デジタルエンタテイメント断片情報誌

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邦画と特撮、アニメに寄せて 映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』

12/11から期間限定公開(~12/24終了予定)の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を観ました。これも公開当時(2009年)劇場で観ました。既にBDも所有。『序』に続いての鑑賞です。

来年1月公開予定の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(公式サイト)を観るため、『新劇場版』の私的なおさらいをしています。常時配信で観られ、年明けに地上波でも放映予定がありますが、新作の前に一呼吸置きたくて今観ておくことにしました。

※『序』の感想はこちら:

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の感想

手塚治虫の映画にまつわる文章をまとめた『手塚治虫映画エッセイ集成』(立東舎文庫)という本がある。

各種映画や映画祭の話題だけでなく、円谷英二との交流や、”やはり、ぼくはなんてったって、「ゴジラ」が最高作だと思う。”といった一文に代表されるような、特撮への高い評価を読むことができる。特撮と漫画、アニメ、そういった興味関心から読んでも損はないだろう。


この本に、アニメ『旧約聖書物語』を制作した際のエピソードが載っている。”敬虔なクリスチャンでもない”手塚治虫に、自由に作れと依頼したイタリアのテレビプロデューサーは聖書を描くことについて説く。以下引用:

「お前はクリスチャンでないからわからんだろうが、元来、聖書の教えは、各宗派で、みんなてんでばらばらなのである」
「はあ」
「Aの宗派の解釈はBの宗派には通用せんのだ。
 たとえばイタリアの聖書の解釈は、ドイツの解釈とはちがう。国民性によってもちがうのだ。アメリカの聖書に対する解釈なんてのは、もう、お話にならん。
 だから、アメリカ映画に出てくる聖書の物語なんて、まったくいいかげんなもんなのだ」
「――じゃあ、ぼくが、資料として、『十戒』とか『聖衣』とかの映画のスチールを参考にして、風景や衣装をつくってるのは、ダメなんですか」
「ぜんぜん、もうなにもかも、参考にはならん。百害あって一利なしである」

(『手塚治虫映画エッセイ集成』 立東舎文庫)

 このことにがっくりきた手塚治虫だが、だれでも納得する聖書物語とは”人類のあけぼの”、人類史を描くことだと悟るに至る。そして自身の仕事がアニメ市場の国際化について勉強になるようだ、と書いている。

『破』からとりわけ、TVシリーズにない要素が目立ち始める。これらを解釈するにあたって、TVシリーズの頃と同様、作中の台詞やワードから各種出典をあたり、ヒントを探す向きは少なくないだろう。そんな記事や各種発信ならば、もうさんざ世に溢れきっている。しかしそれらの情報源ですら、何処の誰がどう解釈したのかによって、実は導かれるものが全く異なるのではないか。本作の”考察”や”解釈”と謳うもので、そんな多面性・多様性まで配慮しているようなものを、残念ながら私は見たことがない。

考察や解釈の楽しみは『エヴァ』の魅力だと理解はしている。だが、完全版やディレクターズカット版、また絵コンテや資料集といった類に蛇足や冗長な側面があることも否定できない。それはいくら制作側の”事情”を知っていたとしてもである。木を見て森を見ず、いやまだ森かどうかもわからない、木かどうかわからないものを見つけてはしゃぐより、私はもう少し実体を掴みたい。ひょっとしたら映画のための”いいかげん”なご都合で満たされているかもしれない。順次上映されている『新劇場版』を観ながらそんなことを考えている。


『序』に続き、これも通常上映で鑑賞。新登場のキャラクターについては、鑑賞中に作品世界での関係性を探るため、本来ならば既存のキャラクターと絡みを増やさなければ、画面から、作品から浮くことがある。マリの印象はこれに尽きる。映画で一頃見かけた、海外版(日本版)ではオリジナルのシーンが挿入されるような感じだ。かつての『ゴジラ』シリーズでもそうだったか。まさかそんなところもオマージュではあるまい。

『破』は構成の妙味だと思う。緩急自在といってよい。登場人物、作品に対する多幸感を存分に味わったところで、どん底、あるいは既知の心情を観客に思い起こさせる。提示された新たな情報やTVシリーズとの変化が鑑賞を躓かせないことが、それらに対する興味をより引き立てる。『序』と同じくラストにカタルシスを置いているが、その快感は『序』の比ではない。それでいて「で、この世界どうなるんだ?」というヒキを忘れていないのだから、面白くないはずがない。

CGはより磨きがかかって、作品世界の魅力に寄与している。人の動かし方など、よく見ると拙い部分はあるものの、日常を見せることが作品のスパイスになるという意図を感じて心地良い。メカや使徒については言うまでもない。今だ通じる。このクオリティで、このクオリティを活かせる作品世界で話を進めてほしかった、というところだが、果たして。音楽も映画的な配置・効果になったと思う。挿入歌については、別のアプローチでもよかった気がする。歌・歌詞に頼らなくとも、画や展開が示唆するものの破壊力が大きいからだ。

通常上映でも2009年当時の予告が流れたが、『Q』はどうなるか。

(2020/12追記)『Q』の感想はこちら:

(2021/3追記)
『シン~』の感想はこちら:

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