デジタルエンタテイメント断片情報誌

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映画『ジョーカー』に寄せて

10/4公開『ジョーカー』の感想です。ネタバレありです。ただ時期も踏まえ、詳細なあらすじ紹介やストーリーの核心に触れたりはしていません。観た人がわかる程度の内容に留めたいと思います。

事前情報、知識としては映画『バットマン』(1989)以降の『バットマン』シリーズ(実写)を観た、程度です。1966年版も観た記憶はありますが内容は憶えていません。アメコミ等も特に読んでいません。

※ストーリー編(60秒)の予告。幸いなのか、実は予告もほとんど観る機会がなかった。画像をタッチ・クリックすると動画(YouTube)が再生できます。

鑑賞にあたってのQ&A

これまで公開された『バットマン』シリーズは観ておいたほうがよいですか?

本作を観るにあたって、過去のシリーズの知識は必須ではないと思います。ただ大まかでも『バットマン』の設定を知っていることが前提の作品です。特にバットマンと、舞台のゴッサム・シティについては。

R15+指定作品ですが、その辺りの描写はどうでしたか?

残虐な描写はあります。ごく当然のようにあります。ただ画面上で殊更に強調しているかというと、少し違うかと思います。そこは演出で察するような処理もあります。ただ苦手な方はいるかと思います。個人的にはそこまで刺激的ではありませんでしたが、この指定については妥当かなという印象です。

映画『ジョーカー』の感想

バットマンの宿敵、ジョーカーが生まれるまでを描く映画。敵役が主人公になった興奮よりも、いかにアイツが狂わされ・狂ったか、そんなものを鑑賞前は期待した。

とても古典的な、正攻法で紡がれた作品だ。家族を軸とした過去の因縁、真実の混乱、自身の境遇と憎悪⋯そこにファンタジー要素はない。現実と虚構、妄想の入り組ませ方は巧みだ。ド派手なアクションもなく、あくまで起こりうる行為に過ぎない。まるで探偵物の真相編を観ているようなテイストだ。

ただ、それ故に肩透かしを食った印象も否めない。バットマンのアンチテーゼたるジョーカーのカリスマ的な魅力、その片鱗を感じる台詞や行動の演出はあるものの、少し「人間」として描くことにこだわり過ぎたのではないか。

まず人間としての行動を基調としすぎるせいか、かえってストーリーが山場らしい山場もないように感じてしまう。そしてハッとするような心象風景を見せられるわけではないので、序盤から終盤まで度々登場する階段も、ジョーカーの変化を象徴する場所としては正直弱かった。メディア含めたゴッサム・シティの住人についても画一的な描き方で、ジョーカーの魅力に寄与していないのが何より残念である。表裏一体の危うさを、住人だけでなくジョーカーからも減退させてしまったように思う。


『ラ・ロシュフコー箴言集』(二宮フサ訳 岩波文庫)という、今だ人の心理の奥底を暴き続ける古典がある。

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫 赤510-1)

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫 赤510-1)


その中にこんな箴言(しんげん)がある。以下引用:

19 われわれは皆、他人の不幸には充分耐えられるだけの強さを持っている。

464 世の中にはわれわれの感受性を絶する極度の幸と不幸が存在する。


ゴッサム・シティの住人がジョーカーに対して作中より過剰で過激に反応し、扇動されれば面白かった、というわけではない。

そんな反応よりもっと怖いのは、もっと狂っているのは、ジョーカーがどんな行動をしても、どんなに人が殺され死んでも、誰も、何もかもが大した反応なく無関心に日々が流れていくことではないのか。昨今の世相を見渡すと、そんな気がしてならない。


そんな無関心でいられなくなる恐怖・狂気を、映画の内外でもう少し醸し出して欲しかった、味わいたかった、というのは少し贅沢か、いや病的なのか。その点で私にとって『ジョーカー』の狂気は、ラストまで許容範囲内でした。


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