デジタルエンタテイメント断片情報誌

デジタルな話題もそうでない話題も疎らに投稿

情報操作という”古典”

新聞やテレビの情報は嘘ばかり、本当のことはネットに書いてある、ニュースの中身よりも付随するコメントやSNSでの反応の方が気になる⋯。情報に触れたり求めたりするとき、こんなことを無意識あるいは意識的に思い浮かべて行動に移していないだろうか。

いやいや巷の情報を全面的に信用するわけないだろう、それに何もかも疑うわけではないし、そんなバランス感覚の上での反応だ、そう返されるかもしれない。だが、昨今世界を取り巻く未曾有の状況に多少なりとも巻き込まれると、情報について今一度整理・確認したくなる。これまでにない情報が日々溢れているからだ。


そんなときに『情報操作のトリック』(著:川上和久 講談社現代新書)が簡単に参照できるので手に取っている。情報が如何に生み出され伝わり操られ社会に影響を与えているか、コンパクトにまとめられた新書だ。事例の紹介を基にした解説が中心で読みやすい。もちろん平時でも有用な内容だ。

本書が書かれたのは20年以上前(1994年)である。かつては講談社現代新書とすぐわかるクリーム色のカバーだった。例示されているのは湾岸戦争など、当時最新だった出来事も目につく。今のようなネット社会については予見しているものの、本題ではない。だが、だからこそ、今にも通じる内容だと実感できる点が少なくない。

例えば湾岸戦争は「戦時の情報操作」というくくりでも読むことができるし、国家の情報統制、アメリカ大統領選挙、テレビのヤラセ、過大広告⋯こういったものも紹介されている。むしろ、昨今の話題にも対応できていないだろうか。

印象的な内容を紹介すると、まずアメリカで大戦下に研究された”政治宣伝の「七つの原則」”など、今でもそのまま通用するかと思う。以下引用:

① 攻撃対象の人物・組織・制度などに、憎悪や恐怖の感情に訴えるレッテルを貼る「ネーム・コーリング」
② 権力の利益や目的の正当化のための、「華麗なことばによる普遍化」
③ 権威や威光により、権力の目的や方法を正当化する「転換」
④ 尊敬・権威を与えられている人物を用いた「証言利用」
⑤ 大衆と同じ立場にあることを示して安心や共感を引き出す「平凡化」
⑥ 都合の良いことがらを強調し、不都合なことがらを矮小化したり隠したりする「いかさま」
⑦ 皆がやったり信じていることを強調し、大衆の同調性向に訴える「バンドワゴン」

解説や具体例を書かずとも明快な内容だ。政治に限らず、この原則が種々の情報発信に用いられ、逆手に取られているのすら見かける。そして今や発信するのは政治家やマスコミだけではない。市井の人と思しき向きからの発信も見過ごせない。そう考えると、不特定の人物が多数書き込み、読んでいるwebニュースのコメント欄だって鵜吞みにするわけには当然いかない。誰が何と結びついているか・いないか、発信者の素性だってわからないことが多いのだから。


また、情報の一種である広告における”表現の原則”も得心が行く。特にこの2つは「要注意」だ。以下引用:

 その第一は、「訴求力の強さは、相対する訴求物がないほど強い」というものである。定められた時間の中で、言葉の数を増やせば増やすほど、注意をそらすような情報が多くなって、訴求力が落ちるというものである。

 第四は、「訴求力・注目度を高めるには、できる限り分かりやすく」である。

広告という情報を発信する目的は、何かしら知らしめたい、広めたい、売りたい買いたい、儲けたい⋯これらに繋がっている。個人や企業のイメージに繋げたい、ということもある(それが商売にも影響する)。広告の受け手が知らず知らずに辿り着いてしまうように、上記原則は欠かせないという。

そしてこの「短く簡潔で分かりやすく」を使いこなしているのが、今ならばインフルエンサーといった人物だったりするわけだ。彼らだって広告塔としてだけでなく、様々な思惑を以て言葉巧みに発信しているのかもしれない。憶測ではなく、そういう観点も必要だと思う。

昨今、ビジネスから日常までこの手の「分かりやすさ」の技術が席巻しているが、そこにも意外な罠が潜んでいる可能性がある。これは心に留めておきたいところである。余談だが、本書の新書という体裁もまた、情報を得るに抵抗を感じない手軽な量という妙味がある気がしてきて無性に可笑しい。


最後に当の私は、ここまで書いて「この記事まで裏を疑われないだろうか」と無駄に恐々としたり、「慎重さと用心が肝要だ」などと陳腐にまとめても、今日も手元で見られる情報に一喜一憂してしまうのだろうなと思う次第である。

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