日常生活で、自分から見て先輩・年長者と言われる人たちと会話をする機会がある。昨今の状況から、そんな機会はだいぶ減ってしまったかもしれないが、バイト先・会社での宴席や各種レジャーの集まり、家族・親戚づきあいといったものだ。
そこで食事をしたり、一息つきながら交わす会話は、それなりに神妙な空気になる場合が少なくないのではないかと思う。相手はくつろぎつつも、その場を崩さない程度に「そうですね」などと、何となく相づちを打つ回数が増えていたりしないだろうか。
そんなその場限りの話の中に、ときに核心を突くような話題が出ることがある。学問的、科学的な根拠や背景はさておき、これまでの経験や周囲を顧みると「確かに」「流石わかってるな」と頷きたくなるようなものだ。
今回はそんな、語る側は何気なく語っていても滋味あふれる著名人の本の話をしたい。この手の本はスイスイ読めるので、他の読書が行き詰まったときに手に取っても具合が良い。また”語り手”の実績は折り紙つきときたものだ。
まず『細野晴臣 分福茶釜』(聞き手:鈴木惣一朗 平凡社ライブラリー)は、音楽の話題を中心に人生や生活にまつわる雑多な内容だ。音楽に興味があれば、ファンでなくとも得るところは多いのではないか。
- 作者:細野 晴臣
- 発売日: 2011/02/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
ご多分に漏れず、若さとは・老いるとは、という話題が本書では頻繁に登場するが、それには世の人々の様子を冷静に観察する目があってこそである。以下引用:
なかには頑固な人や偏狭な人もいるけど、そういう人は年のとり方を間違えたってことで、本来は自然に年をとれば知恵がつく。ところが最近の老人はちゃんと年をとれていないから。本人も自分を老人と思わずに若者になろうとする。年をとれないのが当たり前になってきて、世の中にも年寄りの境地ってものが用意されていないから、そのノウハウが途切れちゃっているんだ。
もちろん音楽の話は、一家言ある。そういえば最近音を出すエンターテイメントが煩わしいな、そんな実感が思い浮かぶ。以下引用:
大きな音が人に伝わるとは限らない。僕の経験では小さな音の方が、かえってみんな耳をそばだてるから。そこら辺からぼくの音楽のアプローチが変わってきた。
「静か」っていうのは、音楽として聴こえるっていうことだよ、音の塊じゃなくてね。いい映画を観てるみたいなもんだよ。いい映画には画面の大きさは関係ないからね。
モノをつくるっていうと、みんな「自分的」なものばかりつくるでしょ。ぼく自身もそうだったから、それはよくわかる。でも、自分が編み出したと思っていたリズムも、実は昔からあったもので、そのことがわかったときに、モノづくりっていうのは何かが自分を通して過去から未来に通っていくだけだっていう風に感じたの。つまり、自分がどこにいるかっていうことを知ることは、人間にとって大事なことなんだよ。自分が未来に何を残すかなんていうことよりもね。
そして「自由」と題して、制限・制約の醍醐味を簡潔に述べている。薄々感じてはいたけれど、やっぱりな、の一言ではないか。以下引用:
基本的に無礼講っていうのはつまらないんだよ。ものごとには完全な自由ってのはなくって、やっぱり枠ってものがある。どんなものでもそうだよ。
もう一冊、『アントニオ猪木 闘魂語録大全』(宝島社)を紹介しておきたい。今だ揺るぎない知名度を持つプロレスラー、そしてエンターテイナーの語録である。私は熱心なプロレスファンではないが、エンターテイメントの在り方を考える度に、その存在を強く感じようになった。
- 作者:アントニオ猪木
- 発売日: 2020/05/25
- メディア: 単行本
努力は当然と事もなげに口にし、そこから工夫し頭を働かせて、魅せ方を、プロレスを組み立てていることを分かりやすく伝えている。良い意味での”計算”を教えてくれるのだ。以下引用:
一生懸命努力し立ち向かいながらも、「俺がやってることは当り前のことなんだ」と思え。すると、当り前のことをやっているのだから、今ひとつ伸びないのは当然だ。人と違った努力をしなければ⋯⋯と、あれこれ工夫をするようになる。
プロレスのルールは曖昧だとよく言われる。リングの外に出ても、反則をしても制限時間内なら許される、と言うようなルールは他の格闘技にはない。そこに知恵を働かせる余地が生まれる。つまり、プロレスのルールは知恵比べのための道具なのだ。
一番足りないものは”感動”だろう。感動の与え方はいろいろあるが、観客にこびを売るのではなくて自分の手の上で踊らせる。言葉では簡単だが実際に行動に移すのは難しい。
また、エンターテイメントとしてのプロレスの立ち位置を語る視点も良い。この意識はアニメやゲームといったサブカルチャーも看過できないのではないか。
俺の場合、いつも戦いの対象が違っていたんだよ。プロレス内ではなくて、対野球であるとか、今なら対サッカーだとか。プロレスは、ある意味、劣等意識がある。新聞も扱わない。じゃあ、どうやったら扱うんだ、書くんだ。そういう戦いがいろんな場面である。
最後にこの2冊で紹介したいのが、「死」についての話題である。表現は違えど、根底には共通するものを感じる。以下引用:
不死の世界っていうのは、きっと苦しみの世界だと思うんだ。あらゆる生きものはみんな生まれて死んでいくわけだから、それに沿っていくのが一番の幸せだと思う。
(『細野晴臣 分福茶釜』 平凡社)
私は宗教家じゃないから、なんともいえないけど、死というのは素晴らしい世界だと思うね。みんなは悲しくしすぎるんじゃないかな。もうひとつの新しい世界というか、来世に向かって旅立っていくときは、もっと祝福すべきなんじゃないかって⋯⋯。
(『アントニオ猪木闘魂語録大全』 宝島社)
もちろん死の中には望まないものも、突然やってくるものもある。昨今、それを意識する機会が多くなった。だがその瞬間が訪れるまでは怖れず、怯まず、幸福を胸に試行錯誤して奮い立ちたいものだ。