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妖怪と現代に思いを馳せる:『山海経』を読んで

自分が記事で取り扱っているジャンルを見渡していて、たまに読み返したくなる本がある。中国古代の地理書、『山海経』(高馬三良訳 平凡社)だ。

実在する動物やその擬人化よりも、妖怪、化物、そして怪獣の類がとても好きだ。”この世ならざるもの”の見てくれや、誕生までのエピソード、発想の経緯といった部分に惹かれているのだと思う。

『山海経』にはそんな”突拍子もない”生き物たちが、ごく真面目に紹介されている。中には中国から日本に伝わったと思われるものも確認でき、興味深い。学生時代に漢文の問題で読んだ記憶があるが、問題の解法以上に出典・解説が印象的な作品だったことを思い出した。

代表的なものを挙げるとするなら、やはり「九尾の狐」だろうか。この体のどこか一部分が多い・少ない、というのが『山海経』の世界における基本のようだ。


(『山海経』平凡社 P. 19より)

尾どころか、頭部ひとつに10の体という、「何羅魚(からぎょ)」という魚もいる。尻尾以上に、何に必要なのか。


(同 P.51より )

別の生物と組み合わされた”合体型”も多い。「かつぎょ」は鳥の翼をもつ魚だ。滝登りの手間は省けそうだが、これが現れると「天下大いに旱(ひでり)する」とあり、災いをもたらすようだ。なるほど、そのための翼なのか。水があるところに移動できるようになっているのだろう。


(同 P.76より)

挿絵と本文でよくわからないのが、「類(るい)」。見た目は「狸(たぬき)の如く」とあるのだが、私には狸に見えない。虎か猫ではないのか。青狸を頑なに否定する22世紀の猫を知っているが、それより不可解だ。詳細な文献で調べたほうがよいのか。


(同 P.19より)


他にも人型の不思議な部族が紹介されていたりするので、続きは本書でぜひ。文章は古典表記が混じっており、慣れないと読みづらいかもしれないが、挿絵に関心を持てば読み進められるだろう。

ちなみにこの平凡社版で、日本の妖怪の話を交えて解説を書いているのが、水木しげるである。現在、アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の新シリーズが始まっており、興味を新たにした御仁も少なくないだろう。水木しげるの『決定版 日本妖怪大全』(講談社文庫)ともども、『山海経』も広く読まれて欲しい。

どちらも電子書籍化されていないようで残念だが、手元に置く価値のある内容ではないかと思う。


最近ブログで風景や料理・食べ物の画像をよく見ている。自分がほとんど取り扱わないジャンルであること、そして日常にない世界を求めているのかもしれない。特に風景の画像は昼夜問わず鮮明だ。正直、どの画像も自分が撮影したものより上手く思えてしょうがない。

ふと、そういう写真を見ていて思うことがある。「ああ、妖怪でも写ってねえかなあ」。残念ながら写っていない。心霊写真の類もすっかり影を潜めた。

そうか、世間も妖怪を見かけないから、妖怪や超人を欲しているのか。海外、アメリカの映画を観たってそうだ。そうでなければ別世界、バーチャル世界を舞台にするんだ、と。

日本だって、キャラクターにしなければ気が済まないのかと言いたくなるくらい、あらゆるキャラクターで溢れている。大部分はユルいか、可愛いキャラクターだ。たまには畏怖するような存在や、恐れおののくものもあっていいだろうに。

⋯いや、幅広い層を魅了する彼ら・彼女らの正体こそは、もしや、現代に生きるため自然に姿を変えているのか。等身で少し話題になっていた新しい『ゲゲゲの鬼太郎』のねこ娘も、そう考えると合点がいく。

月並みな発想を書いたつもりなのに、久々に、少しだけ怖くなってしまった。

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