デジタルエンタテイメント断片情報誌

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マンネリと定番と 志村けん一座第14回公演 志村魂

手元に残している日刊スポーツ2004年1月4日版の切り抜きに、コメディアン・志村けんのインタビューが載っている。以前はネットでも見かけたが、現在は閲覧することができないかもしれない。その中で当時から言われていた、芸の「マンネリ」化についてこう答えている。

「マンネリで大いに結構。ほかの人はマンネリまでいかないじゃないですか。定番があるのは全然恥ずかしいことじゃない。やってる方の気持ちが新しければ、笑いに古いも新しいもない。ドリフも、僕のバカ殿も変なおじさんも、必死でネタ作ってとことん何年もやり続けてきたわけだから。みんなマンネリの域まで達してみろって」

時折テレビやニュースで志村けんを見かける度に、その矜持は伝わってきた。以前ほど熱心に志村けんのコント番組を観なくなっても、バカ殿や変なおじさんを「まだやってる」のがわかる。確かにそこまでやり続ける人間は何人も思いつかない。

一時期”キャラクター”を全面に押し出して笑いを取る芸人や、お笑い番組が流行った。しかし一発芸の域を出なかったり、ウケたキャラクター以外の引き出しがなく、人気の浮き沈みも激しいことが大半だったように思う。

その一方でマンネリと言われたお笑いが生き残り、しかも最近は”マンネリ脱却”の評もあるらしい。

日刊のインタビューから数年後、志村けんはテレビだけではなく再び舞台でコントを続けている。今回はそんな志村けんの舞台、「志村魂」の第14回好演(明治座)を観てきたので、軽くレポートしておきたい。しむらこん、ね。だましいじゃないよ。

志村けん一座 第14回公演 志村魂(明治座)

「全員集合」はテレビでしか観たことがない。生のお笑いは最近、多少体感している。それでもかなり楽しみだ。バカ殿がいきなりお出迎えである。

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客層は広い。何だかんだで年齢層は高いのではと思ったら、とんでもない。小学生から年配まで、男女も片寄りない。至る所にバカ殿のマゲをつけた人を見かけ、笑いをこらえる。私の席はちゃんとありました。

ネタはもうお決まりの、前述の客層おかまいなしの、いつもの「アレね」目白押しである。「年はなんぼだ」から、テレビで今やできなくなったであろうエロ・下ネタまで、「コレを観に来た」の一言に尽きる。特に”ひとみばあさん”のネタはいいのか? と思ったが、個人的には”大人の世界”を理解する端緒であって欲しい。

志村けんが三味線独奏する姿を見て、「楽器一つか、語学が一つできれば人生が豊かになる」という言葉(誰が言ったか忘れた。だっふんだ)を思い出した。ビートたけしのタップダンスもそうだが、芸事に活かすことだってできるわけだ。

昔テレビで3人のコントを観て以来思っていたのだが、やはりダチョウ倶楽部は面白い。持ちネタが舞台でこんなに映えるとは。被り物や扮装に依らないキャラクターの強みも大きい。

2幕の喜劇はシリアスなところに、なりかけるところに笑いを挿れる、日本の生活術を体現したような劇だった。志村けんの自然なアドリブが可笑しかった。おまけは変なおじさん。これは手拍子だけで、観客全員でやらないのね。そんなこんなで、”期待通り”を堪能して明治座を後にした。


例えば私自身の趣味を見渡しても、クラシック音楽や落語、読書だって、存在そのものがマンネリと揶揄されかねない要素がある。しかし、それらも演奏され続け、演じられ続け、読まれ続けたものは、定番となった。やがて定番は、「古典」と呼ばれ現代に受け継がれる。もしかしたら、志村けんのコントにもそんな可能性があるのか。

そうなった暁には、生で舞台を観た人間として語り部に⋯記憶がなくて、「あんだって?」と聞き返してるかも。

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