デジタルエンタテイメント断片情報誌

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年末に生きる糧

休みたいと思っていても用事や仕事がある。休んでも何かと忙しない。余暇のはずがくたびれる。この時期は大体そんなことを思い浮かべる。

わざわざこの12月に色々と集中させなくても⋯分かってはいても、毎年繰り返していないか。


そんなことを考えながら、『成功する人は生姜焼き定食が好きだ 』(著:笠井奈津子 晋遊舎新書)という新書を流し読みしていた。ちなみにこの手のタイトルの本は敬遠しがちなのだが、個人的に好物である生姜焼き定食の字面に負けてしまった。さらに成功”する”人であって、”している”人でもない。私が該当するかどうかは問題なさそうだ。

本書は働く人の食生活、特に忙しい人向けの食生活ガイドである。タイトルほど煽った内容ではない。むしろタイトルで損しているかもしれない。そこは安心して欲しい。

読んでみると「忙しくて朝食が取れない」「食生活のバランスはわかっているけどラーメンも食べたい」⋯そんなごく自然な悩みに栄養士兼食事カウンセラーである著者がアドバイスする内容だ。解消方法は無理なく、それでいて現代人に必要な栄養素を補給できるように工夫されていて、「今度の昼は参考にしよう」と実践したくなる。

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ここまでの内容だと他にも種々の本があるのだろうが、本書には食事と心・人の係わりについても触れている項があり、これが平易な等身大のアドバイスで得心が行った。

それはあるエピソード紹介から始まる。以下引用:

以前、あるクライアントに「生きる意味がわからない。死ねる食べ物を教えてほしい」と聞かれ、言葉に窮してしまった経験があります。


著者が答えに窮するのが頷ける質問だ。だが、ここで著者のエピソード紹介が続く。以下引用:

ある男性からこんな話を聞いたことがあります。普段は東京で暮らしている彼が、年に1回だけ泊りがけで訪れる京都の老舗料理店があるそうです。「一見さん」は入れない店で、彼は亡くなった伯父さんの紹介で「お客さん」になることができました。もちろん、びっくりするほど値は張ります。ごく普通の会社員である彼にとってはまさに「年に1度だけの贅沢」です。
「大好きな伯父さんが教えてくれたあの店に行くたびに、なぜかすごく元気になれるんだよ」と彼は言います。


明快な回答を打ち出しているわけではない。いや、打ち出せない質問だからこそ、質問者に、読者に考えさせる回答なのである。その地に足がついた導き方が良い。以下引用:

追い立てられるように多忙な毎日を過ごし、ともすると心まで疲れ果ててしまいがちな彼にとって、年に一度でもその店に通うことは「生きていることの確かめ」なのかもしれません。

これは食事に限らない。日々の生活や行事予定の中に、ほんの些細なことでもよいので、活力となるもの、「これを楽しみにしてるんだよ」と言えるものを見出しておけば、「死ねる」「死にたい」「死んでも構わない」といった感情に辿り着く前に選択肢が増え、また消えずに済むかもしれない。


例えばこの年末である。「仕事終わりに同僚と労い合う」「帰宅時に寄り道して気晴らしする」、できそうなことからでいいと思う。休みや娯楽にしても、「午前中は掃除をして午後は知人と外出する」「選りすぐっていた映画を観る・ゲームをする」、特に時期的なものなら「第九を聴きに行く」「コミケに参加する」まで⋯身近で自身に結びついたことで構わない。そんな思いは誰にでもあると願いたい。

なぜなら、それらが潰えたときに、人は前述の感情から極端な行動に走ったりするのではないだろうか。ならばささやかでも意義ある動機づけがあればよいのではないか? 今年を振り返ってそんなことを思った。


これが月並みで平凡なことを書いている、であって欲しいのだが。

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