ふと思い出して聴き直したのだが、『ゴジラ伝説 V』(キングレコード)は、やはり良くなかった。聴いていて面白くなかった。つまらなかった。感想を書いておきたい。
選曲はなかなか好きだ。私が好きな、これはという楽曲が並んでいる。ただその演奏に過去のシリーズからの進化や新しさ、そして大いなる踏襲を感じることができなかった。踏襲というのは、あの強調され尽くしたオスティナートや音響効果の魅力、魔力のことである。
3枚組で発売されたCD『ゴジラ伝説』を初めて聴いたとき、「ゴジラのテーマ」に衝撃というより違和感を覚えた。だがその後に収録されていた楽曲「巨大なる魔神」や「コング輸送作戦」のノリに圧倒された。映画のサントラ音源よりも収録時間が長く、そこに付与された独特な音響、残響が面白かった。その上執拗なまでの繰り返しが気持ち悪いほどで、不気味だった。そこに一種の快感を覚えた。他の収録曲にも度々そんなことを感じた。ライナーノーツを読まなくとも、本当に映画館を、映画を再現しようとしているのだなとわかった。前述の違和感を覚える楽曲は他にもあったものの、トータルでこれはアリだなと納得した。
そこにきての久々の『ゴジラ伝説4』は、新しさよりも懐かしさが勝った。ああ、こんなだったなというわけである。『ゴジラ伝説』に出会って以来、音楽を色々と聴いてきた。当然嗜好も変わる。もはや初めて聴いたときの衝撃や喜びはない。ただ久々に思い出した『ゴジラ伝説』の記憶に、次の『V』は新しいもの、そして変わらないものを見せてくれるのではないかと期待したのだ。
『V』に収録された楽曲について書くと、まず音の厚みを再現する醍醐味が削がれていることが残念だ。ライブハウスで実演を聴けば、そのときは楽しいのかもしれない。だが過去の『1』~『3』と比べると、随分とすました、悪い意味で小洒落た感がある。平板な響きの収録状態もマイナスだ。クリアな録音で、個々の音色は好きなのに、音楽としてスケールが小さくなったと思う。そこに新たな魅力や発見があるかというと、そういったものは感じなかった。
原曲には当時の録音状況もあって、牧歌的な雰囲気が勝るような楽曲もある(例えば『メーサー殺獣光線車』)。しかし、その雰囲気に倣って演奏するだけではやはり面白くない。締めくくりの『怪獣大戦争』にしても、ただアップテンポで繰り返し演奏すれば良いわけではない。奏者の個性、奏者が今やりたい演奏に寄り過ぎた結果のように思う。他の収録曲にも言えるが、演奏と音響が引き出すオスティナートの魅力を失ったことが何より痛い。
流通状況はともかく、伊福部昭の楽曲も録音が増え再発され、『ゴジラ伝説』が生まれた頃よりも比較ができるようになった。そこで問われた『V』は、残念ながら現在の鑑賞に耐えうるものではなかった。
アルバム制作にあたって、当時も今もファン参加で盛り上がっているのは結構だ。私など彼らからすれば『ゴジラ伝説』を知ったのが遅く、ファンと名乗るに知識や情熱が足りない「わかってないヤツ」かもしれない。だが、その一体感が故に出来た物に対して良いも悪いも言えない関係や立場に、私はなりたくない。それは果たしてファンか、同人か、もはや違うのではと自問したくなるからだ。携わることができて嬉しいという気持ちは理解するが、本CDの演奏には大いに疑問が湧く。
これが現収録メンバーの、「今」のゴジラ伝説であることを否定はしない。阿鼻叫喚し悪口雑言を大いに撒き散らす気もない。だが、私は今後もこの音源を取り出して聴く機会は少ないと思う。