デジタルエンタテイメント断片情報誌

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邦画と特撮、アニメに寄せて 映画『迷宮のしおり』

1/1から公開されたアニメ映画『迷宮のしおり』を観たので感想です。この時期なのでストーリーに関する内容やネタバレはあり。予告とビジュアル以外は特に情報を入れず鑑賞。この手の映画であまり公開前に盛り上がっている作品が残念ながら最近思いつきませんが、正月の楽しみで観ました。

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映画『迷宮のしおり』の感想

序盤の見せ方が古典的でややかったるいが、扱っているテーマは攻めた内容だと思う。同様なテーマを扱った作品が思い浮かぶが、本作はもっと等身大の切り口で好印象。昨今のSNSやスマホ依存、Youtuber、インフルエンサーがテーマである。これからこのようなテーマがアニメ映画で扱われるとしたら、次はAIも加わるかなという気がした。

普段こういった作品の時に、キャストの演技の話題であまり注文をつけないのだが、演じ分けも作品の肝である。その点から書くと、主人公は長台詞のときのベタベタした感じが気になる。Youtuberやインフルエンサー特有の素人感は申し分ない。歌唱は問題なく、歌を評価されての抜擢かなとも想像する。ただ展開で重要なことも喋るので、もう少し芸達者な配役にして欲しかった。

ストーリーは、やや締めくくりが昨今のアニメ映画特有のハッピーエンドに寄せた感が強かったか。他作品の感想でも度々書いているが、リピーターを狙うに制作側はこの辺り苦心しているのかなとすら思う。ただ中盤メインとなる、二面性を描くという観点は良かったと思う。二面ではなく、多面性か。夢中になれること・なっていることが本質的にないが、挫折なり過去のトラウマはそれなりに引きずる、といった主人公の今どき感もちゃんと出ていて感心した。親友や交友関係もこのくらいの深度が、むしろ生々しいのではないか。所謂ラスボスの背景も、善意から始まって⋯というのが古典的でもありリアルでもあるのが興味を惹かれた。後半の鍵となる男子のクラスメートは存在感が弱くて、もう少し序盤から展開に絡めて欲しかった。

映像の見せ方は面白かった。アイコンをモチーフに、古典的な擬人化から今どきの映像処理までソツがない。制作側の趣味か、ロボットバトルも変形から巨大感・重量感の表現が見応えあった。こういうお遊びは歓迎したい。

昨今、オリジナルのアニメ映画公開も盛んになっているが、映像面はかなり高水準で安定してる。後はやはり、人が人を呼びヒットするようなストーリーや盛り上がりが必要かなと思う。とは言え、本編のように誰かが仕掛けてヒットしたところで⋯と考える作品だとしたら、後年になって内容を思い出したくなる、なかなか侮れない作品ではないかと思う。


『ガールズ&パンツァー もっとらぶらぶ作戦です!』第1幕の感想

12/26から上映開始されている『ガールズ&パンツァー もっとらぶらぶ作戦です!』第1幕を観てきたので感想です。遅々として進まない『最終章』(本編)で不足しがちな、日常描写に対する渇望を公式スピンオフで満たそう、という意図かどうかは知りません。もう第4幕まで予定されているのですね。『最終章』もそういうスケジュールで公開できていれば⋯ということを書いてもしょうがないですが、久々にガルパン絡みでサクッと楽しみたいと思います。

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原作コミックスを読んだ上での鑑賞・感想ですか? 答え:はい

他のアニメ映画だと、原作が小説や漫画でも「映画として面白ければOK」のスタンスで下準備をあまりしないのですが、さすがにガルパン絡みで原作は読んでます。コミックスもWEB出張版も何だかんだ連載長いですし。もちろん今でもwebで読めます。今回、期間限定で全話無料公開していたので改めて読み直しました。さすがに全話憶えてないので初期の話が懐かしかったです。

ガールズ&パンツァー もっとらぶらぶ作戦です!

配布コンテンツ|『ガールズ&パンツァー もっとらぶらぶ作戦です!』 WEB出張版|ガールズ&パンツァー最終章 公式サイト

ではこれまで作品としてどう思っていたかというと、正直、賑やかしくらいの認識でした。公式スピンオフですし、分別があれば本編とのギャップや違いに目くじらを立てるものではないでしょう。かといってファンにありがちな「本編では~、小説では~、〇〇版では~」とつんのめって話をするものでもなく。それをやって設定ごちゃ混ぜした話題を披露してもしょうがないですから。あと、ファンアートなんかもそうですが、ガルパンという題材を上手く扱っている作品には大いに注目します。作家の人となりやガルパン以外のオリジナル作品まで関心を抱いたり手放しで称賛するかというと、そういうことはしない向きです。

登場人物の関係やエピソードは、オリジナル要素を入れつつも、基本的には涙ぐましいまでに本編に即しているかと思います。会話していた、というだけでなく、そういえばあのカットで一緒にいたな、といった「そこを拾うか~」というキャラの組み合わせもあります。なので本編で接点のないキャラは、ホント一緒に登場しないし、会話もしないはず。この点だけは正直、本編なんとかしろ、と言いたくなるときもあったり。贔屓の学校やキャラがいると尚更。

コミックスで好きなキャラは華。初期から強者の風格漂う感じが良い。コミックスで、色んなキャラから矢印を向けられているみほに対するスタンスも余裕があって好きです。みほとの絡みが少ないのが残念なくらい。学校ならプラウダ。プラウダは連載当初から現在まで、キャラのブレが少ない気がします。こういうご時世ですが、臆せず登場して欲しいです。あとエピソードとしては、ホラー調の回はギャグとの緩急がすごく好み。プラウダがメインの話でも確かあったはず。

『ガールズ&パンツァー もっとらぶらぶ作戦です!』第1幕の感想

ちゃんとファンが観て面白い作品になっている。ガルパン好きなら気楽に楽しんで欲しい出来映え。既に第4幕まで公開が決まっている上に特別料金と攻めているが、第1幕を観た限りは次も観に行きたいと思った。ちなみに特に上映館を気にせず観に行ったが、席はガラガラだった。イベントではまだまだ集客出来ているようだが、やはり本編があの進行速度では映像作品の発表となると苦しいか。流石に舞台挨拶まで見ようとは思わなかった。

OP、EDは『最終章』よりもワチャワチャしていて好きである。キャラの躍動感が楽しい。大げさに書けば、スピンオフとは言え、普段はこんな場面もあるのかなと惹き込まれる。特にOPは掴みとして成功している。本編とのスタッフの比較や違いの効用を憶測で書く気はないが、この制作陣は手慣れている感がある。カバさんチームの尻振りは何回も観たい。今回は繰り返されてもよしとする。公開毎に毎回OPとEDの映像を変えたら大したものだが、それは多分厳しいだろう。

また、音楽が凄く良い。本作をダシに『最終章』を腐す気はないのだが、『最終章』もこのくらい耳に新しい楽曲を用意して欲しかった。本編ばりのオケ楽曲から、ギャグに合わせたコミカルな曲調まで劇場でよく映える。また、本編のように音響効果を売りにしてはいないものの、通常上映でこのクオリティが出せるのは素晴らしい。作品と映画館の進化を感じる。

構成はガルパン本編のTV版から辿っていくのではなく、選りすぐりでアニメ化する様子。コミックスも本編も長く続いているので、そこを丁寧にやると最新話の人間関係に追いつかない。これだけ登場人物が多いので、キャストの色んな演技を聴けるのはとても楽しい。もちろん本作のエピソードを『最終章』までの本編に結びつけて語ることはしない。しかし、こういうキャラクターの魅力は本編でも引き出せたのではないかとつくづく思う。

エピソードは前述の通り、本編でどうやっても知り得ないキャラのエピソードもふんだんである。審判員のエピソードなんて考えつきもしなかった。そう言えば成人だったか。登場した食べ物は新たに、大洗でコラボするだろうなと想像する。個人的にはそこまで盛り上がるものか? という西住しほや島田千代が輝いているのも本作の強みか。コミックスでクスッとなった「小千代」の台詞に音声がついて感慨深い。愛里寿も本編ではみほ並に超然としたところがあってあまり惹かれなかったが、人間味を持たせてよく料理していると思う。後は各学校の制服に着替える(着替える必要がある)エピソードが卓越している。グッズや一時の展開のためだけに着せ替えするのではなく、これだけエピソードの流れで活かしていれば、グッズが出ても食指が動くというものだ。

特にコミックスの連載初期は、本編から百合アニメ的な要素を汲んで盛り込んでいたと思う。その名残を感じるエピソードが今回映像化されている。本編OVAでメインのストーリーになっているだけあって、たかちゃんひなちゃんの絡みは遠慮なく登場する。グッズ化もされているし、むしろ本編でまた何かあってもいいくらいだが。これに限らず、アンツィオ高校はやはりOVAでそれなりに描いているので想像の余地も大きい。それが学校の人気の理由だと再認する。そしてTV版を集約したかのような、各方面から西住みほに向けられる眼差し⋯。それをエリカがかっさらうのもまた、アリかなと思う。作品タイトルよろしく、このノリで映像版オリジナルエピソードなど観てみたい。本編で観られない学校の組み合わせなど妄想するが、エピソードのストックも多いし望み薄か。


配信やディスク発売を待ってもいいが、ファン向けの年末年始や月毎の楽しみとして、コミックスや本編と併せてささやかに第2幕以降を期待したい。


『ガールズ&パンツァー劇場版』10周年記念上映~バリエーションちょい増し作戦です!~の感想 10周年に寄せて

『最終章』第5話が2026年公開決定とのことでティザービジュアルも公開されているガルパンですが、11/21より『ガールズ&パンツァー劇場版』が10周年の記念上映をしていたので観てきました。4K上映です。4K ULTRA HD Blu-ray(特装限定版)の発売も控えているようです。

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『劇場版』公開後の『最終章』制作決定を中心として、何だかんだ話題の絶えないガルパン。もちろん感慨深くはあるのですが、どうも現状『最終章』の公開スケジュールにだいぶ興を削がれています。『最終章』が完結していた後にこの10周年を迎えていたら、また違った印象を抱いていたことでしょう。あるいは『最終章』からさらに新たな展開があったやもしれません。

とは言え『最終章』も大詰めと言った様子(多分)で、どうせならシリーズを通じた『最終章』とリンクした雑談や、今改めて映画館で鑑賞した感想を残しておきたいと思います。記事はネタバレ有です。TV版や『最終章』第4話まで鑑賞済前提です。実は過去何度か『劇場版』の感想を書きましたが、初日はとにかく映像に圧倒されたことは憶えています。ただ、話の本筋やキャラクターの活かし方については色々と求めたいものがあり、その印象は今もさほど薄れてはいません。

『ガールズ&パンツァー劇場版』10周年記念上映~バリエーションちょい増し作戦です!~の感想

久々に映画館で鑑賞すると、冒頭のロングショットからして、やはり映像の古さを感じてしまう。有り体に書くと、画面が暗い。10年前の作品ということを思い知らされてしまう。

それでもエキシビションマッチでは、色々とキャラクターや大洗の町並みを登場させようと苦心しているのだなと新鮮に感じた。当時観たときよりも、キャラクター同士がよく会話しているように感じる。これは『最終章』の戦車戦がより息をつかせぬ展開になった証左かと思う。まさか『最終章』になって、『劇場版』よりも会話シーンが欠乏するとは想像していなかった。

当時そこまで目を引かなかった映像上の小ネタやキャラクターにも目が行く。西隊長の車輌の乗員が可愛いかったり、大浴場でカットが切り替わってもカチューシャのために数を数えているクラーラが微笑ましい。既に話題になっている内容ばかりだろうが、当時はガルパンという作品に前のめりすぎて、こういう楽しみを忘れていたのかもしれない。

とはいえ、メインのストーリーに関しては今でも、当時劇場に足を運んで不完全燃焼だったことを思い出してしまう。これだけは何回鑑賞しようと同じである。せっかく家族や故郷まで描くのなら、役人や大学選抜といった単なる敵役よりも、大洗女子優勝の立役者・みほを向こうに回す展開など観てみたかった。再び廃校の危機、は残念ながら観ている方に盛り上がりのない予定調和の印象しか与えない。

ただ、後年の『最終章』の出来を見るに、本作で本筋のストーリーよりも戦車戦の映像の魅力に舵を切ったのはある種正解だったのかなとも思う。これだけ豊富なキャラクター・チームを活かした戦記のような筋立ては、色々と厳しかったのだろう。幸か不幸か、本作は映像面で多くの観客を惹きつけ新規のファンも呼び込んだようで、制作側・興行主としてもそのような映像を望むのは必然である。私などは四六時中戦車が動いていなくとも、ここぞの見せ場で躍動すれば十分と考えていたので、作品の方向性としては惜しい気がした。余談だが実写でそういう映画を後年になって観てしまい、久々にその思いを新たにしてしまった。

『最終章』を踏まえて鑑賞して改めて思うのは、やはりみほは杏(会長)との結びつきの方が強いのだな、という点である。家族でもなく、あんこうチームの面々でもない。そもそも大洗女子でみほが戦車道を始めるきっかけも杏である。これも今更の話題だろうが、シリーズを通じた核は、みほと杏のストーリー、なのかもしれない。この二人だけは大事なところで言葉を交わし、特別にシーンが設けられてる。

そう考えると、『最終章』第4話で事前に杏がみほと話をつけていたことにも納得せざるを得ない。もっとも『最終章』第4話は、そういう流れで梓がみほや杏と言葉をかわし、交流する描写を前の話までに仕込んでおいて欲しかったのに、唐突な隊長抜擢の格好になったのがつくづく残念である。梓に目をかけるみほ、梓に先輩風を吹かせるみほ、梓を呼び捨てにするみほ、それをあんこうチームの面々にからかわれるみほ⋯妄想は尽きないが、まだ残っている『最終章』本編に僅かばかり期待しよう。


後半の殲滅戦に関して、まだこの頃は車内の描写を入れようという演出の意志を感じる。公開当時はこれでも物足りなかったのだが、残念だが『最終章』と比較すると作品に丁寧さがまだまだ残っている。攻撃を受けた時、敵に陣を突破された時、退却する時⋯少しでもキャラクターのそういう画が入ると臨場感が増すというものだ。4D上映を腐すものでは決してないが、迫力や緊張感は本当に体を揺さぶったりしなくとも、音と映像で脳に突き刺されば侮れないものだ。

公開当時何気なく観ていたロングショットや会場を俯瞰した構図も出色の出来映えである。『最終章』では徒にチマチマした画が多いように思うが、『劇場版』ではカットや絵面が良く気にならない。

この『劇場版』の見せ方と同様に、映像技術は見劣りしても演出やカットで今観ても完成度が高いのがOVA『これが本当のアンツィオ戦です!』である。しかもOVAはメインのストーリーも良い。カバさんチームにスポットを当てつつ、あんこうチームはもちろん他のチームや対戦校も存在感抜群である。これはアンツィオ高校の人気に貢献したと思う。私はこのOVAがあったので『劇場版』に期待し、その後の『最終章』にも望みを託したのだが、今のところあてが外れている。『最終章』も第1話、第2話まではワクワクしたのだが、以降が振るわない。

『劇場版』での描写が良い方向に作用したのが知波単学園である。『劇場版』ではあまりにもコメディリリーフだったが、おかげで『最終章』第2話で同じような役回りかと思いきや大暴れである。私など知波単学園と聞いただけで冷めていたのに、すっかりファンになってしまった。『最終章』のおかげで『劇場版』登場場面が感慨深くなる数少ない学校ではないだろうか。

ラストの愛里寿対みほ・まほは、ここに至るストーリーに不満は残るものの、映像面としてはもうこれ以上ないのではないか。今後もし、同系統で単騎の戦車同士の戦闘を描いても正攻法でなく、奇を衒うことになると思う。私は『劇場版』公開当時の初鑑賞では「殲滅戦で、実はみほ・まほ以外に白旗が上がっていない車輌が大学選抜より1つ多く残ってました」みたいなオチを予想しながら観ていた。

『最終章』では、第5話、第6話が聖グロリアーナとの試合のみとして、聖グロリアーナのフラッグ車はティザービジュアルを見る限りチャーチルのようである。なので、聖グロリアーナとの決着は一騎打ちではなく、何か作戦なり罠に嵌める気がする。元はチャーチル相手に決めたかったとは言え、まさかTV版最終話と同じ戦法で決着にはしないと思うが⋯。今のところ『最終章』でああいう試合での伏線がないので、可能性がなくはないのが、やや不安である。


当時観て感じた不満が完全に消え去ることはなかったが、満を持して作られたという趣向が凝らされていて、改めて感銘を受けた。面白さの本質は技術的なことだけではないことを、良くも悪くも感じた。作品としてのまとまりも良く、制作筋のことは全く知らないが、『最終章』も映画三部作くらいで公開していればとっくに完結していたのではないか、と邪推をしたくなる。久々のガルパンの余韻に、またスピンオフ作品でも足がかりに興味を再燃させたいと思う。


邦画と特撮、アニメに寄せて 映画『果てしなきスカーレット』

11/21公開のアニメ映画『果てしなきスカーレット』(公式サイト)を観たので感想です。一応ネタバレはあり。予告とビジュアル以外は特段情報を入れず鑑賞。公開前に盛り上がっているという印象もあまりなかった気がします。今作の監督が近年発表している映画は一通り観ています。特にここ数作は肌に合わない部分が多いものの、何かしら印象に残るシーンや展開を期待して。

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映画『果てしなきスカーレット』の感想

知名度がありそうな制作陣で過去作もTV放映されているので作品名を出すが、序盤は『竜とそばかすの姫』よりは自然な導入になった。自然というのは、世界観をまくしたてるような忙しさがなくなった。やはり、鑑賞を進めれば作品世界が掴めるのが望ましいと思う。ただ、2作続けて嘔吐の描写を入れているが、自作品の伝統的なシーンにでもしたいのかという趣で疑問が残る。インパクトを狙っているのならそうでもないし、無駄に汚い演出のようでならない。たとえ子供でも、こういう同じようなシーンの連続登場というのは憶えているのではないかと思う。

今作は中世・ファンタジー路線で、一体どこに現代、現実世界を絡めるのかな、と序盤は一瞬思った(後半で悪い意味で期待を裏切られる)。とはいえ知っている向きなら序盤の筋や登場人物お披露目は、ああシェイクスピアが元ネタか、と苦笑するのではないか。題材を古典に求めるのは別段珍しくはない。邦画でも古典を翻案し換骨奪胎し⋯というのは昔からある。むしろついにそういう題材の頼り方に舵を切ったか、という印象が勝った。

それを差し引いても、序盤から良く言えばわかりやすさ重視、悪く言えばミエミエの筋で萎える。多少なりとも映画やドラマが好きな向きには「ここはうまく行かないだろうな」という予想が尽く当たるのではないか。これは作品を通じて同様で、復讐を目指す主人公の心の移ろいも含め、ともすればラストまで読めると思う。特に昨今の日本のアニメ映画は、多少なりともハッピーエンドで終わらなければ、という呪縛があるのではというフシすらある。鑑賞していて話の筋に夢中になる瞬間が、ほぼないのではないか。

主人公の旅の始まりにあって、中盤の看護師の介入はメアリー・スー、昨今でいう所謂「なろう系」風味である。流行りを(今更)取り入れたのか、制作側の、俺たちならこう料理するアピールなのか、いずれにせよキャラクターの造形は今一つだった。作中に存在させることで、現代に起きる突然の悲劇の風刺だけでなく、現代的な、人命救助による人の繋がりや結びつきを示したいという意図は理解する。だが、色んな時代の人間がいるという設定であれば、例えば看護師以外にも看護師と同時代の人物を登場させた方が説得力は俄然増したと思う。台詞では説明していたが、おかげで終始存在が浮いていた。物語のキーとしても超然とした存在過ぎるし、中盤は幾多の危機に見舞われても都合よく生き延び過ぎる。主人公と心を通わせる場面もベタでクサい展開の印象が勝り、想像の域を超えない。

さらに看護師は舞台となる世界に迷い込んで、終盤にどのような適性を見せるのかと思っていたら、いつのまにか弓矢の使い手になっており、そういう過程は作中で描写しないのだなと鼻白んでしまった。最近リマスター上映されたので敢えて引き合いに出すが、これが『七人の侍』のような設定であれば、まあ武士だし、説明なしで使えても納得はするのだが。主人公の味方としては、終盤の側近2人の登場も唐突感アリアリで萎えた。協力を得られるという伏線はわかっていただけに、もう少し何とかならなかったのか。

七人の侍

七人の侍

  • 三船敏郎
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また、昨今のアニメ映画の動向に詳しいものでもないが、そんなに歌やダンスのシーンを作中に入れたいものなのか。今作の話の筋から特段感動するものでもなかったし、現代でのダンスに関しては残念ながら映像の魅力もさして感じなかった。冗長な上に、観客が心ときめくシーンでもなく、作中の人物だけが感極まる、拙い演出と映像である。動きや衣装を見せたいという意図も感じられず、これまで映像面も売りだっただけに、正直クオリティの低さに驚いた。演出面で言うと、移動の描写も無駄が多いように感じた。大変さを表現するのは一瞬で効果があるように思う。ましてロングショットや演出に凄みを感じるものでもなかった。他に本筋で描きたいものがないときの時間稼ぎすら疑ってしまう。演出といえば、メインタイトルを最初と最後に出すのは、あまりに広まりすぎてもはや効果がないと思う。

何より今作は、特に終盤にかけて、作品全体を通じて現実世界の戦争や無慈悲な事件とのリンクや風刺を感じる要素を盛り込んでいながら、「紆余曲折はあったものの、結局、悪い王はいなくなりましたとさ」という締めくくり以上に胸に迫るものがなかったことが痛恨である。主人公始め、どの登場人物に感情移入するでもなく、否定するでもなく、作品が終了してしまう。


感想や考察の類の記事で、作品の読みの深浅といった話になることがある。だが自説を喧伝し、細部を持ち上げて作品の全体としての評価をないがしろにしてまで肯定的に捉えて曲解することはないだろう。無理に、いや、そもそも深層がないのに深層を探ったり作り出す必要もないと思う。古典や他作品を引き合いに出すまでもなく、いや引き合いに出す以前に面白みが足りない、評価に値しない内容というのはやはり存在するのではないか。作品の評価には「その程度の作品」という見方をせざるを得ないときが、どうしてもある気がする。

近年は何かと「好き」で「ポジティブ」に捉え、また、悪いなら直接的でなく趣向を凝らし、ファン層、あるいはアンチにも配慮して表現する。そんな現代のステータスをまとめた本すらある。そういった発信は、一時は注目され、「バズる」かもしれない。そういう発信をして反応を得ることを楽しみにしているような向きに強弁してまで否定する気もない。だが作品が配信なりディスク化されれば、定まった評価はいずれ表出すると思う。

主人公の予定調和の苦しみと、予定調和の開放。残念ながら今作は、映画としての起伏がない。印象に残るシーンというのもない。作家性もとりわけ感じなかった。演出面、題材、あらゆるものが過去作よりも冴えていない。口コミやグッズで観客を呼ぶにも厳しいかと思う。オリジナル作品とはいえ、もう少し有能なブレーンなりスタッフを外部から入れた方がよいのではないか、と要らぬお節介を書きたくなる。語るに落ちる作品に成り下がってしまった。全国規模で上映する作品にしては、鑑賞していて苦しかった。


キャストの演技は、看護師が抑揚なく今ひとつだったように思う。キャストの歌は悪くないが、残念ながら今作の内容で感動を喚起するまでには至らなかった。余談ついでだが、ドラゴン(?)は顔が『ゴジラVSビオランテ』のビオランテみたいだと思ってしまった。同じ東宝だからいいか。


いずれ地上波で放映されたときに、もう一度くらいは内容の確認で鑑賞するかとは思う。


邦画と特撮、アニメに寄せて 映画『不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-』の感想

先月8/29(金)から公開されている映画、『不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-』(公式サイト)の感想です。細かいネタバレは書きませんが、鑑賞した人向けの内容です。あまり宣伝を見かけませんでしたが、映画館で予告を見て観に行きました。既に名の通った古典を題材とした作品は、時に「原作の解釈がちょっと」「そのまま映像化した方が」みたいな話題に終始することもありますが、果たして本作はどうでしょうか。

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『不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-』の感想

『不思議の国のアリス』を知っていれば楽しめる要素はもちろんある。これは、というキャラクターも登場するし、会話のノリもクスリとするのではないか。アリスってこんな作品だったよな、というイメージが湧き立つ点は原作をちゃんと咀嚼していると思う。

だが、本作の主眼はそこではない。現代における青春論がテーマなのだ。今時の、人との、社会との関わり合いだ。原作に即したアニメーションの表現に終始してお茶を濁したような作品では決してない。そこは良い意味で期待を裏切ってくれると思う。

大学卒業を控える主人公は突拍子もない夢があるわけではない。人間関係に苦しみ、想像を絶する孤独にさいなまれているわけでもない。作中での鍵になるものの、過去の辛い出来事が物語の発端でもない。日々の生活の中で、個性や能力をアピールする場面が増える一方で自身の趣味嗜好や本質を忘れかけ、世間との距離感や承認欲求の波にも翻弄されつつ、ぼんやりとした将来への不安を抱いて生きている。これらに向き合い対峙するための道標を『不思議の国』で主人公が、観客が問いかけられる物語に仕立てられていて、月並みだが終始感心した。アリスが主人公ではない意味が、本編を見ればわかる。感想を書くときに子どもに見て欲しい、などと安易に勧めたりしないようにしているが、大人向けの作品だと思う。だが、子どもが今わからなくても将来鑑賞し直したときに、ひょっとしたらハッとする作品かもしれない。

本作が優れているのは、この主眼がブレないように、『不思議の国』へ導かれるシステムや仕組みを作中で披露したり、説明することは極力省いて尺を割いていないところであることも書いておきたい。むしろこれが原作さながら、といった趣すらあるのがニクい。それでいてラストのオチはまさに現代らしい片付け方で、少し前進した主人公と相まってバーチャルな世界との境界線が一瞬わからなくなるような後口がなんとも心地良い。

演出面では、過去の回想といった場面で、安易な泣きシーンがないのが何より素晴らしい。徒に泣き叫ぶ芝居を引きずったりしないのが良い。登場人物の心情や境遇に寄り添ったとき初めて、観客が感極まればいいのだ。大げさかもしれないが、この演出の配慮からして凡百の映画ではないと思った。また最近の作品としては音楽・音響の演出も小気味よい。気味の悪いシーンがちゃんと気味悪く表現されている。キャストの演技も申し分ないのではないか。地に足のついた演技で、アリスはじめ違和感がなかった。映像は最近のオリジナルアニメ作品のクオリティに十分達している。


作品の評判が広まって欲しいのは山々だが、できればネタバレなしで観に行ってもらいたいところだ。こういう切り口もアニメ映画に残されたポテンシャルの一つかと唸った。上映されている間に再度鑑賞したいと改めて思った。


邦画と特撮、アニメに寄せて 映画『ChaO』の感想

先月8/15(金)から公開されている映画『ChaO』の感想です。細かいネタバレはしませんが観た人向けの内容です。映画館でチラシと予告を見て観に行きました。ただ、それ以外に宣伝しているところを見た記憶がなく。ここ数年、こういったオリジナル作品を楽しみに鑑賞しているのですが、個人的にこれだという作品がほとんどないのでアタリが欲しいところです。

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映画『ChaO』の感想

ベースとなったおとぎ話『人魚姫』を知らなくても多分楽しめる。作品内での設定や世界観の消化はさほど気にならないと思う。ストーリーやキャラクターの背景を作品内の時間経過とともに明かしていく、倒叙ものパターンだからだ。『人魚姫』はそれなりに知名度があると思っているが、全く知らないという向きもあるだろうから軽く触れておく。

どこかで見たような日本の風景も出てくるが、広くアジアを舞台にしていることを凄く意識する作品だ。私は美術に大いに関心を持った。美しさだけではない、スケールの大きさに個人的な憧れがある。考えてみれば架空の世界なのだから、いわゆる西洋風、日本風だけに発想を限ることはないのだ。もちろんマーケティングの点で狙った舞台設定ということも考えられる。このような表現をある種の思想信条ありきで毛嫌いするのであれば狭量だろう。例えばアジアでこのような画作りが実際どういう評価を受けているか、そういう観点から分析でもした方が国民性や価値観の議論に余程寄与するのではないか。アニメ作品は今後このような舞台設定の作品も増えてくるのではないかと思うので注目していきたい。

キャラクターデザインは一部奇を衒いすぎたか。ヒロインや人魚のデザインにはセンスを感じるが、その他デフォルメしたキャラクターには面白みを感じなかった。インパクトを狙って没個性に陥った感がある。ギャグのくどさも同様。ただ繰り返せば面白いというものでもないと思う。またアジア作品でみかける糞尿系の汚い表現が、果たして今の日本でヒットを狙うにどうか、などと要らぬ思案をしてしまった。キャストの演技は新鮮に感じた。ヒロインの演技は擦れていない感じを出すのが上手い。年相応の演じ分けもよかった。良い配役だと思う。

肝心のストーリーについては鑑賞後の余韻は悪くないが、こちらは雑な王道が過ぎている。大まかには、少年時代の出来事が現在に繋がって⋯というものだ。もう少し作中で意外性のある伏線や想像を張り巡らせるような展開が欲しかった。もはや日本で公開されるこの手のアニメ映画は、ハッピーエンドに舵を切るのが常套手段、という強迫観念すら感じてしまった。とにかくハッピーエンドでないとリピーターが来ないと市場調査されているようだ。世知辛い世相で景気の良い、希望が湧くような作品を何回も観たい。その心情は想像するに易い。だが、ここ数年そのような作品で面白いと感じて世間的にも足跡を残すような作品に、残念ながら私はほとんど出会っていない。こうやって感想を書いても、公開の規模が拡大されることもなく、盛り上がっても極々一部で、後々配信・ディスク化されても再評価されていない気がする。


映画に限らず、アニメや各種作品の話題で、本筋の感想や考察そっちのけで元ネタや他作品の鑑賞や比較に執着したり、終始するような発信をしばし見かける。だが興味深い作品なら、そのような楽しみ方は後から発現しても遅くはないはずだ。特にこのような全国規模で公開するような作品であれば、まずは単体の出来栄えのレベルが問われるのではないか。そこで疑問符がついて話が終わるのであれば、作品理解の深度云々以前に、それまでの作品ということになる。面白い面白くないを言葉遊びまで駆使して発信して盛り上がったとしても一過性に過ぎないし、そういう刹那的な承認欲求が見え隠れする発信は何だかんだ風化するだろう。少し話がそれたが、本作は本編そのものから滲み出てくるような楽しみや盛り上がりには残念ながら至らなかった。


『中国奇譚』(字幕版)の感想

中華映画特集上映「電影祭」2025で7/4から全国各地で1週間限定上映されている映画、『中国奇譚』(公式サイト)を観たので全体的な感想を書きたいと思います。ストーリーの詳細をダラダラ書いたりはしません。鑑賞前後の参考程度に。上海美術映画製作所がプロデュースして2023年に配信されたアニメ短編集で、中国全土で大ヒットしたとのことです。

今回は全8エピソードのうち4エピソードを再編集して初劇場公開。電影祭で日本初公開されるアニメ映画はかねてから注目していたものの、中国で2024年に公開された「傘少女」が同年日本で上映されたのを考えると、やや時間を置いた感があります。さらに最近だと『ナタ 魔童の大暴れ』のように、前作との連動すらおかまいなしに日本で即公開されるケースもありました。日本の市場でどういう中華作品がヒットするのか、模索しているのかもしれません。

ちなみに2年前の作品のため、配信元のbilibiliがYouTubeで既に全エピソード公開しています。字幕で英語も選べます。エピソードの順序も今回の劇場公開と異なります。
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『中国奇譚』(字幕版)の感想

基本的に全エピソード、古典的な”妖怪もの”が基調だと考えてよい。日本の作品だけでなく近年公開されている中華作品含めて、エピソードの筋も大体その辺りを前提に追っていけばハズれないだろう。まずそれらに抵抗なく興味があれば鑑賞して損はないかと思う。アジアのクリエイターの力量を大スクリーンで実感する有意義な機会でもある。

もっとも、日本の短編・実験作品と同様、起伏のないストーリー、存外アッサリした結末に物足りないと感じる部分もあるのは否めない。殆ど感銘を受けない向きも当然ある気がする。とは言え、終始そういう出来栄えというわけではなく、何かしら見どころはあると個人的には思っている。肩肘張らず、余裕を持って鑑賞することを勧めたい。余談だが中国アニメ映画のポスターは毎度ながらセンスが際立っている。エンドロールで見られる会社ロゴもローカルなだけではない独自性を感じる。

  • 「ワンと神様はバスに乗って行った」

劇場版では本作をトップバッターに持ってきているが、初っ端にしては滋味あるというか、地味な作品を配してしまったかもしれない。この後に比較的明瞭なエピソードが控えているだけに、もう少し順序やエピソードの選定は趣向を凝らして欲しかった気がする。

日常に潜む妖怪、という王道なエピソードで、そこはかとない不気味さ、恐ろしさ、神秘的な表現は悪くない。ただ、中国の生活・文化をもっと知っていれば楽しめる内容ではないかと思ってしまった。これは人によっては、「この後のエピソードもこの調子ならよくわからない、楽しめない作品が続きそうだ」と、関心をなくす要因になりそうだ。

  • 「妖怪くんの夏」

ベースとなった作品の強みもあるが、親しみやすさという点で、多分このエピソードが最もエンタメしていると思う。ズバリ『西遊記』のスピンオフ。孫悟空たちのライバルたり得ない、名もなき”下っ端”妖怪の悲哀を面白おかしく仕立てている。一方で情に訴えてくる場面も欠かさない。短時間ながら良くまとめている。ラストで本来主役である孫悟空の格を下げないのが、これまた憎い構成。この視点でそのうち長編で映画が作られるかもしれない。

ただ、少なくとも近年の日本の作品、とりわけアニメで見かけなくなった不衛生な表現・ネタ(要はオシッコ、ウンコ、鼻水ネタ)がまだ中国では受け入れられているようで、一瞬だがそういう場面はある。今の日本だとこういう表現に不快感を催す観客は存外いるのではないだろうか。こういった要素は『ナタ 魔童の大暴れ』といったヒット作が日本公開されたときも話題になっていたと思うが、今後中華作品でどういう扱いになるか注視したいところだ。

ちなみに過去に電影祭で公開された『傘少女』や『白蛇:縁起』、『兵馬俑の城』といった作品では目立ってそういう表現はなかったと思う。これらは制作側が既に中国外の市場も見据えていたのかもしれない。

(2025/8追記)やはりというか、「妖怪くんの夏」は中国でも評判だったようで、同じチームによる新編が今年の8月公開されている。YouTubeの予告編をリンク。

  • 「売店」

話の類としては「ワンと神様はバスに乗って行った」と同系統なのだが、こちらの方が登場人物や場所の背景が想像しやすいのではないか。個人的には『ワンと~』を先頭にする位なら、本作を最初に持ってきても良かったと思う。美術やカメラワークも本作のほうが目を引いた。妖怪のデフォルメにしても個性もあり愛嬌もありで、何より鑑賞後にハートフルな余韻が残る。ただ、この作品も若干ばっちい演出あり(生活感を醸し出すに自然なものではあったが)。それ故後回しにされたか。

  • 「リンリン」

公開されたエピソードとしては最も古典的・伝承的、要は昔話的。アジアにおける狼という存在を再認識してしまう。それ故ストーリー自体はありきたりか。多分序盤から展開が読めてしまうだろう。人間に心開いた異種の顛末、といった趣である。どちらか一方的な悲劇ではないパターン。もう少し交流や心情描写があれば、ラストのお互いの心情をもっと探りたくなるところではある。制作上の制約か、残念だがそこまでの完成度には至っていない。それでも悲劇一辺倒でもない、単なるハッピーエンドでもない、品の良い締めくくりで、最後にこのエピソードを持ってきたことは理解する。本作は所謂リアル志向のCG作品だが、動画含めてスクリーンで観るには少し粗さ、拙さがあると思った。この種のCGはリアルさ、デフォルメのさじ加減も難しいと思うので、本作に限らず今後に期待したいところ。


最後に、劇場公開されなくてYouTubeで配信されているエピソードについて少し。6話はCGがもっとクオリティ高ければという印象。8話は今回上映してもよかったかもしれない。エンドロールも興味深い。この中では2話が話題になっていたと思うので、解説でも付けて公開されていれば。
※第2話の動画(YouTube)


『ガールズ&パンツァー最終章』第4話の感想 現時点の総括として

劇場での公開以降、あっという間に4D上映、Blu-rayが発売された『ガールズ&パンツァー最終章』第4話。Blu-rayは最初からこのくらいのペースで発売してくれれば⋯。そういえば生コマフィルムはアンツィオ横並びのシーンでした。「パスタのないソース」の場面。ガルパンで人気どころがちゃんと映っているコマ引いたの初めてかも。

今回は『最終章』第4話の区切りの私的総括記事です。本編や既に公式サイトで発表されているキャラクターの情報から、第4話の感想や残り2話の展望を。記事は鑑賞済み、ネタバレ前提です。

※第1話~第3話の総括記事はコチラ:


『最終章』第4話 ストーリー概要

準決勝序盤であんこうチームを失うも、大洗女子学園は前生徒会長・杏の呼びかけによって態勢の立て直しを図ることに。塹壕作りでカモフラージュしつつ、地下を掘り進めて地上に抜ける作戦を実行する。対する継続高校のミカもこれを察知し動くが、大洗女子は窮地を脱することに成功。途中カメさんチームが離脱するものの、新たな隊長に指名されたウサギさんチーム・梓始め大洗女子のメンバーが奮戦し、ついに継続のスナイパー・ヨウコの車輛を仕留める。さらにミカに迫る大洗女子だったが、試合会場の勝手知ったる継続は進行先をフリーライドの”スキー”に誘導する。途中の雪崩にも怯まず大洗女子は互角の勝負を続けるが、ついにフラッグ車のみに。静寂の中、ゆっくりと間を詰めていくミカとBT-42。しかし腹を括ったアリクイさんチームの筋肉パワーがミカの目を欺く。BT-42に白旗が上がり、大洗女子が勝利した。

準決勝他校試合は黒森峰女学園対聖グロリアーナ女学院。押し込まれつつも五分に持っていく黒森峰と、落ち着いた試合運びで譲らない聖グロリアーナ。将来を見据えた戦いと自分だけの戦車道に賭ける戦いの激突は、互いに体制を整えた上で総力戦に。だがそこには聖グロリアーナの車輛がもう一輛潜んでいた⋯。センチュリオンが僅かな差で黒森峰のフラッグ車を仕留める。聖グロリアーナは愛里寿を受け入れていたのだ。大洗女子の決勝戦の相手は聖グロリアーナ女学院となった。

『最終章』第4話 新要素とその感想

戦評・3回戦の対戦校:継続高校

第3話であんこうチームがわかりやすくリタイアして、さすがにこの流れで第4話序盤の展開に驚くには至らず。ここまでミエミエの展開でありながら、畳み掛けられない公開時期が⋯。本編外の話とはいえ。4D上映やBlu-ray発売までの期間が短くなったものの、果たして今後の公開はどうなるのでしょうか。現時点(2025年5月)では相変わらずのペースのようですが。

ここにきて杏がチームをまとめるのに一肌脱ぎます。シリーズで一貫してキャラクターの立ち位置や関係性はとことん崩したくないのですね。見せ場といえば聞こえはよいですが、隊長・河嶋桃の成長を感じる場面にできたのでは、と思えてしまうのが口惜しい。もっともそれを描けるだけの伏線が『最終章』第1話~第3話にあったかというと、厳しいところです。その上都合よく「西住ちゃんと話はできてる」といった調子の台詞を突っ込んでストーリーが進むのであれば、伏線も何もあったものではないでしょう。

これは梓に白羽の矢が立つシーンも同様です。この流れが来るまでに、杏や各メンバーの梓に対する評価や想いをもう少し日常場面で散りばめていたらと思うと、『最終章』は本当に惜しいです。梓の成長・変化も、露骨な位伏線があってもよかったと思います。観たかったものを観たはずなのに、どこか満たされない、個人的にそんな気分です。この点は、ガルパンという作品の最大の弱点ではないでしょうか。『最終章』で成長やら卒業をテーマに掲げている割に、大洗女子の生徒同士の交流や新たな一面の描写は希薄だったとつくづく感じます。チームに1~3年まで満遍なく揃えているので、たとえありきたりな画になったとしても、そういうエピソードを挟んで欲しかったです。そうすれば今頃、万感の思いで次期隊長・澤梓の余韻に浸ることができたでしょう。残念無念に尽きます。後々の話で回想したりエピソード補完や種明かしをする手法もありますが、正直期待薄です。群像劇と戦車戦のバランスを取るにしても、残りの話数が少なくなりすぎました。

演出面からの話であれば、ニューヒーロー誕生はベタでも音楽で盛り上げるのを期待していましたが、そんなことはなく平常運転でした。本シリーズは劇中楽曲も魅力の一つなだけに、梓隊長の専用テーマ位用意して第4話だけでも破格の扱いにするのかと思ったのですが、そこまではしないよ、ということですね。みほなんて、今更こんなことでキャラやポジションが食われる造形でもないでしょうに⋯。そういえば、みほは今話も終始動揺する様子すら見せませんでした。ついでに梓の隊長ぶりに関しても、特に感慨深げでもなさそうでした。もっとも、本編で関係を築いていたかもわからないので、今更どうこう書いてもしょうがないのですが。離脱したあんこうチームの関わり方も、何とも淋しい。直接会話する描写を入れなくとも、あんこうチームの語る各チーム、というだけでメンバーとの関係性や個性、卒業というテーマまでも表現できる場面となり得ただけに、色々と逸した気がしてなりません。

継続高校との試合に話を戻すと、前半の攻防は素晴らしかったです。ここは原点回帰、と書くと大袈裟でしょうか。作戦に応じた戦車の動きをじっくりと描いていて、継続高校の謎のスナイパーを警戒するという緊張感がその進行を一層引き立てていると思います。スピード感一辺倒でもなく、映像面での緩急が良いです。音楽や音も過剰な演出を入れず、戦車の駆動音や冬山の空気を感じるゆったりとした場面づくりで、久々に気分が高まりました。ヨウコの3突を仕留めるまでは、取っ組み合いのような一進一退で、スパッと決着がつかなかったのもポイント高いです。欲を言えば最後までこのスタンスを貫いて欲しかったです。

前半は大洗女子の各チームのやり取りも、とても味わい深かった。この点は、「あんこうチーム抜き」が作品に良く作用しています。今話で一番感動したのは、カモさんチームのそど子がさり気なくも率先して動くサマかもしれません。やれ先輩だと言わずとも、3年のそど子も卒業ですからね。そういえば『最終章』第1話からずっと活躍していました。期するものがあるのかな、と思い浮かんだ瞬間に、キャラの依怙贔屓などとは感じなくなります。こういう風に描写できる技量は確かなのですから、他メンバーも今話であんこうチームが離脱する前から色々と作中で関係描写を仕込んでおいて欲しかったと重ね重ね思います。

園 みどり子(そど子)|ガールズ&パンツァー最終章 公式サイト

さらにそう言いたくなるのが、継続高校の生徒同士の関係性。ヨウコの「融通がきかない」という性格を、ギャグではなく後輩らしい未熟さに昇華していて感心しました。ユリのデザインが発表されたとき、元ネタがあるにせよ、正直スベった感がありましたが、後輩を適宜指導しつつ才能の芽は摘まないスタンスのキャラクターには好感度大です。知波単学園もそうでしたが、どうも他校のキャラクターの方が血が通っている感があります。

ユリ|ガールズ&パンツァー最終章 公式サイト
ヨウコ|ガールズ&パンツァー最終章 公式サイト

試合の最後の最後でアリクイさんチームの”力技”を見抜けず、つい「フフッ」と笑ってしまうミカも人間味があって良い。冷静で何を考えているかわからない、という性格付けだけでなく、こういう可愛げがキャラクターの魅力に寄与するのではないでしょうか。試合から離脱しても相変わらず超然とした佇まいのみほを見せられると尚の事です。繰り返しになりますが、試合に参加しない状況がメンバー全員の新たな側面を描くに絶好の機会にもなると期待していたのに、あんこうチームはとことん蚊帳の外にされており、物語として、演出として、やはり巧くないなと感じました。


後半の雪山を滑降しながらの戦闘については短めに。新たな局面や戦いの妙味、今後の戦いを占う場面といった解釈や読みを入れたくなるような内容では正直なかったです。アトラクション要素の集客に舵を取った本作ならではの、用意された見せ場をとにかく浴びせられているようでした。MX4Dも体感しましたが、このスピード感、ジェットコースター風味にかつてほどテンションは上がらなかったです。そういう面白さの頂点には『劇場版』以降、遠ざかっているというのが実感です。これならば、前半のような近接戦闘に終始しても継続戦は臨場感があって面白かった気がします。制作側の考える映像面の魅力を全面に出した結果が『最終章』第4話ということであれば、履帯が外れやすいといった各車輌の特色や蘊蓄の披露も、もはや過去のものなのでしょう。もっとも、装甲の設定だけは勝敗に繋がるのでまだ完全に捨ててはいないようですが。⋯いや、マーク4戦車の活躍は見た目からの想像通りでしたが、結構頑丈でしたね。

その他、今回は軽く2点ほど別トピックに:

河嶋桃の今後

『最終章』のラストに向けて、今後の活躍なり、注目ポイントなり、今だに伏線らしいものがない。今回の感想も含め『最終章』の話題でさんざ採り上げていますが、果たして一体どういう扱いにしたいのか、に尽きます。もちろん家庭の事情は見せたし、戦車道の合間も勉強している様子はありました。それにしても、試合中にここまでキャラクターを動かさない(動かせない)、ドラマを入れないとは。

振り返ると『劇場版』にしても、終始美味しいところを会長(杏)に持って行かれた上、大洗女子が追い詰められた状況で彼女なりに奮起している様子を描いたにもかかわらず、ギャグで片づけられた感がありました。まだ残り2話あるとは言え、このままだとガルパンシリーズで顕著な「キャラの多面的な魅力は引き出さず、立ち位置も変えない」の犠牲者で終わってしまいそうです。

第3話の感想でも書きましたが、大学に受かる受からないの結末は、実はどちらでもよいのですね。そこに至る過程に、とりわけ戦車道の中で、河嶋桃と言うキャラクターの新たな魅力が開花することを期待しているわけですから。まだ作品が完結したわけではないので、微かに期待は残したいと思います。

継続高校の新車輌

大方の予想通りの3突に加え、KV-1も登場。こちらは重戦車の面目躍如という印象の働きぶりでした。完全に目新しい戦車がT-26だけでは、さすがに露骨な戦力差かと思います。鹵獲ネタも悪ノリが過ぎず、このくらいなら許容範囲です。そういえば試合終了直後にカチューシャがミカに抗議する一コマでも入るかと思いましたが、そういう余韻を案外残してくれないのがガルパン、と半ば諦めています。

戦評:3回戦の各校試合結果

キャラクターの背景や伏線の楽しみが少ないガルパンで貴重なTV版からの因縁、第3話までのOP、『最終章』になり度々戦車道について葛藤する姿からの戦車道を掴んだ瞬間⋯。過去の感想で、ここまでお膳立てがあれば『最終章』でも決勝はエリカ率いる黒森峰か、と予想しましたが外れました。あと2話残っているとは言え、決勝戦の相手は大洗女子に負けなしの聖グロリアーナのようです。同じ画作りは制作側も飽きが来るのかな、などと考えたりもしましたが、それ抜きにしても、もう少し「これは聖グロリアーナあるぞ」と深読みしたくなる空気を劇中で感じたかったです。

私も本編の感想外では「決勝は聖グロリアーナかな」と考えたことはあります。今思えば黒森峰に対して若干贔屓目があったかもしれません。ただ、これまでの『最終章』のように単に勝ち進んで可能性がある、だけでは展開の妙味としてはやはり今一つでした。SNSでバズるのを狙ったような、分かりやすい対比や対立構造の画や展開は敢えて避けていたとしても、『最終章』を通じた注目ポイントなりは各話に散りばめて欲しかったと思います。愛里寿参戦も、サプライズというより予定調和の印象が勝りました。車輌が引き続きセンチュリオンなのも目新しさに欠けました。

もっとも、それなら黒森峰は十分時間を割いて描かれてきたかというと、正直そういうわけでもなく⋯。今話の試合場面冒頭でグビグビやる様子も付け焼き刃の個性づけ、というのが第一感でした。聖グロリアーナの新キャラクターも同様で、現時点で個性を楽しむまでには至っていません。冷静だけど優雅なようであまり優雅でない、むしろ豪胆という一貫した聖グロリアーナの気風や戦いぶりを脅かす展開に僅かばかり期待したいと思います。

『最終章』 今後の展開予想

対聖グロリアーナ女学院の勝敗

第5話で試合をするのか確定ではないですが、決勝戦の相手としての期待値は、結構冷めているかもしれません。だって愛里寿の車輌だけで大方片付けることができるんでしょ? 『劇場版』を観る限り。あんこうチームやまほの車輌にも言えそうですが⋯。その辺り、強さとライバル関係の描写だけでゴリ押しされるとシラけるので、そうならないことを願いたいです。

何より愛里寿の車輌は、愛里寿だけでなく、操縦手や装填手も凄腕のはずです。車内だけでなく、他の車輌とのコンビネーションを描く余地もあるでしょう。愛里寿だけ個人の技量のような描き方に回帰するのは悪手だし、『劇場版』でもう十分な気がします。ガルパンという作品に魅せられたきっかけである、戦車(戦)の独特な魅力をもう一度丁寧に描いてくれたら、個人的に『劇場版』の二の舞いは避けられると考えています。その上で登場するキャラクターに、完全無欠でない、どこか愛着の湧く人間味を感じることができたら最高です。もはや勝敗はどちらでも構いません。

展開でもう一つ書くと、最後の試合は一騎打ちで大技を仕掛ける、単騎でフラッグ車を仕留めて決着、といったパターンもせめて外してもらいたいころ。⋯「勝敗はどちらでも構いません」などと書いたそばから大洗女子の優勝する前提で書いてしまった。継続高校と同じパターンになるし、好きなシーンでもないのでヒネリが欲しいですが、『劇場版』よろしく愛里寿が歌い出して進撃する展開は今のガルパンならもう一回やりそうかな。とにかく、『最終章』の決着場面は色々と苦心の跡が見えますが、繰り返し観たくなる名場面を望みたいです。今のところ、『最終章』本編で最終決戦に繋がる戦法や技の伏線が貼られている様子がないので(『最終章』はこういう点が本当に残念ですが)、第5話以降を観ての楽しみと割り切ります。

そもそもお互い一騎当千の車輌を有しており、序盤でみほか愛里寿が白旗、の展開は流石にやらないと踏んで、ならば新鮮な攻防が観たいものです。そういえば、次期隊長と召される生徒がいるのも両校の共通点でしょうか。彼女たちの影が薄くならないか、少し危惧しています。

最後に車輌はコメット辺りが新登場するのでは、と軽く予想しておきます。別に大洗女子側で乗換があってもよいのですがね。今回力尽きたマーク4戦車なんて、スペック的に使い所・見せ場がいい加減難しいでしょう。と思いましたが、イギリスゆかりでネタにした方が美味しい、と判断されるかも。決勝の伏線としてのマーク4登場か、というのを本編未完の状況で騒ぐのは時期尚早かな。

雑談:『最終章』こんなシーン・展開観てみたい その4

最後は過去の総括記事同様、私の妄言・独りよがりで記事を締めます。

・このまま無限軌道杯の話がメインで完結するのか

第3話の感想と似たような与太話になってしまった。ここまで淀みなく試合を消化している無限軌道杯ですが、果たしてこのまま決勝戦で、『最終章』は終わりなのでしょうか。ちゃぶ台返しが待っているとしたらどうでしょう。突然の無限軌道杯中止とか。何だかんだで聖グロリアーナは「大洗女子に負けなし」で作品を締めくくるのも、それはそれで立ち位置として美味しいですよね。

かねてより「トーナメント(無限軌道杯)から離れた展開が観たい」と書いていましたが、第5話の公開時期も現時点(2025年5月)で未定な今、これはもしや第6話とセットの新たな展開で(ようやく)畳み掛けるためでは? まだこんなことを書いているから「ファンはいつまでも待ってくれている」と勘違いされるのでしょうかね。

ともかく、最後の試合は作品の総決算として敗退した各校のメンバーも再度参加して派手に試合するのではないでしょうか。まほも留学から帰国して緊急参加でいいよ。どうせならすごく弱い車輌に搭乗してもらいたい。いかにもか、マイナーな車輛で。

登場校の生徒シャッフルで一つの車輌に乗り込むのもいいですね。特に車長や隊長やっている生徒がどの役割やるのか、楽しみになってきます。人間関係も要注目です。これまで本編で見られなかった相性の良さや意外と後輩思いで優しい面を見せるあのキャラクターといったものから、先輩方に囲まれてタジタジ(ダージリン様ではない)のオレンジペコや梓まで、なかなか乙なものではないでしょうか。こういう願望丸出しにすると大体当たらないですね。


どうやらスピンオフ作品の劇場公開が先に決まったようですが、第5話はどうなるのでしょうか。展開も公開時期も。

邦画と特撮、アニメに寄せて 映画『メイクアガール』の感想

1/31(金)より公開中の映画『メイクアガール』の感想です。詳細なネタバレはなし。ただし観た人向けの内容です。映画館でチラシを見かけて気になっていた作品です。オリジナル作品ということも期待。

才能ある制作者の作品がファンの熱意と共に日の目を見るのは素晴らしいことだと思います。だからこそ面白いかどうか、鑑賞しがいがあるというものでしょう。

※画像をタッチ・クリックすると主題歌スペシャル映像(YouTube)が再生できます。

映画『メイクアガール』の感想

映画の冒頭、掴みが今一つで正直出鼻を挫かれた。ネタとして古典的かつ捻りがなさ過ぎる。しかも初っ端から主人公のキャラクターもありきたりが過ぎて唖然とした。プロ・アマ問わない、いかにも今一つな、ぎこちない作品に登場しそうな理系特化の人間という性格付けに嘆息した。主人公の魅力というものをもう少し考えてほしい。その上、男友達から密かに思いを寄せるクラスメイトまで、手垢のついたキャラクターオンパレードで目新しさも何もない。作品を支える要素としてこれほど落胆するとは思わなかった。

このようなポジションの脇役を登場させること自体、字数を割くほど普段は気にしていない。だが、なぜ友達になったのか、なぜ好意を寄せているのか、本作は主人公の性格描写が序盤からかなり決め打ちなこともあり、観ていて終始釈然としなかった。きっかけとして役割があるにしても、果たして存在が必要だったのかとすら思えてくる。作品に描写を挿入する余裕があれば、過去に主人公が彼らと知り合い仲良くなったエピソードを作中の回想や会話に入れて示すであろう関係性を、いきなり主人公に用意している感が強い。彼女(人造人間)の早々とした誕生もそれに合わせているかのようなご都合感だった。つまり観客にとって事前に、例えば別のメディアミックスで既に知っているか、前提知識として必要なのか求められているような印象を与えるわけで、流石にオリジナル作品にしては野放図かなという気がした。

ではメインのストーリーはどうかというと、人造人間が人の心を身につけて⋯という予告で分かる通りの内容と、仕掛けという仕掛けがないほんのりサスペンス風味の味付けをして、さらに薄味の親子愛を添えた、何とも粗悪なものだった。もはや序盤で人造人間の彼女の創造が、あの世界において驚きを持って迎えられず、ごく自然に受け入れられていることに話の整合性や作品のテーマを求める以前の問題だと思う。主人公は生い立ちが今後の伏線と思わせるギミックを持っているが、目を見張るような表現も驚きもなく、何より前述の通りキャラクターからして迷走しているので痛ましい。裏設定や、続編があれば明かされそうな秘密や真実など、観ていてどうでもよくなってくる。

そもそも主人公の母親が彼女(人造人間)を制作するよう、主人公に仕向けていると思しき伏線は序盤から散りばめられている。そこから母子の情愛や、彼女を制作した真意というのが作中で明かされる、あるいは明かしている、というのがストーリーの常道だとは思っている。ところが主人公の回想にある、幼い頃の母親との別れの場面を観るにつけても、主人公は年相応に別れを拒むでもなく超然としているため、妙なしこりとなって引っかかる。序盤から示された現在の主人公の性格付けが、どうも過去から一貫しているような描かれ方なのだ。主人公周りの反応も、大人まで含めて同様である。当時は子供心に理解できなかった、と受け取るには説明不足ではないか。どういう経緯を経て現在の性格形成されたのか、読み取る余地が正直見当たらなかった。そこに主人公のギミックと相まって、主人公の出生や存在自体に「母親や彼女に拘る道理もないのでは」とメタ的な視点を含めて疑問が生じる。そうなるとストーリーの本筋から生まれたはずの感動やテーマの発見に辿り着く過程は益々阻害されていく。

この辺りの作品の出来栄えに目をつむり、人造人間に芽生えた心の在り様や、ロボットは人間に従うといったSFの古典といえる要素を掘り下げて考察や解釈を繰り広げ、あるいは古今東西の作品を引き合いに出すような魅力には残念ながら至らなかったように思う。御託を並べる前に、それらに応えるだけの深浅が本作にないと捉えるのが肝要ではないだろうか。それこそ興味深い内容ならば、二の矢三の矢と記事を出していたところである。まず眼の前の浅瀬で泳ぐ姿が見えている魚を捕まえなければならないのに、深い所に潜ったり沖に出たりするようでは捕まえられない。別の生物なら捕まえられるかもしれないが、それは曲解や奇を衒うということになりかねない。

映像や動画のクオリティもこれは、という表現は残念だがないに等しい。スピード感ある映像で誤魔化したのかと言いたくなるほど厳しい。この程度で「売り」ならば、普段もっとクオリティの高い作品を観ているつもりだ。本作に限らないが、グロテスクなシーンは上手く扱わないとギャグに見えてしまう、というのはそろそろ気がついてほしいところ。食べ物の表現はアニメーションの見せ所みたいな風潮も、今や古い。

キャストに不満はないが、これだという演技の魅力も感じなかった。そつなく演じているに過ぎなかった。キャストを活かすに足る作品ではなかったとも言える。音楽に関しては感想がない。記事に主題歌スペシャル映像のリンクを貼ったが、映画館では全く記憶に残らなかった。


少なくとも一本の映画として全国の映画館で公開されるのであれば、類まれな人物が個人や少数精鋭で作ろうが、大手映画会社が大々的に制作しようが、完成した作品が面白いのなら私はどちらでも構わない。本作は面白いとはとても言えない作品だった。ラストで続編を匂わせていたが、ほぼ興味が失くなった。今映画館で観なくとも、観たいのであれば配信を待てばよいのではないか。ましてディスクを求め、何度も見返すような魅力を感じる作品ではないだろう。


『妖星ゴラス』(1962)『海底軍艦』(1963)・4Kデジタルリマスター版の感想

「午前十時の映画祭14」で今年1月上映されていた『妖星ゴラス』(1962)と『海底軍艦』(1963)4Kデジタルリマスター版を観てきたので感想です。既に配信やディスクで鑑賞できるので内容の感想はそこそこに、「午前十時の映画祭」の感想では映画館での体感・4K版の映像・音響についても触れたいと思います。

それにしても、映画館で着席したら帽子位は脱いで欲しいものですね。余程の事情がない限り。前方の着席者の帽子の影、特にキャップのつばの影が視界にチラチラ入ってげんなりすることがあります。統計を取ったわけではないですが、どうもキャップを被っているのは年配の方の割合が多いようで⋯。映画館の座席の性質上、着席するとつばは頭より前にくるし、頭の角度でつばが斜め上を向くので気をつけて頂きたいです。深く腰掛けて欲しくもありますが、腰に来るのは理解するので、せめて。

『妖星ゴラス』(1962)の感想

この時期の作品になると、4Kの映像面での恩恵はさほど感じない。過去にDVD化された時点で一定の改善がされたように思う。発色の良さはこれまでの4K同様、期待通りだった。ラストの水没する東京も、贅沢なセットだなと改めて感心。南極の建造シーンなどスケールが大きく、後年の作品にも影響を与えているのではないか。

発色が良くなった『妖星ゴラス』はドラマ場面と特撮場面の切り替えにあまり違和感がない。空間・空気のつながりが良いのだ。一方で、クロマキー合成や光学合成にあれ? というズレやイマイチな箇所がチラホラあるのが不思議。こういう完成度の高い特撮映像の印象が、発展途上だった頃のCGへの批判や後年のCGに対する偏見に繋がったのかもしれない。

また音楽が楽曲、録音ともに良い。本作は石井歓が担当したからこそ、緊迫感や絶望を煽る音楽が異彩を放ち、素晴らしいのだと思う。Spotifyではあまり再生されてないようだが、今や手軽に聴ける。

地球を移動させるという大仕掛けで長らく話題に残った本作だが、人類が一丸となって妖星ゴラスに真っ向から挑む様子が何とも新鮮だ。『地球防衛軍』と同様の感想になるが、現実では諦めたり絶望したり、自暴自棄になる人々が大勢いてもおかしくない。近年の映画であれば、それを正当化する人間を登場させたりするところだろう。だがそれをしないところが本作の良心であり、大袈裟に書けば人類の調和と平和への願い、夢が詰まっているのだとつくづく思う。挿入歌といった、現代でもポピュラーな演出が姿を覗かせるが、誰が突出したヒーロー、ヒロインといった配役ではない。いつもの東宝オールスターの面々が作品に雑味を加えず、映画に調和している。こんな作りの映画がまだまだ観たい。

『海底軍艦』(1963)の感想

『妖星ゴラス』と比べると断然ヒロイックな映画という印象。特撮の見どころが多い。それでも当時の世相、戦記物の流行りや、平和に対するスタンスがチラチラ顔を出すところがこの頃の東宝特撮映画らしいか。怪奇的な導入で映画が始まるのもお馴染み。それでも子供心には割と怖かった記憶がある。いつもは人類の味方、のようなキャストが悪役に回っていたりと、そういう観点からも楽しめる。神宮寺大佐やムウ帝国皇帝の存在感は、海底軍艦・轟天号に華を添える。

轟天号は特撮の見せ場もさることながら、やはりデザインが良い。本作のような特撮やアニメの作品でつくづく重要だと思うが、空想だからこそ、いかにも現実にありそうなリアリティが不可欠なのである。突拍子もない、奇想天外な見た目だけでは何とも醒めてしまうし、惹かれない。個人的に現代のロボット物にあまり興味が湧かないのもこういう理由からだったりする。

最後に本作は音楽も聴き物だ。この頃の録音はモノラルでも(故か)迫力に不足しない。主題の曲など、作曲者曰く”頭にドリルがついている”からこういう音楽になるのか、と感嘆する。

楽曲は近年フル・オーケストラの演奏でも素晴らしい演奏を聴く機会があるが、劇中での高揚感と作曲者の苦心が一体になった「海底軍艦 試運転3」のオーケストレーションは何故かコンサートや新録音で登場しない。ささやかながら、今後蘇ることを期待したい。

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