池辺晋一郎という作曲家がいる。今、日本で数少なくなったクラシック・現代音楽の作曲家を肩書とする人物である。いや正確には「知名度ある」か。長らく『N響アワー』に出演していたため、その親しみやすいトークと”ダジャレ”で、その点十分かと思う。
やや冗談めいたことを書いたが、そんな池辺晋一郎が、2000年から読売新聞に月一で音楽、日本のクラシックにまつわるエッセーを連載している。
遅まきながらそのエッセーをまとめた『耳の渚』(中央公論新社)が、日本のクラシック音楽や作曲家の今昔を掴むのに簡便な内容で、ライトなファンにもオススメなので紹介しておきたい。
まずクラシック音楽に興味を持つと、多かれ少なかれ「現代音楽」「日本人作曲家」といったジャンルを見かけるようになる。興味を持たなくとも、「ああ、あの騒音みたいな」「コンピューターでやるヤツ?」「知らない曲ばっかりだよね」、そんな印象や伝聞に何か思い当たるフシはないだろうか。まあ、そういうジャンルでもある。
そんな「現代音楽」を生業としてきた「日本人作曲家」が時代を述懐し、当事者としての辛酸や幸福、そして「作曲家」としてのさらなる抱負を平易に述べているのだ。分業化が進んで、「本業のみにひたすら専心する」プロも増えたように思える昨今、メディアで大いに語ってくれる姿はユーモラスなだけでなく、頼もしい。
そもそも最初の話題からして、冒頭から
「現代音楽」は、嫌われているらしい。
といった調子で始め、定期演奏会で日本人作曲家のプログラムのウケが悪いことに絡めた今後の現代音楽、新しさ、未知の魅力に意気込んでいる。
「ああ、あの騒音みたいな」等々書いたが、そういった現代音楽の種類や性質、変遷についてもエッセーで度々採り上げており、その筋の本より余程わかりやすい。クラシック音楽ファン、特に現代音楽の歴史をそれほど知らないファンは、この本を読むとむしろ現代音楽や日本人作曲家への興味が湧くのではないか。
もちろんそれなりにクラシック音楽を知っているファンでも、各オーケストラ・演奏会、そして年末の第九といった話題で年を追って楽しむことができるかと思う。また連載されている媒体の性質故か、物故作曲家・演奏家の話題が少なくない。ただ、それらの感傷に浸るだけでなく、彼らの残した演奏や録音の”記憶”を呼び起こすのは大いに意義あることかと思う。
そんな良書だが、連載当時と現在の状況が合わない箇所もある。「どこにもなかったオリジナルティ、ピカピカの新しさ」を揃え、「常に新しいものが求められている世界もある」と本書で評されている、ポピュラー音楽の世界である。
どうだろう。今新しい音楽が、世間では流行っているだろうか。「ああ、聴いたことある」「この歌まだ流れてるんだ」、そんなことを街中で思った経験はないだろうか。
クラシック音楽化する世間。
クラシック音楽好きの端くれとして、こんな書き方をするのは下世話が過ぎるのだろうが。つい考えたくなる一冊である。