アニメ映画『トゥルーノース』(公式サイト)が上映されていたので感想です。ネタバレは一応ありですが、詳細なあらすじ列挙ではなく、観ていればわかる程度の内容です。題材もさることながら、アニメーション作品であること、音楽にも期待して。都内で上映中なのは6/24時点で1館のみ(TOHOシネマズシャンテ)。私が鑑賞したときは座席間隔を空けての上映でした。
※東京国際映画祭のときの予告編。画像をタッチ・クリックすると動画(YouTube)が再生できます。
ちなみにTOHOシネマズシャンテのスクリーン3は傾斜が少ない座席配置なので、人の頭がスクリーンに被るのが気になる方はなるべく後ろの座席を確保するとよいかと。
作品と北朝鮮のこと
まず本作を楽しむために北朝鮮に纏わる知識がどれくらい必要かと言われたら、さほどハードルが高くはないと答えたい。私の体感では、「日常で北朝鮮にまつわる種々のニュースを知り、TV番組の特集をごくたまに観る程度」で十分楽しめるのではないか。それらの情報と推測しうる事態が本作を構成していると思う。
北朝鮮を知るに、今はネットを検索すれば”公式”サイトもある。だが、本作を楽しむに肩肘張って知識を収集することを強制はしない。まず日本で出版されている北朝鮮関連の書籍をちょっとでも漁れば一層興味深い、と書いておこう。
それには北朝鮮の動向もさることながら、北朝鮮の日常生活、物品に関する”ネタ”を仕入れておけば損はないだろう。観光を端初にそれらを読み解く書籍に面白いものが揃っている。現地を知るに、日本で行動しうる数少ない手段が観光とも言える。
入手しやすく読みやすい本で、バラエティ番組にも出演している宮塚利雄の本がコンパクトにまとまっている。90年代~2010年代の北朝鮮を取り扱っており、本作が如何によく再現しているかがわかる。
『誰も書けなかった北朝鮮ツアー報告』(小学館文庫)は90年代初期に北朝鮮を訪れた際の旅行記だ。朝鮮語・韓国語だけでなく、朝鮮半島の事情に通暁している著者の現地の住人とのやり取りは痛快だ。朝鮮半島の歴史紹介も適宜挿入されており、大変ためになる。食べ物の話題も多い。例えば本作に黒豆らしき豆類の入った粥が登場したが(主人公が母親に食べさせようとしたが拒否されたもの)、あれは白米が不足しているからという理由だけでなく、れっきとした朝鮮半島の料理だということがわかる。あの場面は主人公があれだけの食材をあの身分で揃えたことが驚愕なのだ。このスタンスで紹介する北朝鮮・最新版という趣で、『朝鮮よいとこ一度はおいで!: グッズが語る北朝鮮の現実』(風土デザイン研究所)がある。基本ひとつの見開きページにつき一つの解説である。こちらには「政治犯収容所」の話題もある。また現在の話ではないが、著者が韓国で留学時代に、持っている日本製ラジオで北朝鮮の放送が聞けると自慢げに話したら派出所に連行された話が出てくる。本作の序盤で思い当たる節がないだろうか。韓国と北朝鮮という観点からも興味が尽きない。
最後に日本以外の諸外国と北朝鮮という視野から提言している書籍を紹介しておく。『北朝鮮と観光』(著:礒﨑敦仁 毎日新聞出版)である。序章の「北朝鮮のイメージは世界共通ではない」からして、本作を深く考えるきっかけになるのではないか。日本の友好国であるインドを例に挙げた一文を引用しておく:
インドの核開発が日本国民全体として大きな問題として認識されないのと同様に、わが国にとって重大な懸案となっている北朝鮮の核・ミサイル開発や拉致問題は、北東アジアから距離を置く多くの国々にとっては些細な問題でしかない。外交における優先順位は各国で異なっているということである。
映画『トゥルーノース』の感想
当時の北朝鮮を象徴する映像を再現し、ドキュメンタリーに徹しているわけではない。平壌で交通整理をする女性など、知っていればピンとくる画もある。だがそういった再現や表現をマニアックに喜ぶだけではもったいない。また登場人物やその家族が収容所に入るまでを事細かに描写し追究する筋立てでもない。そこで繰り広げられている不条理や、奪われ失われた、そして失われなかった人間の尊厳について考える映画だと思う。
本作の「汚さ」の表現は凄まじい。実写に引けを取らない。これでも抑えているのかもしれないが、十分打ちのめされる。さらにこれが現実であれば、という想像が追い打ちをかける。これだけ真に迫った汚さを表現するためにアニメという手段を選んだのであれば大成功だ。音楽もけたたましくなく、暗く厳しく、そして場面に合わせ美しく、勇壮に奏でられる。
主人公の形容し難い収容所生活の合間に挿入される、和やかな瞬間や美しさの表現がいい塩梅を映画にもたらしている。ここに大袈裟でないフィクションが入ってもテーマはぶれたりしていない。たくましさなどと安直に書くのは躊躇するが、環境に適応し、受け容れたくないが受け容れてしまう人間の性を描くことを忘れていないからだ。そしてあのような環境にあっても花や星は美しいと果たして思えるのか、と自らに問いかけたくなる。
映画のストーリーにはカタルシスとちょっとしたミスリードを誘う仕掛けがある。これが前述のドキュメンタリーに終始しない、エンターテイメント要素として評価したい。映画ではTEDの講演会も効果的な舞台の一つだ。観客にとって、こんな世界を見せられたとて、ほとんどはこれ以上どうすることもできないだろうが、溜飲がほんの少しだけ下がる。そしてまた真顔に戻ることだろう。
自らの思想信条を表明するダシに賞賛・批判するでなく、作中のようにスタンディングオベーションするでもなく、深く静かに頷く作品ではないかと思う。他の映画にない、得難い余韻がある。