デジタルエンタテイメント断片情報誌

デジタルな話題もそうでない話題も疎らに投稿

記入もチェックもミスなく そしてナメない

進学や就職といった新生活を始めると、書類に記入したり、文書を作成する機会が増える。届出書、申請書、報告書⋯。何度も書き直したり、記入漏れがあって期日ギリギリの手続きになった経験もあるのではないだろうか。この時期そういった書類を頻繁にチェックしている向きもあるだろう。

これら作業を”事務”と言うのであれば、一時的、時期的な事務もあるし、生業としてずっと付き合う事務もあると思う。終わった途端、「もう当分やらないな」という事務も少なくない。

しかし今、時期や職種に関係なく、そんな事務に取り組まざるを得ない状況の人が多いのではないか。例えばこれである。

少し前にこの申請書の記載ミスが話題になった。それも申請者だけでなく、処理をする市区町村側でもミスが発生したそうだ。私はまだ手をつけていないが。


そのニュースを見かけて、ある本を思い出していた。正確には、普段仕事をしているときに度々思い出していた。ちょうど話題が重なった、というべきか。『「事務ミス」をナメるな!』(著:中田亨 光文社新書)である。

「事務ミス」をナメるな! (光文社新書)

「事務ミス」をナメるな! (光文社新書)

  • 作者:中田 亨
  • 発売日: 2013/12/13
  • メディア: Kindle版

流行りに乗った扇情的なタイトルだが、とても丁寧な内容である。個人的にはタイトルで印象を下げている気すらする。私も今回は記事タイトルに拝借したが。人々が携わるであろう様々な事務におけるミスを整理し、対策を提示し、実例を挙げている。


第1章の『人は「有能」だからこそ間違える』からして、人間の知的能力、処理能力だからこそミスは起こると説いている。勘や慣れ・経験は危険、というわけである。以下引用:

 消去法は素早い決断のためには非常に有力な手段ですが、我々はそれを過剰に使ってしまいます。明らかに間違った選択肢を排除すると、残った選択肢がさらに良く見えるという錯覚をするのです。

 人間は、繰り返し練習することで、難しい作業であっても巧みに素早くできるようになります。しかし、この能力が仇となって、ミスにつながることもあります。


またこの点に関して、論理の話題を絡めているのが大変得心が行く。以下引用:

【例題】
 友人が部屋の中に青いカバンを置き忘れたとします。あなたがその部屋へ行って、青いカバンを見つけたら、忘れ物として友人のところへ持って行くことでしょう。
 これは正しいのでしょうか?

先に論理の話題と書いたので、察しが良い御仁ならばすぐに「正しくない」と答えるだろう。「友人の忘れ物は青いカバン」だが、「青いカバンならば友人の忘れ物」とは限らない、である。


とは言え、日常ならば「ああこのカバンか」と何の疑いもなく持って行くところだろう。一々前述したような考え方をしていると周囲から「面倒臭い奴」と思われることもありがちだ。だがそこにミスの対策がある、と本書は言うのだ。少し話がそれるが、論理の切り口はこんなところでも役に立つことがわかる。

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こういったミスを防ぐための解決の道筋や具体例の中で、第10章の『氾濫する「ダメ書式レイアウト」』が痛快なので最後に紹介しておきたい。

内容は読んで字の如くだが、章冒頭から”劣悪なレイアウトが事務ミスを生んでいる”と断言している。2000年の米国大統領選挙の投票用紙を例に、伝統的に使われていた間違いにくいレイアウトや書式を無視したダメなレイアウトが氾濫しているというのだ。

そうならないよう、申込用紙やチェックリストの欄は書き込み順通り一直線にする、特定の部分が目立つようにポップアウト効果をつける。そんな基本を満たした優れたレイアウトの一例として、アメリカの税関申告カードを挙げている。以下引用:

 申告物品の有無を尋ねる欄では、「はい」「いいえ」のチェックボックスの横位置を揃えてあります。これならば「はい」のチェックの存在が非常に目立つわけです。係官はカードを一瞬見るだけでも、回答状況を把握することができます。


私が付け加えることは何もない。よく読まないと、申請する方も間違えて、チェックする方も「この申請内容でよいのか」と迷ってしまうような書式では⋯というわけだ。大体、希望”されない”方にチェックを入れるのではなくて、質問するなら「希望しますか? はい・いいえ」じゃないのか。

なにやら耳が痛くなってきた。明日は我が身だと思って、事務に勤しみたい。

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