デジタルエンタテイメント断片情報誌

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映画を観に行った2016 『シン・ゴジラ』

急がず慌てず、楽しみを後に残すように観に行ったわけですが、今更ながら映画『シン・ゴジラ』の感想です。大変ヒットしているようで、特別な劇場設備・大スクリーンでの上映も残っていて有り難かったです。2014年の『GODZILLA ゴジラ』は、話題性の割に公開後は尻すぼみという感じで、正直視聴前から作品の内容と上映期間両方に不安を覚えてしまいましたが、今回はそういう雑念もなく観に行くことができました。

ただ、これだけヒットしているので、感想は軽く2部構成にしておきましょう。私は(東宝)特撮もゴジラも好きなのですが、1部は敢えて”話題作を観に行った”、というくらいのスタンスで。ゴジラ映画は過去作含めてよく知らないけど、まあゴジラって怪獣の名前・姿位は知っている、という感じでしょうか。なるべくゴジラへの思い入れ抜きで、映画の感想に徹したいと思います。最近はゴジラシリーズの過去作が地上波で放映されることも少ないですし、ゴジラの映画を観るのは初めて、みたいな層も多いかと思います。また今回は制作陣の影響で、特にアニメファンの注目度も高かった*1ことですしね。

2部はもう感想というか与太話というか、1部とは打って変わって、ただのゴジラ好き丸出しの内容でやりたいと思います。1部もそうですが、もうね、啓蒙なんて畏れ多い。趣味ですから。2部がやりたかっただけだろ、って? テヘヘ。


◆『シン・ゴジラ』の感想 1部:今夏のヒット作を観て
序盤から、ゴジラの出現を匂わせる描写を素早く繰り出すのが良い。否が応でも画面に惹きつけられる。そして、政府、登場人物と見せていく中で、昨今日本で起きた災害・事故を意識する(大なり小なり、この感覚に最後まで支配される)。
もう時期的に書いても大丈夫だと思うが、ゴジラの第2形態のインパクトは凄かった。予告や宣伝を否定はしないが、こういう、作品のための箝口令は大歓迎。

ただ、この前半のCG(または特撮)は残念。予告等で公開されたシーンはさすがに気合が入っていたが、第2形態時の体表の質感、河川に溢れるボートは画から浮いていて、やはり違和感を覚えた。後半の見せ場で言うと、新幹線・電車(在来線)や、一部の爆発も同様。ここはぜひ、気にならなかった・気がつかなかったというクオリティの作品が日本映画でも観たい。

主人公含めて、名前・役職等を意識しなくても役割・キャラクターが頭に入っていくので、上手いと思った。いやそれが普通か。各登場人物のキャラクターについては、少々ステレオタイプな感もあったが、敢えてやっているのかなという印象。

ゴジラ対策のために所謂変わり者・曲者だが一芸等、秀でた所のある人物を集めるくだりは、古典的・王道のワクワク感よりも、正直「このチームが活躍するんだな」という”読み”が先行した。各登場人物のキャラクターもそうだが、想像以上にベタに攻めてきた感じを受けた。おかげで、この後劇中で起きる各出来事・ハプニングも「最後は何とかなる(うまくいく)」という楽観的な気持ちが勝って、映画を通じて展開に息を飲んだり、絶望を感じることはあまりなかった。個人的にはその辺り、もう少し未曾有の事態を観てハラハラ・ドキドキしたかったところ。

鎌倉上陸以降のゴジラ、夜に炎を吐き尽くして以降の展開は、前述のそういう”読み”に加えて、時間の都合で少々巻いたかなという印象があり、これも惜しい。ゴジラを凍結させる作戦の準備・交渉のくだりも、問題の発生とその対策・対応をポンポン行なう(行なっているようにみえる)ため、体良く進みすぎた感がある。マキ博士の動機と遺物、そしてゴジラのネタばらし、ついでに情報通とのやり取りなんかもそう。謎や含みのある描写は悪くなかったが、登場人物の行動・台詞から導き出される結論や方向性の”重み”や”インパクト”は案外薄かったように思う。

ひとまず一件落着した作品世界での今後を想像し、思いを馳せる余地を残して映画は終わる。この余地・余韻が作品の粗や不満点の印象を押さえ込み、作品をヒットたらしめている気がする。続編を仄めかすようなラストもプラスに働いている。私自身、映画を見終わった後の気分は決して悪くなかった。


◆『シン・ゴジラ』の感想 2部:ゴジラシリーズに寄せて
ゴジラの第2形態は本当に驚いたし、一瞬ムートーみたいな別怪獣かと思った。ただ、背ビレと眼を観てすぐにゴジラと確信。作中での進化・生物として考えるより、私にはこれまでのゴジラシリーズにおける、ゴジラの眼が先に思い浮かんだ。ゴジラの造形は作品毎に様々だ。眼も例外ではない。そしてゴジラの眼は、クリッとしていて案外可愛いタイプが多い。今回何かと引き合いに出される初代ゴジラもそう。顔もツルンとした感じでね。最終形態の眼も含め、そういうリスペクトもあるのでしょうかね。

・改めて『シン・ゴジラ』のゴジラの造型はどうだったかというと、うーん、鎌倉上陸以降はやはり口が気になる。正直、下顎は割らないで欲しかった。というか、口の開き方や歯の形状からビオランテを連想してしまった。ああ、ビオランテも学者が娘の細胞とゴジラ細胞を・・・でしたね。ストーリーに何となくデジャヴを感じたのはそこか。そういえば、熱線(ビオランテは樹液)を吐く姿も近い気がする。些細な事ですが、『シン・ゴジラ』がこれまでのゴジラシリーズと一線を画するなどと言われると、どうも煮え切らない理由がここにあったりします。あと熱線は必殺武器でも良いけど、私は攻撃に対して悠然と反撃で使う姿が好き。『ゴジラvsビオランテ』を始めとした平成シリーズはそういうシーンも多くて満足。

・それからゴジラの口に”お薬投与”も『vsビオランテ』でやってたか。『シン・ゴジラ』では動きを封じての作戦で、かつあの絵面に意図も感じたが、あのシーンをやるならポンプ車を操る人間のドラマにも時間を割いて欲しくなる。尺が厳しかったかな。その辺り、『vsビオランテ』は面白くて印象に残るシーンにしてましたな。

・音楽については、実はかなり期待したのだが、それほど印象に残らなかった。可もなく不可もなく。伊福部昭の音楽使用については、劇中での効用、また劇場内での響き方についても、正直浮いてましたかねぇ。パンフレット等でみかける、伊福部音楽の説得力や、過去の(モノラル)音源へのこだわりという話は痛い程わかる。ただ、伊福部昭が昭和〜平成ゴジラシリーズで作り出した画との効果・音楽作りを知っている以上、”啓蒙”にしても少し淋しい使い方、という気がしました。劇場で伊福部音楽が鳴り響いても、特に感銘もなく、俗に言えばファン感涙、のようなテンションにもならなかったです。

ゴジラVSキングギドラ

ゴジラVSキングギドラ

例えば”ゴジラのテーマ”でいうなら、平成ゴジラシリーズ『ゴジラvsキングギドラ』の『ゴジラ北海道上陸』シーンを観て・聴いてみて欲しい。当初「時代に伴って音楽の需要も変り」と、音楽を担当するのを躊躇した作曲家が、やはり「この映像にはこれしかない」という音楽を配しており、大げさだがゴジラの姿が神々しいとすら思う。そんな音楽・作品が平成時代にも残されているわけです。映像・音響がさらに進化している昨今、敢えて同じ楽曲を使うにしても、新たな映像には過去の音源の再現ではない、新たな(ステレオの)音源で挑んで欲しかったところ。そこで『シン・ゴジラ』におけるゴジラの存在にさらなる説得力が増したかもしれないと思うと、もったいない。過去の音源を”忠実に”使うことで、私のような人間は「あ、○○(作品名)の音源だ」と注目する一方で、過去のイメージだけに収束してしまうきらいもあります。

・『シン・ゴジラ』の公開前に、「『ゴジラの逆襲』のススメ」という記事を書いたのですが、ヤシオリ作戦ゴジラの足止め・生き埋めを見せてくれて小躍りしそうになった。何故かと言うと、『ゴジラの逆襲』でもゴジラを氷山に生き埋めにする作戦をやっているんですよ。神子島の雪山に航空隊がロケット弾打ち込んで、雪崩を起こすんです。もちろんゴジラも戦闘機を熱線で撃墜します。『シン・ゴジラ』同様、ゴジラは昔から航空兵器には強いんですねぇ。『シン・ゴジラ』の元ネタ探しなんて色んな所でやっていますが、是非是非『ゴジラの逆襲』も。まさに”獣”のようなゴジラの動きも見ものです。次作があるなら、やっぱり新怪獣登場・対決ものですかねぇ。

*1:私は特撮、とりわけ東宝特撮寄りの趣味なのだが、アニメも特撮も好き・わかる、というファンは案外少ない気がする。また、これも個人的な体感に過ぎないが、アニメのファンで特撮も好き、という御仁は東宝特撮よりも東映特撮(仮面ライダー・戦隊等)に熱心な御仁が多いように思う。特撮と言っても、東映特撮と東宝特撮は志向も味わいも異なるわけで、やはり東映の影響は大きいのか。・・・これだけで記事が作れそうなネタなのですが、余談まで。

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