現代の代表的な指揮者がマーラーについて語った、『マーラーを語る』(編:ヴォルフガン・ シャウフラー 翻訳:天崎 浩二)という本がある。当初は一度きりの記事で感想を書いて終わりにするつもりだったが、インタビュアーの質問に工夫が凝らされており、各指揮者の回答も興味深い。
そこで今回から不定期に、マーラーの交響曲を楽しみながら私的な連載記事にして雑感を少しばかり留めておきたい。採り上げる指揮者は一人か二人ずつ。実は回答の量や魅力も各々違っていて、語り足りなくなりそうだったのだ。

- 作者:ヴォルフガング シャウフラー
- 発売日: 2016/03/25
- メディア: 単行本
マーラーを楽しみながら、というのは事前に当該指揮者の音源を聴いたり、読後に音源を漁ってみようというわけである。一昔前なら記事のためにディスクを探して行脚、という手間があったが、配信・ダウンロード隆盛の昨今である。収集する楽しみは否定しないが、「御託はともかく聴いてみよう」が自宅で手早く実行できるのである。
音源のリンクについては、とりあえず愛用しているSpotifyまたは、Amazonのリンクを貼っておきたい。マーラーの音楽の途中にCMは入ってほしくないので、Spotifyならばやはり有料版(無料版は楽章間でCMが入る)で聴くことをオススメしたい。
クラウディオ・アバドの語るマーラーとその演奏
ベルリン・フィルを巡る話題に始まって、ディスクのレビューでは演奏評だけでなく、憶測交えた批判まで飛び交っていた指揮者である。正直その種の文章を読む度に辟易し、アバドが指揮した録音を聴くのをためらってしまう時期もあった。だがそれを乗り越え、ようやく手近にアバドのマーラーを聴くことができるな、という実感がある。
アバドの回答は淡々としている。「これ以上は演奏を聴いてくれ」と付け加えたくなる回答だ。壮年期から晩年まで実演も多く、音源も揃っている。「淡々」と書いたが、これが自信であり自負なのか。インタビューでは最後の質問、「ウィーンでは歴史が繰り返すと感じましたか」に対して、「マーラーだって、自分の音楽がウィーンですぐに受け入れられないと分かっていましたから」、これに尽きるように思う。
ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、シカゴ響を振った全集がこんなに容易に聴けるとは。ディスクの入れ替えを気にせず楽しめる喜び。こうして聴くと、美しさより、むしろ太く剛直な演奏が多い気がする。起用しているオーケストラはいずれも弦楽器が主張している。一方で管楽器の扱いに独特なタメがある。

Claudio Abbado: Mahler 10 Symphonies
- アーティスト:Vienna Philharmonic Orchestra,Chicago Symphony Orchestra
- 発売日: 2008/08/26
- メディア: CD
新しい録音では、第4番や第7番の瑞々しさが好きだ。不気味さ、毒という言葉で通り一遍に語られることがあるマーラーの音楽に、変わらぬ新鮮さ・青さの魅力を引き出している。巨匠”風”などと言われる解釈では決してなく、進化だと思う。

- アーティスト:アバド(クラウディオ),フレミング(ルネ)
- 発売日: 2011/09/07
- メディア: CD

- アーティスト:アバド(クラウディオ)
- 発売日: 2013/09/18
- メディア: CD
※次回はダニエル・バレンボイム: