デジタルエンタテイメント断片情報誌

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邦画と特撮、アニメに寄せて 『宇宙よりも遠い場所』前半を視聴して

評判だけチラッと見かけて、面白いらしいじゃない、という期待だけで多少食って掛かって観る。本放送時は名前だけ知っていたが、観ようという気分にまで至らなかった。『宇宙よりも遠い場所』(公式サイト)である。キャストやスタッフは知っている名前も並んでいたが、特段作品歴に思い入れはない。視聴にあたって事前に公式サイト等の下調べもしなかった。

今はブームの潮が引くのが早い。だからこそ1、2年経ってブームが落ち着いてから興味を持つことに意味があると思っている。私自身、当時はあんなに熱を上げて観ていたのに再視聴するとサッパリ⋯という作品が少なくない。もちろん何回観ても面白いな、ということもある。


今回は前半として、第1話~第7話まで観た印象と感想をまとめておきたい。残りの話と全体の総括は後半にする。

宇宙よりも遠い場所

宇宙よりも遠い場所

  • メディア: Prime Video

『宇宙よりも遠い場所』前半の感想

導入としての舞台やキャラクターの設定、南極を目指すことについて

主に第1話で感じたことが中心になると思う。まずは登場する固有名詞とその作中での認識から、「本当はありえないけどそういう設定だから」、「こんな奴現実にいないよな」といったファンタジーとして捉えるのは控えた。地に足のついた作品として鑑賞。リアリティを問いながら観る。

そうやって観ると、漠然とした目標を思い浮かべ、一方で現状維持に葛藤する主人公の性格づけは可もなく不可もなし。むしろ、(南極を)目指す人間に対しての周囲の反応がステレオタイプ過ぎる。物語としては安直、というのが第一感だった。そういう導入しかできないものなのか。

敢えて個人的なことを書くと、私が学生だった頃なら「南極なんて」途方もない、と考えていたかもしれない。だが今はこうして情報が色々と調べられる。できない、ことよりも、どうやったらできるか、むしろそこに興味・関心が湧く時代ではないか。

もはや陳腐なテンプレートと化した「やってみた」が巷に溢れている。時代設定は現代のようなので、その辺りが作り手の世代なのか、現実とのズレではないか、と観ていて詮索したくなった。それこそノスタルジーを狙っているのならば、果たして現代の”インターネット世代”が共感できたのか、したのか。その意味でも第1話時点で今後の展開が気になった。

作中とは反対に、万全の支援を受けて目標に邁進して、うまくいかない、”敗北”する人間もいる。そういう想像はできないのか、しないのか、そういう作品は売れないのか。第1話ラストの印象だと、今後はいかにも上手くいきそうな第一歩という感じだったので、もう少し肩の力を抜いて観ろということなのだろうか。そんなことを考えた。

アニメらしさと台詞の印象

アニメらしい表現とわかってはいても、オーバーな表情や運動・動作が気になることがある。作品にそぐわない要素になっているわけだ。本作は正直、第2話の逃走劇にそんな印象があった。あの箇所だけ作品の流れに対して稚拙な印象を受けた。あの場面は一連のシーンを省略しても話がつながるので、逃走したという時間経過の表現だけでもよかったように思う。特に第2話から始まる、南極へ行くことのスケールを伝える話や第4話の訓練の流れはストレスなく観られたので、余計気になった。

表情や動作に目が行ったら、次はセリフの話である。これも若干引っ掛かった。一部セリフが、”名ゼリフ”として残したい感アリアリなのである。多分どのセリフと書かなくともわかると思う。結構しつこく繰り返すので、さすがに後半の話でカタルシスを狙っているのがわかった。あざとく、恨みがましく、煽るような感じが後を引くのだ。ここから、人のドラマにもっていきたいのだろうな、という具合である。表情や動作の表現と同様、作品世界に無理なく南極が導入されていくのに反して、序盤で妙な棘が残った印象だ。ただ、この印象は第6話くらいから、ドラマが落ち着いてきて薄くなる。それだけに序盤が惜しい。

登場人物とそのエピソードから・前編

まず主人公・玉木マリの友達、高橋めぐみの心情形成はイマイチだった。1話から伏線を張って”タメ”を作ったつもりかもしれないが、正直想像の範囲で、友情・人間関係の描写としてはちょっと不足している。感情の起伏の表現もか。砂場に象徴されるイメージも巧いとは思わなかった。ゲームのエピソードも面白みなく、取ってつけた印象が強い。

この原因の一つが、第1話で学校の「南極」に対する風当たり、評判を画一的に表現させ、伝える役割に徹しさせすぎていることにある。”友達”としての距離感が主人公との関係ではなく、周囲とシンクロしすぎているわけだ。友達としての関係よりも、”対主人公(組)”としての一面ばかり強調されているのだ。このせいで、私は第5話に至る一連の話が腑に落ちなかった。少なくとも本編の内容では、「だから2人は友達なんだ」という結論に至らなかった。ここがもう少し穏やかな、友情を仄めかす見せ方だったら、作品にも早い回で惹き込まれていたと思う。

願望込みで書くのならば、高橋めぐみは冷めた性格なら冷めた性格で、もっと自然に「うん、そうね」位で流すような、”オトナ”であってほしかった。あるいは冗談めかして茶化すが否定はしない、くらいの方がリアルだとは思った。それで思いの丈が爆発なら、もう少し話に入り込めた。

その玉木マリは、友達との話よりも、家族をクローズアップしてもよかった気がする。前半では、玉木マリの家族まわりが存外淡々としていたように思う。メイン4名の中で、唯一両親、妹といった家族構成が明確にされているキャラである。誤解を恐れず書けば、作中で唯一”普通”の家族を描いている。個人的な趣味もあるが、母親や父親が「南極に行くこと」を理解している様をみたかったのだ。ありきたりなものでもいい。だからこそ、十分にメイン3人との対比になる。ここに仕掛けがあれば、玉木マリの立ち位置やキャラづけに寄与したはずだ。小淵沢報瀬がもう一人の主人公であり、エピソードとして割りを食ったのかなとも思う。

一方で人となりを見せる話としては、三宅日向の背景の描き方は巧い。当事者、当時の会話やシーンを説明調にせずに、最低限の会話と絵でちゃんとわかるように表現してあって、好感触。初期の話、第2話頃にあった、アニメのドタバタ感も抑制されていて、よく描けている。前半でほのめかした背景や人間関係が、後半にどう影響するか気になった。

白石結月の存在意義について。カタギでない世界とのつながり。今後登場人物を多面的に照らすための存在であり、南極へのパイプ役。良く言うと正攻法。悪く言うとベタな設定。でも、第3話の登場から始まる流れは良い。キャラづけとしての口癖自体はやはりちょっと滑ってるものの、時折見せる表情のない「プロの顔」が結構好きだ。本来ならば技能ある別世界の後輩、だけど先輩達と通じているのは心、というのが作品にあって心地よい。

実はこういうアイドル(キャラクター)の存在は大歓迎。なぜかというと、現実でアイドルに関するパブリシティやゴシップをしこたま吹き込まれているから。アイドルという言葉にすら冷めきっている。でもこのアニメの世界ならば、そういう類を気にしなくて済む。そして大きなステージやトップを目指す体のシンデレラ・ストーリーよりも、むしろこういう性格やきっかけから始まるキャラの成長の方が、私は”夢”を感じる。

<前半の総括>

南極に行くことをテーマにしながらも、その手段に辿り着くまでを簡略化し、またそのご都合感を作中で軽減させるよう苦心しているのは好印象。今となっては恥ずかしいが、結局南極に行かない・行っても最終話近く、といった「最後に作品・話のタイトルを回収・掲示」のようなありきたりな手法を取る構成を視聴前は想像したが、そうではなかった。個人的にそういう構成の作品でラストに感心した作品をあまり見たことがないので、嬉しい誤算だった。

恋愛で言えば、告白して付き合ってからが長く大変で、ゴールではなく始まりである、というわけだ。このことをアニメでやろう、という心意気を前半からは感じた。話数が半分ほど残っているので、南極で起きるであろうエピソードを楽しみにしたくなる。そのために、南極へ行く道が早々に開けたことに疑義を唱えたりはしない。

第2話など、本作のアニメ的表現がしっくりこない箇所もあった。正直、実写ならもう少しうまく処理するのではという印象もあった。だが、まだ人間が容易にたどり着けない場所をテーマ、舞台にする意味は多少なりとも感じた。実写の撮影のほうが大変、いやいやアニメ制作だって、そんなことは私にはわからない。この題材をどこまで消化して、どういう作品を作り上げるのか、期待が高まった。


今回はこんなところで、また感想の続きを書きたいと思う。

<2020/6追記>
後半の感想はこちら:

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