デジタルエンタテイメント断片情報誌

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海外のビジネスマナーに関する書籍から見出す基本

海外在住・旅行系、ご当地情報系のブログが好きだ。理由は簡単、自分が書かない、知らないネタや情報で溢れているからだ。現地の写真掲載も楽しみの一つ。普段の生活で得難い新鮮味と想像を味わうことができる。これで文章も巧かったりするのだからたまらない。羨望の一言に尽きる。

そんなブログを運営している御仁が何故か自分のブログにスターや読者登録をつけることがあり、驚きや喜びとともに当惑している。ブログの使い方や目的はそれぞれだ。それはわかっている。それでも嬉しくてつい相手のブログにアクセスするのだが、どうにも接点を見つけられないことが多い。こっちがスターなんてつけたら、正直「変なヤツが読んでる」なんて思われるんじゃないかと後々後悔することもある。そしてそんなことを書きつつ、私も「このタイミングでこの記事はないだろ・・・」みたいな記事を懲りずにアップしてしまうのだ。テヘヘ。

他に書き捨てる場所がないマクラを記事にかこつけて書いてしまったが、今回はそんな未知の世界、特に「海外」を僅かでも知りたくて、マナーの本なぞ読んだので書き留めておきたい。


『世界標準のビジネスマナー』(著:ドロシア・ジョンソン、リヴ・タイラー 東洋経済新報社)である。実は「世界標準の」といってもアメリカ中心の話題なんですけどね。まあアメリカも知ってるようで知らないことだらけだし。アメリカ以外のマナーも載ってるし。

世界標準のビジネスマナー

世界標準のビジネスマナー

  • 作者: ドロシアジョンソン,リヴタイラー,横江公美,Dorothea Johnson,Liv Tyler,村山美雪
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2015/05/01
  • メディア: 単行本
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日本語版はAmazon特有の辛口レビューが点数を下げているが、原語版は大変高評価の様子。日本版の序文によれば「アメリカの書店では卒業式を控える春になると「大学を卒業する時の必読書」コーナーが登場」するそうで、その中に並ぶのがこの本というわけだ。何だ、日本と一緒じゃないか。というわけでこれからの季節、新社会人にも気軽に読んでもらいたい。

Modern Manners: Tools to Take You to the Top

Modern Manners: Tools to Take You to the Top


本の内容は一口で言うと、”アメリカ版エチケット集”、といった趣である。日本で「マナー」というと、もう少し形式・儀礼的な立ち振舞いの知識を集成したものを想像しがちではないだろうか。それよりもっと基本的な、日本語で使う「エチケット」くらいの感覚で捉えたほうがこの本に馴染みやすいかと思う。

例えば「テーブルマナー」についてもナプキンやグラスの使い方といった気軽に読める内容の上、アメリカ式とヨーロッパ式の歴史まで解説してあり、「ナイフとフォークの使い方って意識したことないな」という人は読んでおいて損はないだろう。

しかし本書の魅力はさらにあって、各項のマナー紹介時のアドバイスが大変堅実・実直という点だ。私などは日本との違いを期待・楽しみにして読んだのだが、蓋を開ければ「世界は違えど」共通な認識・感覚があることを改めて確認することになった。

例えばビジネスの場で自己・他己紹介(introduce)の立ち振舞いなど、

恐れるべきは、礼儀知らずだと思われてしまうことです。丁寧で古めかしいほうが、なれなれしい不作法者より、はるかにましです


(『世界標準のビジネスマナー』 P.24)

などと、襟を正したくなる一文が載っていたりする。この他、外出先でのマナーも、「座席では身動きは控えましょう」みたいなことが書いてあり、「載せるほどのことか」「アメリカってそんなことも・・・」と言いたくなるが、考えてみて欲しい。今日本のニュースやネットで「炎上」と騒がれる迷惑行動が、果たしてどれほど”その程度のこと”を守っていただろうか。


そんな本だから、「デジタルのマナー」も基本的なネチケットに徹している。SNS利用に際して、

どのコミュニティの一員になるにしろ、楽しみとともに責任も伴います。そこにアクセスする人々全員に、顔のみならず、評判、誠実さ、品位もさらすことになるのです。あなたのインターネット上の振る舞いによって、現在勤めている会社や今後転職するかもしれない会社の雇用主、同僚、家族、友人、その他の大切な人々から、評価を下されかねないのです。


(『世界標準のビジネスマナー』 P.100)


だからこそ、意見、感想・思想が受け容れられるために、世に通じる”表現”を駆使するのだ。それをしない輩がネットでも、日本でも、アメリカでも、世界でも本当に通用するのか。せいぜい”なれなれしい不作法者”ではないか。

新たな節目の時期に、とりわけ反芻しておきたい。

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