デジタルエンタテイメント断片情報誌

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邦画と特撮、アニメに寄せて 映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』

12/4から期間限定公開(~12/24終了予定)されている『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を観に行きました。2007年の公開時も劇場で観ました。値崩れしきったDVDも購入しています。

今回鑑賞する目的はもちろん来年1月公開予定の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(公式サイト)を観るためのおさらいを兼ねたものです。これまでの3作は年明けに地上波でも放映予定の上、今や配信で観放題ですが、新作の前に『エヴァ』のことを考える時間が少し欲しくて上映開始順に観ることにしました。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の感想

今更TVシリーズとの比較や、エヴァの”謎”について問題提起してもしょうがない。エヴァを知らない人向けに解説する気もない。それなら既に良い情報が巷に溢れている。私自身もそういう記事は食傷気味である。ただ公開されて時間が経ち、新作を迎えるということで、これまでの鑑賞や情報収集から感じたことを書き連ねておきたくなった。

普段映像作品の感想を書くときに関係者やスタッフの話題は、ほとんどしない。制作裏話といったものを関係者自身が気軽に発信できる時代だが、だからこそ、まず作品世界を意識している。作品を読み解くのと、作品に不足している情報を作品外から補うのは、違う。そこを注意しないと、曲解や穿った見方をしてしまう。特に本作の総監督に纏わる話題など、最たるものだろう。

それを踏まえて、おそらくこれも有名なのだろうが、私が『新劇場版』の話題になると思い浮かぶ、ある漫画の話から入りたい。相原コージの『一齣漫画宣言』(小学館文庫)である。

新聞に掲載されている風刺ものとは一線を画す、先鋭的な1コマ漫画集である。下ネタ・エロ上等、躁鬱に人間の性(さが)ありの漫画が並ぶ。そしてこの本書の末尾が[解説もどき]:庵野秀明である。

[解説もどき]で、オナニーと『表現』は似ている、とまくし立てた後に、当時の表現についての状況を端的に示しているくだりが目に入る。以下引用:

しかし、世間に蔓延している文字媒体、演劇、漫画、映像等の虚構世界が、もはや暇つぶしとしての安易な時間消費、刹那的な現実逃避、自身が傷つかずに済む慰安所、見せかけの連帯感、甘えた自己閉塞への装置としての機能しか果たさなくなりつつある昨今、
(『一齣漫画宣言』[解説もどき]より 小学館文庫)

本書の出版は1998年である。この後、『新劇場版:序』を世に問うことになる。果たして今、”表現”の在り方に変化は起きただろうか。あるいは『エヴァ』が風穴を開けることができたのだろうか。私は残念ながら現在も上記のような状況が続いていると見受けている。SNSが一般的な道具と化して、特に”見せかけの連帯感”は痛切だ。来年、最後の新作を観るときはこの点を心したい。


また、本書に載っている漫画に「反省」という漫画がある。独身男性と思しき人物が、夜ひとりワンルームにベッドで就寝前に、「今日のオナニーはしなくてもよかったな⋯」と呟く漫画だ。
[解説もどき]ではこの漫画に”最も同調”したと書いている。以下引用:

作品否定へと直結する「この反省だけはしたくない」と常々危惧しているからだ。それに、運よくドーパミンがオート・レセプターなしで出てくれる前頭葉を使うヒトにしかできない『創造』という作業を生きていく手段とまでしている以上は、最大限の快楽を貪りたいからである。
 でないと、せっかくの人生、もったいないし。
(同)

当時と現在の心境にはもちろん変化があるだろう。今更この文章を話題にするなんて、という向きもあるだろう。だが私は新たな『エヴァ』に触れるたび、「観てよかったな」と思えるか、自分と作品に問い続けながら、この[解説もどき]を思い返している。


通常上映で鑑賞。私は『エヴァ』に体感は求めていない。別種の楽しみ方もあると認識はしているが、体感ではない、いや体感以上の情動や余韻を味わいたい。何ならそれが言葉でうまく言い表せなくてもいいと思っている。

遅まきながら、冒頭のシンジに目的を説明しない、というのは『新劇場版:Q』序盤と同じである。状況が違うようで似通っている、やはり繰り返しか、などと改めて考えながら観た。立場や状況は違えど、ミサトの態度ですら実質変わっていない。

そしてシンジがエヴァに乗ることで話が進む。乗らないことも乗るための仕掛けであり伏線である。『序』『破』『Q』すべてそうである。これは単なる制作上の都合的な話ではない。何を、誰をきっかけにシンジがその気になるか、そう観ていくと話の見通しがよくなる。登場人物を始め、TV版との違いといった要素がいい塩梅でそこを惑わしている。その意味で、例えばシンジがエヴァに乗るきっかけになったレイの存在を新作で最も楽しみにしてくれるのが、実は『序』だと思う。個人的に、どうも新作に『Q』の因果や説明ばかり無意識に求めてしまっていた。このタイミングで『序』を観る機会があってよかった。単なるTV版ダイジェストや微細な変化だけではない、大きな繋がりがある可能性を感じた。

映像はまだまだ古めかしくない。CGの質感も粗く感じない。特撮にあるような、「味」に変化しつつあるのではないか。エヴァや兵器始め、あたかも実在するような存在感が心地よい。この辺り『Q』などはやはり残念だったように改めて思う。一方で音楽は場面毎にベタベタとつけすぎのような気がした。楽曲含めて、音楽が映える場面も多いだけに惜しい。TV版の名残のようにも感じるが。


また12/11~の『破』劇場上映を楽しみにしたい。

(2020/12追記)
『破』の感想はこちら:

『Q』の感想はこちら:

(2021/3追記)
『シン~』の感想はこちら:

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