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邦画と特撮、アニメに寄せて 『ケムリクサ』第11話・第12話

今期観てきた作品の一つ、『ケムリクサ』(MX 毎週水曜22:30~他、配信有)の感想です。今回は第11話・第12話(最終話)です。

ケムリクサ

ケムリクサ

  • メディア: Prime Video

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第9話・第10話の感想はコチラ:

第11話の感想

明確に第10話の続きから。OPの内容がこれまでの道中を鮮明にするものでもないので、OPの挿入箇所を変える演出は特段効果を感じなかった。前話を観直してから臨むので、「ああ続きの場面だからね」程度の印象だ。

前話で登場した少女とわかばの関係を披露していく回。ケムリクサの用途も改めて明かされる。どうやらわかばは地球人ではなく、地球とは別世界の宇宙船に”プリント”と称してビルや街一帯(文化財らしい)を引き上げる仕事に従事している様子。ケムリクサも研究しているらしい。”りり”という少女は水の中から(地球から)転写されてきたのをわかばが助けたとのこと。

第3話の感想で「わかばは人間世界の住人ではない可能性がある」と書いたが、まあ当たってしまった。あれだけ多弁なのに肝心なこと(自身のこと)を話さなければ、当然疑うところだ。ただ今話で「種明かし」をするために、そういう記憶や過去のエピソードを各話に織り込まなかったのは、”こういう仕掛けにしたかった”感アリアリで、かえって融通の利かないストーリー作りが露呈しているように感じた。直近の第9話の感想でも書いたが、りょくに質問をさせてはぐらかすくらいなら、りん達との道中でエピソードとして消化したほうが自然だったと思う。

シロの存在も第8話の感想で「主がいなくなっても変わりなく」などと書いたが、これも良い線行っている気がする。各話の感想で度々「ケレン味のない」話作りと表現したのだが、今話でも壮大な仕掛けを感じて圧倒されたりすることはなかった。良くも悪くもソツがない。
そうそう、以前「ケムリクサの盾は光鷹翼」と冗談で書いたのだが、柾木天地も宇宙の血筋だったね。ネタのつもりがこうもハズれないとは。

話を少し戻そう。りりの登場・存在については、11話時点では大した衝撃は受けなかった。特に心理描写については、両親の存在・設定からして、正直ベタな”不幸の境遇”に堕してしまったかなという印象。またりりとわかばのエピソードもこれまでの話で仄めかされたわけではないので、わかばに対するりりの好意や憂慮にも実は脈略がない。そしてさらに11話はこの辺りの含みを12話に引っ張るのかな、という狙いが透けてみえる。これはりりに限らず、わかば諸々含めて今だ謎が謎を呼んでいる状態なのだ。そんな点から、11話には消化不良の後口が強くなる。

また今話までの描写でいうと、ここにきてりんが記憶を覗く展開にも余裕がありすぎる気がする。これまでの道中でアカムシに苦慮し戦う描写が最小限に省かれたので、土壇場の緊迫感がない。道中寝る暇もなく、水もなく絶望、という印象も今一つだった。それらを詮索させる台詞はそれなりにあったが、少し視聴者の補完に依りすぎてはいないか。その流れでラストのわかばも唐突感がある。前述の通り、これも12話で種明かしなのだろうが⋯。

第12話の感想

最初で最後の戦闘回。第11話の印象から、まだ謎に踏み込むのではと予想していたのだが、堂々とまとめにかかった回だった。

前話ラストのわかばは無傷で、露骨に次回へのヒキのためだけにピンチに陥っていた様子。今話はこの後にも「わかばは無事」描写を繰り返すのが、残念。ピンチを脱した喜びや伏線の驚きよりも、一連の話の感想で書いた、「ケムリクサの便利アイテム化」に近いご都合感が最後に出てしまった。

また、ピンチに際してわかばの出自を最終話で隠し玉にするかと思ったら、謎のまま終わってしまった。わかばの設定は今作では活かしきれなかったように思う。第1話視聴時に「この作品は視聴者に俯瞰を意識させているのだ」と踏んで、それなりに楽しみにしていたのだが。結局そこが埋まらなかったので、りりとの関係性ものめり込めなかった。何より”お人好し”であること以上にわかばに惹かれるものがなかった。妙な多弁ぶりに裏もなかった。

りりの印象についても同様。11話になって登場するくらいなら、これまでの道中でわかばと各姉妹のエピソードをもっと強化・特化して(特にりつ・りな)、記憶を織り交ぜ・仄めかしてもよかったのに、という気がする。記憶の多寡はあれど、姉妹は分割したりりなのだから。それをやるとハーレムアニメの個別メイン回みたいに捉えられるのを避けたのか。いやしかしそういう3姉妹(6姉妹)分のエピソードが今話にぶつかってくれば、わかばの”防御”もりんが見た”記憶”もインパクトが桁違いに思うがなあ。そこで分割された姉妹が「りり」になる(=りりの救済)というわけね。

戦闘については、ADVゲームで「避ける」「左から攻撃」「右から攻撃」みたいな選択肢が出そうな、動き自体に何の変哲もなくそれほど魅力がないもの。引いた画と動きに粗さが目立った。アカムシとの戦闘メイン回をひとつくらい入れておけばいいのに、とこれまでの感想で書いたが、アクションの出来栄えを観てこれまで戦闘回をやらなかった理由がわかった。戦闘描写よりも途中で挟む回想やイベントを楽しむような展開自体はゲーム的。その流れで3姉妹の登場はもう少しヒネって、もったいづけて欲しかったかな。それこそ全員りりが起源であることを思わせるような絵面でね。そこでケムリクサが真価を発揮、スーパーアイテム化したりするのはかまわない。

ラストの大団円はなんというか、各島で見てきた廃墟を深追いしなくてよかったなどと偏屈な感想が浮かんでしまった。そう言えば第7話の感想で「本来りん達はどんな暮らしをしていたんだろうか」みたいなこと書いたな。わかばと姉妹で楽しく暮らすんですかね。りんの”毒”、恋愛感情についても、第2話の感想の感想で書いた「誰も知らない、教えてくれなかったものの価値」が判明したね。こんなのまで読み通りになるとは思わなかった。ということでおしまい。


全体として毎話「次はどうなるのか」と含み(らしきもの)を残す構成で話が進んでいった。ただその過程、中盤のほとんどのエピソードが平板に感じたこと、最終盤の展開や伏線の種明かしに対して驚き、新鮮味みたいなものは物足りなかった。単なる興味・好奇心から視聴した1話は好感触だったが、以降は面白さの度合いが下がっていった。謎が謎のまま、曖昧なまま終わった感もある。そして作品として繰り返し観て語りたくなるような余韻は残念だがなかった。キャラとしてはメイン2人:りつ、りなの扱いが少しもったいなかったかな。道中一緒なら個別エピソードでりんに引けを取らない”特別感”を出しても悪くなかったかも。

画・CGに関してはやはりもう少し、動きのあるもの、描写が欲しかった。台詞で説明するなとは思わないが、テキスト・音声型のADVゲームをそのままアニメ化したような演出(長台詞中心の回想等)は、アニメではやはり残念かなというところ。もちろん画・CGの美麗さも求めたい。

余談:『ケムリクサ』とゲーム

「ケムリクサ」をさんざ「ゲームっぽい作品」だと一連の感想で書いた。ちょっと前ならこういうADVゲームが発売されていたのだろうか。実は思い浮かぶ作品があったりするのだ。既に巷では名前が上がっているかもしれない。世界観やキャラクターの毛色はもちろん違うし、この作品との関連を特に問うものではないことは念押ししておく。『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(CERO D : 17才以上対象)のことである。

オリジナルはPC-98やサターンで遊べる(1996、97年発売。※18禁)。革新的で古典となったADVゲーム、と言って差し支えないか。エンディングは全部制覇しなかったなあ。現在リメイクされて発売されたPS4・PSVita版はPC-98版のDLCカード同梱版もある。

この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO

この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO

  • 発売日: 1997/12/04
  • メディア: Video Game

パラレル・ワールド、異世界、美少女⋯そしてSF、これらの要素が2000年代の「セカイ系」の作品へと連なっていったのは感慨深い。調査したわけでもなく、完全な憶測だが、こういう作品を経た世代が今働き盛り・語り盛りになって、創作や持論をぶつけているのか、そんなことを少し考えた。


本当に偶然だろうが、このリメイク版ゲームもまた来期アニメ化されるそうで。観て感想書こうかしら。
yuno-anime.com

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