話題作は人の入りが落ち着いてから、が良い気がしてきました。6/30公開の映画『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』(公式サイト)の感想です。ストーリーを事細かに書いたりはしませんが、ネタバレありです。観た人向けの感想です。
本作はシリーズ物ですので、その辺りにも軽く触れてから感想です。予告編はTVスポット30秒を。音楽がもったいぶってないので。
※画像をタッチ・クリックすると予告編(YouTube)が再生できます。
これまでの『インディ・ジョーンズ』シリーズについて
これまでの『インディ・ジョーンズ』シリーズ、『レイダース』から4作目『クリスタル・スカルの王国』は鑑賞済です。どれもTV放映やレンタル、配信で何回か観た程度です。4作目など公開されて5、6年経ってから観たと思います。概して面白い映画だな、という印象でしたが、劇場で観た思い出や作品に対する思い入れはさほどなかったです。
ただ『運命のダイヤル』を観るにあたっては、事前に前4作全て鑑賞した方がよいと思います。あるいは『運命のダイヤル』を観た後に前4作を観てもう一度『運命のダイヤル』を観る。どうも1作目の『レイダース』だけ観ておけばよい、みたいな評を見かけますが、1作目だけ鑑賞してから臨むのはもったいないと思います。作品毎の出来不出来や、出演者や制作者に纏わるパブリシティが気になる向きもあるでしょうが、それ抜きにしてシリーズ最終作に至る流れを把握して鑑賞するのが本作の真骨頂です。実はその意味で本作は急いで観に行かなくてもいいのでは、とすら考えています。とは言え映画館で楽しみたい方は早めに足を運ばないと上映が終わります。細かい仕掛けに着目するのもよいですが、作品毎に「ああ、そんなことあったな」といった大まかな流れが思い浮かべば十分でしょう。ちなみに私は、現代にないSFX・特撮的な魅力を感じる1作目が一番好きです。神秘的な雰囲気は色褪せてないです。ストーリーは3作目でしょうか。4作目のオチも割と好きです。
映画『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』の感想
まず映像面から。序盤の若かりし頃のインディ・ジョーンズ登場は本当に凄い。現代だからこそできる映像技術で、一見の価値あり。この自然で違和感のない画は、今後公開される映画全てに影響を与えると思う。いや、映画作りの幅が広がるはずなのでぜひ広まって欲しい。その他映像面でのクオリティの高さは言うまでもない。過去のシリーズで感じる合成やCGの違和感は本作では殆どない。このクオリティですらいずれ古びて見えるのか、と思うと末恐ろしい。
内容について。実は普段作品の良い点・悪い点を書くとき、良い点を書いてから(褒めておいてから)つらつらと愚痴を書く性分なのだが、今回は敢えて先に不満点を少しだけ書いている。褒めたい内容が肝心な所だからだ。
全体として、カレッジからの逃走劇、カーチェイスや船上でのアクションはややメリハリを欠いたように思う。現代に近い舞台設定で苦心したのだろうが、冗長に感じた。場所の移動が多く、その度に追いつ追われつを繰り返すので飽きてくる。序盤の列車でのアクションが見応えあり、完成度が高いのも災いした。この構成のせいで、定番の新たな宝と謎の解明シーンの緊張感や達成感が薄れてしまった。足早に台詞で済ませたような箇所もあり、サクサクし過ぎている。もっとも終盤の終盤で、インディがラストの”オチ”に気がつく所作や間が度々挿入されているのは可笑しかった。この点は2回目の鑑賞して面白さが増した。小道具の伏線も良い。
本作で最も私の心に残ったのは何と言っても、一線を退くインディ・ジョーンズ、私生活に影を落とすインディの描写である。初っ端から、酒を飲みテレビつけっぱなしで寝落ちしているインディである。博覧強記で腕っぷしが強く、活動的で滅多に家にいない、(主観かもしれないが)ルックスの良いヒーローが、一気に身近に、いや他人事でなくなった。映画で求めていたインディ像ではない、といったことでない。あのインディですらこうなるのか、だったらインディのような魅力を何一つ持ち合わせていない人間の老い先は一体どうなるのか。まして作中のインディに比べたら平穏に生きているはずなのに⋯。大げさだが身につまされる向きもいるだろう。種々の観客に向けて意図した描写であればまさにストライクだった。
このインディ自身の生活や心の有り様を示すに、身近な周囲の描写が良い味を出している。宇宙時代到来の空気よりも、とりわけカレッジでのシーンが生々しい。広々とした階段教室には活気がなく、講義には出席するのに勉強してこない学生⋯。前4作までのカレッジ・学生との変化がさり気なくも重い。今や教壇に立つ時間が増えたであろうインディの心境や如何に、察するものがある。またこれが個人的に、自分の学生時代を思い出すようで耳が痛い。あの頃もっと勉強しておくべきだったと、インディに思わず詫たくなるような、そんなノスタルジーも喚起されてしまう。
定年退職の様子も同様だ。サプライズの前に労ってくれそうな親しい同僚も、もはやいない。周囲に感謝は述べるものの、上辺だけで心はない。お決まりなのか、貰って嬉しくもない記念品を渡される。受け取らないことはないが、せめて酒だったら持って帰っているだろうに。この後の逃走中に役立つアイテムになるか、景気づけに栓を開けていたかもしれない。何より、そんな好みや趣味を誰かと語らうこともなくなったのだろう。当然帰りも一人、酒場で一杯だ。単なる「孤独」では片付けられない、現代の人間関係に通じるものがある。既にそんな時代にインディが生きていることに一連の物語の終焉を感じる。
そんな日々に加えて家族のことで思い悩み、望まずも冒険に駆り出される。すると、その先で長年追い求めていたロマンが現実になる。インディが現代に帰らずその時代に「残る」と言い出すのも当然ではないか。それこそ私がヘレナだったら、「ここにいなよ」と言っているところだ。初見時そんな結末をつい期待してしまった。インディの境地に大いに共感してしまったのである。多分私はその結末でも満足していたと思う。
だがそれでもヘレナは、殴ってでも連れ帰った。インディにはそうしてくれる人物がいた。そういえば困ったときに手を貸してくれる友人はいるし、なんだかんだ様子を見に戻ってきてくれる家族もまだいるではないか。これまでのシリーズを全て見たはずなのに、秘宝だけではない、幾多の冒険で得られたものや繋がりが残っていたのを上映中すっかり忘れていた。つまらなく、黄昏時を過ごしているはずの現代に、今に、大いに価値があるではないか。気恥ずかしいが私自身、そういう人物や関係が間近に思いつかなかったので視野が狭くなっていた。大体、説得するのに殴るなんて余程のことだ。でも、こんな簡単なことに気がつかないなど、余程のことである。
そんなストーリーの畳み掛けが、ラストを無事帰ってきてよかったね、で終わりにさせてくれなかった。これから払拭しなければならない鬱陶しいことや、わだかまりを想像してしまうからだ。だがそこに生きていく価値がある。繰り返すが、インディのような生き様はあくまで空想だ。普段あのような冒険は、多分ない。けれども、あのインディですらこんな日常に身を投じて生きていくのなら、少しは奮い起ちたくなるというもの。冒険の興奮や爽快感よりも、そんな余韻を残してくれる映画だった。また折に触れて観たい。