デジタルエンタテイメント断片情報誌

デジタルな話題もそうでない話題も疎らに投稿

『マーラーを語る』指揮者のマーラーを聴く ダニエル・バレンボイム

現代の代表的な指揮者がマーラーについて語った、『マーラーを語る』(編:ヴォルフガン・ シャウフラー 翻訳:天崎 浩二)という本から、今回は、ダニエル・バレンボイム。

音源のリンクについては、Spotifyまたは、Amazonのリンクを貼っておきます。音楽の途中にCMが入らないよう、Spotifyならば有料版(無料版は楽章間でCMが入る)をオススメします。

ダニエル・バレンボイムの語るマーラーとその演奏

まずは演奏・録音を聴いてください、以上。と言わんばかりのインタビューだ。そして、巷で語られるマーラー論に対して、まくしたてるように警鐘を鳴らしている。これが個人的に得心が行く。大変遅まきながら、バレンボイムという指揮者に注目したくなった。引用箇所以外は本書で確認してもらいたい。クレンペラーとのエピソードもやはり面白いので是非。以下引用:

マーラーは、音楽以外の事柄で語られる唯一人の作曲家――今でもそう。それが嫌でした。「マーラー大嫌い」あるいは「大好き」。どちらも彼の音楽の、精神分析的な見解です。フロイト等々、ゾッとします。だって、ベートーヴェンのことをそのように考えたり語ったり、絶対にしない。彼の難聴やショパンの結核など。言い替えるなら、作曲家の人生と音楽日記は関係がない――大作曲家の作品は[実生活でなはく]音楽の日記です。ベートーヴェンは苦悩のまっただ中にいた時、いちばん明るい曲を書いています。

マーラーは、自身のノイローゼ等を語り、ベートーヴェンは語らない。でもベートーヴェンも我々同様、いろいろあったと思いますよ。

音楽は感情的・理性的のどちらか、ではないでしょう。申し上げたように、こういった言い回しは、音楽に対する[言葉による]応え(レスポンス)に過ぎません。音楽は物事の組み合わせであって、個々を合わせたものより、はるかに巨大です。だから感情だけで音楽を作り上げることはできない。そして音楽には、音でしか表現できない強いメッセージがあるから、語ることはできない。

音楽を言葉にするのは非常に危険なんです。結局音楽[そのもの]ではなく、音楽に対する[言葉による]反応になってしまう。はっきり言わせて頂くと、音楽を語るバーンスタイン、さらに彼の、音楽を語る言葉には興味がありません。

我々はマーラーのノイローゼと反ユダヤ主義その他について、世界を語るがごとくに語ります。[でもそれらは]世界のひとつの要素に過ぎません。マーラーの内側には全てがあります。


わたしが付け加えることは特にない。今回はバレンボイムのシンプルな指揮スタイルを紹介して、ディスコグラフィーを貼って終わりにしよう。

音楽を聴くはずが、少し耳が痛い。

今演奏している交響曲がいちばん好きと思って指揮するだけ。


Spotifyで聴けるのは今の所5番だけ。他にも配信を望む。

マーラー:交響曲第7番《夜の歌》

マーラー:交響曲第7番《夜の歌》

Symphony No 9

Symphony No 9

  • 発売日: 2007/03/27
  • メディア: CD


※次回はヘルベルト・ブロムシュテット:

スポンサーリンク