デジタルエンタテイメント断片情報誌

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邦画と特撮、アニメに寄せて 映画『空の青さを知る人よ』

10/11公開『空の青さを知る人よ』の感想です。予告編を映画館で何度か観て、楽しみにしていた作品の一つ。ネタバレはあり。ストーリーを詳細に書いたりはしませんが、観た人には分かる体裁かと思います。

予告編を観たのもあって、スタッフ等の名前は知っていましたが、公式HP含めて事前の下調べなし。

※画像をタッチ・クリックすると予告編(YouTube)が再生できます。

ただ、予告編で内容をあらかた喋っている様子なのが少し気になりました。これ以上何かあるのかしら、と。そんな不安すら跳ね除ける作品なのだろう、そう考え直して公開を待ちました。

映画『空の青さを知る人よ』の感想

予告で見た想像通り、冒頭から音楽に見せ場がある。だが音楽活動そのものが作品の柱となり、鍵になる作品ではない。少ないメインキャラの動向を追っていけばいい。バンド活動と仲間、その過去と現在といった要素に留意していると、拍子抜けすると思う。

予告で知っていた上に、序盤で親を作品から”消す”ことに別段驚きはない。アニメに限らず、ドラマの常套手段だ。ただそこから導かれる境遇や状況という点で、目新しさもない。残された者の感情の機微についても、作中で示し・仄めかし・明かされていくが、想像の範囲といったところでさほど感慨深いものではない。

そういう家族愛、姉妹愛の一時的なすれ違いと帰結に加え、高校生と大人という二人分、または異なる時期の憧れ・夢と現実を描きたい。そこで幽霊もの・ファンタジーの要素を用いた人物を一人登場させて、二人分の働きをさせる。恋愛でいう、初恋・失恋もやりたかったのだろう。ついでに各々が成長しても、大人になっても失わなかった実直さもか。これらを意図として感じることがあっても、残念だがそこまで深くキャラクターに、作品に没入することはなかった。

登場人物の背景から心情まで、何もかも説明してくれというわけではない。そこは鑑賞していく中で読み取るし、読み取りたい。ただそのための人物造形、そしてメインキャラを取り巻く環境や作中の道具、イベントの存在意義がどうも弱く、終始おざなりに感じた。

前述の音楽要素からして、本当に添え物だった。どうして音楽を続けているのか、続けたのか、音楽祭というイベントがありながら、序盤のいざこざの場面として起用されただけである。演歌歌手の存在意義もなし。キャラクターを補填し、説明する要素たり得たはずなのに、もったいないし、メインキャラの楽器ができる設定に意味を感じなかった。月並みだが、それこそ音楽によって、台詞でなくとも、画でなくとも過去と現在が交わったり、繋がったのではないか。そこを大方の場面で会話劇によって済ませたのは口惜しい。プロと素人、そして大人の酸いも甘いもだって、もう少し表現できたのではないか。本作の描写では、表層的な、「世の中あるある」で終わってしまったように思う。

メインキャラに関わる本筋がその調子の上、同級生や年下の顔馴染みといったキャラクターも活きていない。これなら登場させなくても大差なかったのでは、という印象だ。少なくともメインキャラを多面的に、立体的に見せることはできなかった。特に高校の同級生については、別に学校で音楽活動したい相手がいなくても構わないが、音楽以外で交流し、気の置けない存在くらいこさえてもいい。男女どちらでも良い。学校を忌み嫌うような場所として描くのは結構だが、教師の些細な描写含めて本作は妙に一面的で、表現として巧くなかった。


そんなふうに周囲を固め、結局メインキャラ3人(4人)の設定をただ振り回すだけで終わったので、鑑賞していて感情的な振幅のない、こじんまりした作品に映った。それが作品タイトルを示唆するものだとしたら、陳腐に尽きると思う。姉妹を語るにしても、男女を語るにしても、浅いと思う。

そこにきて、エンディングは蛇足の一言。本作のような作品では想像の余地でよかったのではないか。もっとも私はそこまでの魅力を本編に感じなかった。ここでも音楽要素の存在意義のなさが露呈しているのが悲しい。作品の余韻ではなく内容の確認に、機会があればもう一度くらいは自宅で観直すかもしれない。


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