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戦いを知る:日本軍・日本兵編 突撃と玉砕だけなのか

第二次世界大戦・太平洋戦争を戦った、日本軍と日本兵にどのようなイメージを抱くか。記事タイトル通り、”バンザイ突撃”や玉砕に追い込まれた悲惨さと、種々の愚かさとでもいう感情的なものか。

また、史実に基づく戦記・戦史やドキュメンタリーから、映画で描かれることもある、その敢闘ぶりに心打たれることもあるだろうか。実は優秀な指揮官と部隊だった、といった意外性をフィーチャーするのだ。

ただそうやって折につけて触れる度に、自分自身に得も言われぬ、葛藤がうごめくときがある。有り体に言えば、「本当にそうなのかな?」という疑問から、「客観的な視点でもう少し知りたいな」という冷静な関心だ。


そんな日本軍、主には陸軍と日本兵の戦い方や戦歴に対する評価を、米軍の資料から読解・解説した文庫と新書がある。『米軍が恐れた「卑怯な日本軍」 帝国陸軍戦法マニュアルのすべて』(文春文庫)と、『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』 (講談社現代新書)である。著者はどちらも一ノ瀬俊也。

日本軍と日本兵 米軍報告書は語る (講談社現代新書)

日本軍と日本兵 米軍報告書は語る (講談社現代新書)

両書とも、米軍が作成した対日戦マニュアルや戦訓広報誌をもとに、日本軍・日本兵の戦法や使用武器、戦術の変遷と日本兵の気質を読解していく。参考文献含め、従来日本で刊行された研究書物であまり垣間見ることのできなかった内容である。米軍の記した内容は、当時の米軍側の戦意高揚を目的とした誇張もなくはないが、地に足のついた分析だ。それが客観的な視点から日本軍と日本兵を考えるに役に立つ。

とりわけ両書を通じた日本軍と日本兵の行動パターン分析は、戦地での様子がありありと浮かんでくる。思い当たる節がある、とでも書きたくなる。特に日本の戦歴を追う『日本軍と日本兵』が克明だ。以下引用:

日本人は誰かの好意や贈り物を受けたら最低でも同等のお返しをしなければ、顔(face)―自尊心、自信の同義語―がつぶれてしまう。捕虜(※1)たちにとって命という贈り物にお返しをする唯一の方法は、我々(※2)が彼に求めている物、特に情報を与えることであるようだ。


※1 捕虜⋯日本人(兵)の捕虜 ※2 我々⋯米軍

(『日本兵と日本軍』 以下同書からの引用)

⋯防御では、日本軍はよき戦士である。だがそれは明白な弱点の裏返しでもある。
 その弱点の一つが、側面を衝かれれば対処不能ということである。これはおそらく自らが側面攻撃を絶対視しているためだ。側面を衝かれると、敵が強いかわからなくてもとにかく逃げ去ってしまう。もし逃げないとすれば、予め準備していた防御をとるかわりに銃剣突撃をかけてくる。

日本軍兵士最大の弱点は、予期せざる事態にうまく対処できないことだ。彼は戦闘機械の優秀な歯車であり、決められた計画を細部まで実行することはできるが、急速に変化する状況に対処する才覚も準備もない。どんな訓練もこの日本兵の欠陥を修正することはできない。この生来の弱点は、自由な思考や個人の自発性を厳しく退け、管理されてきた人生と、少なくとも部分的には関係がある。


一方で、戦争後半まで日本陸軍を苦しめた難敵、”戦車”(シャーマン)に対する日本軍の率直な苦悩を知ることもできる。

⋯不備なる対戦車装備を以て優勢なる敵戦車の撃滅破砕を期するは固(もと)より難事中の難事なり

この現状把握があってこそ、日本軍は無謀と思える戦車への少数での特攻的攻撃、肉攻(戦車に少人数で近づき、地雷等で爆破、乗員を倒す)を選択し、実行した。これをちゃんと米軍は「”天皇のために死のうとする愚か者”とは限らない」作戦として脅威とみなし、一定の評価をしていた。著者は言う:

現代の我々にとって日本軍兵士の突進行動は一見、愚か、狂気そのもののようにみえる。しかしそれは、戦車撃破が戦勝の前提だと学んでいるのに対戦車兵器を実用化できないという「おのれの弱点を自ら認めて」補うべく、軍が<合理的>に選択したものである。


この他にも、戦争後半、レイテ島(1944)やルソン島(1945)の戦いで、日本軍の”バンザイ突撃”に関する方針が変化していることも、日本軍の内情踏まえ、察知されている。バンザイ突撃自体が、日本軍にとって初志貫徹された戦術というわけではないのだ。

 日本軍の高等司令部は、追い詰められた部隊が集団自殺を遂げるのを次第に憂慮するようになっている。もちろん公式な名称は集団自殺ではなくバンザイ突撃である。名前はどうあれ、初期の作戦の特徴となった熱狂的突撃の結果は日本兵の死体の山であった。おそらく兵に狂信的な勇猛さを求める訓示や命令の効き目がありすぎたのだろう。こう考えたフィリピンの日本軍高等司令部は自動火器、火砲の支援を欠いた大規模夜間攻撃をやめさせている。



これら上記の引用群だけでも、興味の端緒となるかと思う。安易なビジネス論への結びつけ、戦争に対する戒めに留まらず、日本人とその組織の歴史を落ち着いて見つめ直してみたい。

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