デジタルエンタテイメント断片情報誌

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ノンアルコールと読書とその他の趣味

家で楽しむ趣味が増えた。増やした、でもいい。休みの外出など最小限にして、外に出るのは仕事と、ついでの用事だけにしたい。そんなことが、ようやくできるようになってきた。まだ先はわからないが。

成人して家の楽しみを増やすと、これまで興味がなかったことをやってみようか、という気になる。飲酒である。ところがこれがいけない。もともと酒など飲まないくせに調子に乗ると、もう他のことをする気が起きない。何をやってもだるく、眠くなる。将棋やゲームなど、ヘロヘロである。読書だってそうだ。

それに比べて、今回記事タイトルを少々拝借した『ビールと古本のプラハ』(著:千野栄一 白水社)では、なんと旨そうにビールと付き合いを楽しんでいることか。そして古本収集。目的の本を求めて古本屋を行脚し、「この本は東京なら~」と値踏みし、内容だけでなく珍しい表紙や装丁の本に惹かれてつい購入する姿は、彼の地で革命前後も変わらない楽しみだったことを伝える一冊。


ここまで洒脱でなくとも、どうにか趣味を楽しみつつ、酔わずに酒を嗜む格好はとれないか。


そこで”革命”というほどセンセーショナルではないが、最近「これは」という飲み物に目をつけている。ノンアルコールビールである。

最近のノンアルコールビールは、飲める。出始めに試し飲みして以来、味の記憶が止まっていたが、もう「ビールとも何ともつかない味」ではない。アルコールが入ってないとわかっているから、少々あおってもなんともない。これなら本を読みながら、ゲームを遊びながらでも大丈夫だ。

ビールの製法過程ままに、アルコールだけ抜いたというヴェリタスブロイは納得の”ビール”味。わざわざネットや取り扱い店で買い求める人がいるだけある。

一方、こちらも評判の龍馬1865はそうでもなかった。後口で突き刺さる感じが、どうも「やっぱビールじゃない」と呼び戻される。苦味を表現しようと苦心したのかもしれないが、方向性が違うと思う。


この2つでなくとも、大手のものが十分飲めるレベルにある。オールフリーは「からだを想う」のほうがビールに近い味わいだと思う。さしてからだを想ってはいないのだが。

アサヒビールのドライゼロは何も知らずにキンキンに冷えたものを飲んだら、スーパードライと正直区別がつかないかもしれない。人気の理由がわかった。

一方零ICHIは一口目の「一番搾り」再現度は良いのだが、飲み干したあとの違和感が惜しい。

「ラガービールっぽさ」ならば、またアサヒの紹介。トクホのヘルシースタイルはスーパードライのようなキレよりも、ビールの旨味の再現に注力しているようで感心した。手に入れやすく、「ビール」を楽しんだ気になる一本だと思う。


ノンアルコールのリンクばかり並べて、これでも素面である。もはや「若者の酒離れ」と言われるほど若くもないし、元々「離れ」と言われるほどくっついてもなかったが、こんな酔狂な楽しみがあるとは。いや不酔狂かな? 

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