポール・プレンター評もさもありなん、という感じで、映画での役回りに納得というところだ。そしてメンバー同士の関係の浮き沈みも述べられているが、決定的な亀裂には至っていない。これが映画でファミリー色を打ち出せた強みなのだろう。


とまあ種々のエピソードが積み重なった伝記なのだが、何より嬉しかったのが、当のメンバー達が楽曲に対して多くは語っていないことだ。作曲の真意や歌詞の意味、それを一笑に付し、はぐらかすような発言も少なくない。

シャイであり、コンサートでは唯一無二の派手なパフォーマーであり、そして『ボヘミアン・ラプソディ』の作詞・作曲⋯知りたいことは色々あったのだが、当のフレディからは語られない。

「これってこういう意味、それともああいう意味、ということしかみんな聞きたがらないんだ」

ギターのブライアン・メイも同様だ。

「答えは決してわからないと思うし、わかっていたとしても多分僕は教えないと思うよ」


私が好きなクラシック音楽もそうなのだが、コンサートのパンフレットや解説を読まなきゃ良さがわからない作品というのは、残念ながら今日のレパートリーに残っていない。そもそもこのご時世、どんな名曲だ良曲だと言われても、再生ボタンひとつで聴けて、気に入らなければ即停止、別の曲に移っていける。

まず曲ありき、このスタンスがますます威力を増しているのだ。


そして世界の様々な人物や出来事が身近・間近になったからこそ、そんな「わかるやつがわかれば」という突き放す、謎めいた雰囲気に対する個人的な郷愁の念も否定しない。


「アーティストってよくわからねぇよな」、それが良いのだ。


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