デジタルエンタテイメント断片情報誌

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まずは問題集と読書術から 哲学入門に入門 序

哲学に入門したい。この世の思考や思想に改めて触れていきたい。学生時代の授業、あるいは教養科目として選択したことはある。興味は湧いた。それでもすぐに頭から抜け落ちた。その後試験のために勉強することもなかったと思う。いや、少ししたか。記憶も定かではない。

世情は一旦置いておいて、自分の生活は最近落ち着いてきている。ようやく趣味・余暇のために必要な時間を調整できるようになった。そこで思い浮かんだのが、考えたい、である。もっとも、そんな大上段に構えたいわけではない。こうしたブログの記事や文章の一つに、読書を通じた哲学の話題を遅ればせながら添えていこうと思う。


こんな風に書き出してみましたが、きっかけは些細なものです。哲学に関する書籍、とりわけ”入門書””優しい解説書”とされるものが書店に溢れているからです。昨今、特にビジネス界隈で教養・リベラルアーツの重要性が取り沙汰されている様子なので、「ははぁ、なるほど」と思ったわけです。

私はクラシック音楽を聴くのが好きなのですが、クラシック音楽界でも”入門”や”はじめてのクラシック”といった趣向の書籍やコンサートが繰り返し並んでいます。インタビューで「普及」を度々口にする演奏家もいます。ですが、日本でクラシック音楽が大流行、メジャーになったという話は残念ながら一向に聞いたことがありません。

要はまだまだ普及してないんでしょうね。入口でちょっとかじって終わり。その先がもっと興味深く、面白いはずなのに。あるいは入口に何か問題があったのかもしれません。「もういいや」と見切りをつけたくなる瞬間が。もちろんクラシック音楽特有の事情もあるでしょう。しかし、私はここに、書店に溢れる哲学書籍に、同じ匂いを感じたのです。目的は冒頭に書いた通りですが、これは確かめてみたくなるというもの。

そこで、いろんな哲学”入門”本を読んでみようというわけです。何回でも入口に立とう、というわけです。初っ端から険しいスタート地点がいくつも用意されているときもあるでしょう。本の紹介はこれといった体裁を決めず、数冊選んで短評を並べるときもあれば、一冊のときもあるかと思います。

哲学入門に入門 序

大学受験用の問題集

今回は序ということで、読書するにあたっての準備の話。まず、基本をおさらいするため学習問題集に取り組んでみましょう。参考書をただ通読するより、解答も考えた方が思考を鍛えられて一石二鳥かと思います。解答の解説がなるべく丁寧なものを。多分新しい版でも書き込みのないものが投げ売りされていると思います。テストを受けるわけではないので、知らなかった箇所、間違えた箇所を調べて適宜繰り返しましょう。

また、大学受験の問題集をやることによって、今学校で教えている内容の確認もできます。学校教育、学校は要・不要かの議論が盛んですし、哲学の話題にも大いに絡みそうですから、多少なりとも知っていて損はない、いや知っておくべきでしょう。

ちなみに問題集の構成で目についたのは、

  • 西洋哲学だけでなく、東洋哲学についても一定の項を割いている
  • 日本の思想史・哲学史とその人物をちゃんと取り扱っている

この辺りは今後本を選択する際の参考にしたいところです。

”読書術”を読み直す

次に哲学の本を読む前に、読書術の古典を改めて。『読書術』(著:加藤周一 岩波現代文庫)。これを読んで読書をして本が書けるようになった人物が、また”読書術”を書いているのだろうな、という本です。種本、というやつですね。

優しい語り口ですが、著者の例えや体験談も実感がこもった、説得力のあるテクニックが満載です。新聞や雑誌、書評の使い方といった具合に広く言及していて、一言で言えば慧眼です。

中心となる”おそく読む「精読術」”と”はやく読む「速読術」”の話題については、道具を使ったり、眼の動きを早くするといった話に終止しているわけではありません。幅広い読者に当てはまる、現実的、実践的なものです。以下引用:

読み通すことのむずかしい本であればあるほど、一日に少しずつ読む工夫をたてる必要があります。

そして、それとは別に、もう少しはやく片づけることのできる本を、何冊か並行して読んでゆくということになります。


哲学の本を読み始める際に心強い内容もあります。以下引用:

私はできるだけ辞書を使うことにしています。たとえば哲学の本を読みはじめたときには、たびたび哲学辞典を参照しました。したがって、はやくは読めなかったのですが、そうして五年もたつと、おのずから辞書を参照する必要が少なくなってきて、同時に私の読書は、五年前とは比べものにならぬほどはやくなりました。長い目でみれば、結局そうしたほうが時間の経済になったと思っています。


一方で”むずかしい本を読む「読破術」”では、難解な本への取り組み方を丁寧で詳しく解説していく中で、読者にも然るべきことは要求しています。続きが気になったらこの章は各自読んでもらいたいです。以下引用:

むずかしい本を読んで、いや、そもそも本を読んでよくわかる工夫は、読者の側にもなければなりません。その読者の側の条件は、第一には言葉に関し、第二には経験に関しているといってよいでしょう。

”経験”はもちろん読書の経験、だけに限りません。ここが寛容なのです。


また”「読破術」”では、現代にも通じる、とても耳が痛い内容が載っています。有名な箇所かもしれません。以下引用:

ところが、字面にばらまかれた「かたかな」が、なにやら抽象的な概念を意味しているときには、それがほんとうになにを意味しているのかを決めることは、ほとんどつねに、たいへんむずかしいのです。「アンビヴァレンツな感情」「問題意識のアクチュアリティ」「中村真一郎におけるドゥンケルなもの」など。

ここ最近で、話題にもなりましたが、毎日のようにみかける「かたかな」で思い浮かぶものがありませんか。あるいは社会人なら職場で、仕事で、どうでしょうか。


本書は元々1962年刊行で、当時は高校生へ向けてベストセラーになるべく書いて、実際にベストセラーになった本だそうです(あとがきより)。私が読んだ限り、平易な表現で途中で詰まることはありませんでした。古典、という位置づけや出版社の印象で敬遠する向きがあれば、大変もったいないです。著者もあとがきで、”面白そうな本を読みつくすことは誰にもできないのです”と書いていますが、こういう本との出会いに感謝しつつ、哲学入門したいと思います。

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