デジタルエンタテイメント断片情報誌

デジタルな話題もそうでない話題も疎らに投稿

表現に悩んで書をたぐる

何だか表現に面白みのない、つまらない文章を書いているなと、ふいに思うことがある。それもつまらない悩みだ、というのは置いておいて。

大抵、文章を書く調子がいいときである。このネタで色々書きたいんだよな、というときに限って表現が気に食わなくなる。前も似たような言い回ししたよな、少しはましな語彙の一つでもないのかよと、自己嫌悪に陥るのだ。


何かうまい表現はないか。字面ひとつを取ってみても刺激的で、できればブログ然としていない、簡潔な語句を用いて⋯⋯そんなやや横着なことを考えて言葉に関する書籍を手に取ってみたりする。『知らない日本語―教養が試される341語』(著:谷沢永一 幻冬舎文庫)もその中の一冊だ。

知らない日本語―教養が試される341語 (幻冬舎文庫)

知らない日本語―教養が試される341語 (幻冬舎文庫)

しかしまあ、知的好奇心は大いにくすぐられたが、困ったことがある。使うにしてもそこまで洒落た文章が用意できない。「星をいただく」なんて、こんなブログでいきなり書かれても困るだろう。eatじゃありませんよ。訪問者に意味が伝わるかも不明だし、知っている御仁からは「気取っている」と思われるだけだ。


それならば、レトリック入門なんぞ紐解いてみようかしら、ということでネットで1円(店頭で100円)の新書を手にとってみる。『「超」実用的 文章レトリック入門』(著:加藤明 朝日新書)である。

「超」実用的 文章レトリック入門 (朝日新書)

「超」実用的 文章レトリック入門 (朝日新書)

正直「超」などとついてる時点で拒絶反応を起こしそうになった。だが読んでみると、著名人の文章を題材に、種々のレトリックをコンパクトにまとめた良書だった。にもかかわらず、本書のタイトルのように、まず読む人を焚きつけることが結局重要なのか、と皮肉めいた考えが一瞬浮かんでしまった。記事のタイトルにも毎回「超」ってつけようかしら。


そんな中、一番新鮮味があったのが『日本語擬態辞典』(著:五味太郎 講談社+α文庫))だった。

日本語擬態語辞典 (講談社+α文庫)

日本語擬態語辞典 (講談社+α文庫)

そう言えば、最近擬態語をあまり使っていなかった。いや使う擬態語が限られていた気がする。だらだら、ちくちく⋯⋯文章にしてみても、ちょっと間延びした表現に受け止められないか、そんなことを考えて使っていなかった。これは案外、文章のアクセントに良いのではないか。


というわけで日付が変わる前に、ハラハラしながら10連休最後の記事を考えたのだった。
イマイチだな。使い手の問題に戻る。

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