ベルリオーズの幻想交響曲で、私イチオシの録音の話をしたい。
そろそろ”名盤”を記事タイトルにするのも慣れてきた。まあ元々「名盤」から「決定盤」、「推薦盤」に「特選盤」と百花繚乱でしたからね。このクラシック音楽愛好界隈は。私もご多分に漏れずそうなのですが。かと言って今更「名盤は一人ひとりの心の中に」、なんて話も野暮ったい。多様性といった常套句も、こういう記事を書くときくらい控えておこう。サブスクリプション隆盛のおかげで、聴くが早いですから。
狂気という平常心
この交響曲の成立過程をダラダラ書く気はない。そういう情報はネットに溢れているし、ディスクのライナーや関連書籍を読めばそれで十分だと思う。他力以前に、ある程度知っていることを前提にしたい。
それにしても、この楽曲、この音響の魅力は色褪せない。演奏精度や録音が少々怪しくても、解釈や音の面白さがカバーしてくれる。この目くるめく音楽絵巻は、入門であり、スタンダードであり、愛聴曲たりえると思う。作曲時のエピソードから、狂気やサイケデリックといった言葉だけで片づけるには惜しい。個人的にそういった話には、案外冷静に、素面で書いたのかもよ? などと水をかけたくなる。すました顔して、何食わぬ素振りで、こんな曲書いてやがる。意識的でも演じているでもない、その方が芸や才能を感じないだろうか。あるいは狂気も。今や真実は誰にもわからないし。
ディスコグラフィ
演奏頻度も、音源にも恵まれた楽曲だと思う。とは言え、いきなりミュンシュにクリュイタンス、モントゥー、あとパレー辺りを大々的に紹介では記事が埋もれるので、ちょっと工夫しよう。Spotifyにはちょっと珍しい音源もあったりして、嬉しい。鐘の音の話題に終始もしたくないところ。全部ステレオ録音。いやこの曲は、私はステレオで聴きたい。
まずはマイケル・ティルソン・トーマスがサンフランシスコ交響楽団と録音した旧盤(RCA)。新録よりも音の振幅が良いと思う。音楽の立体感を表現するのが本当に上手い指揮者。録音の好みもあると思うが、RCAに残した音源ではストラヴィンスキーやマーラーの第7番も聴き逃がせない。
隠れ名盤などと言われた時代もあったようだが、復刻され配信され、手軽に聴けるようになった。ディスクを血眼で探し⋯そんな時代が終焉しつつあるのだ。かくいう私はCDも持っている。キャハ。フレスティエ指揮セント・ソリ管弦楽団の録音(ACCORD)。これよこれ、という一気呵成の演奏。速いテンポに弾けるような管楽器、唸る低音、全て噛み合っている。
版の珍しさならば、スラットキン指揮リヨン国立管弦楽団の録音(Naxos)を聴いておきたい。こうして容易に聴けるのだから。そしてNaxosはまだまだ存在意義がある。第2楽章でコルネットのオブリガートつきの演奏を収録。こうして聴くと、華やかさは嫌いではないが、やっぱり最終稿のバランスかなあ。
拙いようで、ここぞという箇所の音響や、不思議な愉悦感が聴かせるヤンスク・カヒッゼ指揮トビリシ交響楽団の演奏(CUGATE CLASSICS)。第1楽章~第3楽章も美しいし、残りの楽章も生気ある。最近アニバーサリーエディションでCDが発売されたが、ちゃんと配信でも聴ける。オーケストラの所在、指揮者との結びつき、そういったものを憶えていった頃を思い出す録音。
どうせなら配信で聴けない音源を紹介しよう、ということで、まだメジャーな配信サイトで聴けないモントゥー指揮北ドイツ放送交響楽団の録音(DENON)。この潰れた野太いホルンの咆哮。SACDで出るかと思ったら出なかった。
ハレ管との録音だけで語り尽くせそうなくらいディスクが揃っているのに客演も面白い指揮者、バルビローリ。南西ドイツ放送交響楽団との録音(ica classics)。終楽章なんて、この言葉を使いたくはなかったが、まさにコブシが入っている。鐘はピアノを重ねていて、不気味さが増してグッド。この時代の録音としてはかなり良い状態で、オーディオ的にも嬉しい録音かと思う。
最後に新しめの録音ならこれが素晴らしい。ロビン・ティチアーティ指揮スコットランド室内管弦楽団(LINN)。室内管弦楽団だからこじんまりとした演奏かな、などと聴く前に疑った自分が愚かしい。編成の違いを感じさせない凄い迫力で、細部も聴いて楽しい。そのうえ録音は極上。ベルリオーズの演奏で、もっと話題になって欲しい録音。ちなみに演奏は反復ありで、SACDでも聴けるのがまたコレクター心をくすぐる。