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邦画と特撮、アニメに寄せて 映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』

12/18から期間限定公開(~12/24終了予定)の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を観ました。2012年の公開初日も劇場で観ました。BDも所有。『序』『破』に続いての鑑賞です。

来年1月公開予定の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(公式サイト)を観るため、『新劇場版』の私的なおさらいをしています。今や配信で観られ、年明けに地上波でも放映予定がありますが、新作の前に一呼吸置きたくて今観ておくことにしました。

※『序』の感想はこちら:

※『破』の感想はこちら:

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の感想

『新劇場版』では、音楽にも注目が集まっていると思う。楽曲だけの魅力ではなく、過去作・他作品からの選曲、劇中での効果も語られているのを見かける。

所謂クラシック音楽の選曲について、思い出す言葉がある。以下引用:

映画の音楽は音響だけではダメで、かといって純音楽でもいけない。ベートーベンでは音楽すぎて、映画音楽にならないんです。ミュージックマイナスワン、つまり音楽としての自律性を犠牲にして、ドラマツルギーと映像を生かすんです

ベートーヴェンの音楽の存在感は、交響曲第5番『運命』や第9番『合唱』の知名度を考えても、もはや映像作品に寄与しなくなっている。作中で鳴り響いたとき、ここで第9か、という驚きや音楽からもたらされる感動はないように思う。むしろ失笑を買うことにすらなりかねない。


また、作曲家・伊福部昭は特撮映画における作曲・音楽についてこんなことを書いている。『エヴァ』とその制作スタッフは何かと特撮に縁深い様子なので紹介したい。以下引用:

 一般の映画にあっては、時に、納得し難い観念的な誤った芸術論に悩まされることがあるものですが、特撮映画にはこれが殆どない。
 又、余りドラマトゥルギーに支配されすぎると、音楽はその自律性を失い次第にスポイルされて行くのであるが、この危険もなく音楽家はのびのびと仕事が出来ます。
(『伊福部昭綴る』 ワイズ出版 ※元は『東宝特撮全史』(1983)収録)

『エヴァ』における音楽は活き活きとしている箇所が多いと思う。ただ、音楽に限らず、観客側と制作・関係筋どちらもが、「エヴァはかくあるべき」「エヴァだからこうだろう」といった様式や考察に今だ囚われ過ぎてはいないか。今度の新作も予告からして多少そのような香りがする。

アニメ作品が一般的になった、という話をしばし聞く。近年のアニメ映画のヒットなど最たるものだろう。だが、だからといって作品を度し難く、説明できないものに歪め、またそれを良しとして、個性や孤高、絶対を喧伝するのに対しては、冷静でいたい。それは一般の映画にも潜む”罠”の可能性が高いからだ。


さて『Q』は主人公も観客も『破』からの急旋回、という印象の序盤から始まるが、話や章によってキャラクターの立場や役割を変える事自体は珍しくない。例えば、「かつてのライバルや敵役が味方に」「仲間同士でのバトルロイヤル」⋯古典と言わず、近年のアニメや特撮作品で思い当たるものがあるのではないだろうか。

なぜそうするのか。理由は簡単で、キャラクターを作中で一から作り上げる手間が省けるからだ。既にエピソードや背景に事欠かないので、「キャラが薄い」などと非難される確率も下がる。まして主人公がその役目を担えば、あとは制作する側の匙加減で作品はどうとでも転がせるだろう。公開当時、序盤を観て私は「ああ、今度はシンジをそういう役回りにするのね」と察した。

ただ『新劇場版』を順に鑑賞して、作戦フェイズが毎度「ピンチと予想外の出来事で緊迫した状況→強引に・豪快に乗り切る」というパターンを繰り返されると、さすがに飽きる。『序』の感想で書いたが、「シンジがエヴァに乗ることで話が進む」という点に着目すると、いくらミサトその他が焦っても「ここで負けたら話が続きませんよね」という妙な安心感を以て鑑賞することができてしまうのだ。特に序盤の戦闘場面は映画の”つかみ”として、真っ当な作品作りに徹しているつもりかもしれないが、端的に言ってワクワクしない。そんな場面が先行公開されても、「またか」となるだけである。

その毎度の作中で起きるイベントに加え、「そういうことだったのか」「それが狙いか」といった具合に、いくら劇中の登場人物に台詞で納得されたり説明されても、観客側に明らかにされていない、帰結しない要素が前2作や新作とまだ繋がらないため、それらがしこりとして頭に残ってしまう。『Q』では特にそれが顕著だ。前2作のように、まだわからない点があるが(それはそれとして)面白い、という後口にならないのだ。作品に対する疑念や疑問が挙がる反面、いやそんなことはない、こう考えればよく出来ている・面白い(と思いたい)、巷ではそんな”曲解”も少なくないのではないか。これはTV版や『旧劇場版』の味わいとは異なる、甘めに言って魅力が減退したものである。その意味でも、『Q』は「これぞエヴァ」などとは言い難い完成度だと思う。単体で評価をなし得ない、脆い作品だ。

シンジとカヲルとの邂逅については絵面を優先した感アリアリで、ピアノにまつわるシーンや台詞は、お茶を濁したと書かざるを得ない。ピアノの例えがひどく陳腐に感じる。旧来の登場人物がその調子なのだから、下地のない新登場のキャラクターが活かせるはずもない。台詞による表面的なキャラづけに過ぎない。ヴンダーのオペレーターは不要だし、マリがやたらと歌っても、面白くもなんともない。

映像面については、絶望的な世界観の描写は好きだが、CGが残念だ。いかにもCGという趣のチャチな仕上がりで、序盤のヴンダーの空中戦など、公開当時最も落胆した。意図してああいう画にしたのであれば、私は今のところ意図が理解できない。音楽は既に書いたとおり、選曲や効用面で今作については、どうにも鼻白む。

後は年明け、平穏に新作が公開されればと思います。


(2021/3追記)公開されたので感想:

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