デジタルエンタテイメント断片情報誌

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自称:詩を書く

詩というのは難しい。

はてなブログに「ブログチャレンジ」という、ブログ使いこなしチェックリストがある。躍起にならずとも更新していけば自然にチェック項目が埋まっていくだろう、と思いつつ、時折使っていた。項目も今見ると基準が甘く、お寒い感じのものもある。


そんなリストだが、どうも意識しないと達成できない項目があり、いい加減それを埋めたくなってきた。それが今回の記事の目的だ。


まずひとつ目、「ルー語で記事を書く」というのがある。いきなりアレでしょ? 多分ネタでも今後はやらないと思う。

今や、便利なルー語変換サイトがある。これを使って一文変換する。

というわけで、もうセンテンスだけマイセルフでシンクアバウトすれば、後はこのマシンでコンプリートだ



次に、「詩を発表する」というチャレンジ項目がある。冒頭で書いたとおり、これが難しい。

たまにブログの文章自体が詩のようになっている人がいますわな。こんなふうに:


今日はいい天気

外出しちゃう

お気に入りの靴で


書き出すと文章が長くなる傾向にある自分にとっては、無縁の形式だと思っていた。だがこういうのって、実は才能なのかもと、このチャレンジ項目をひねっていて少し唸ってしまった。私がやると本当に戯言でしかない。


自分で詩を考えると、「公表するだけのエピソード」が自分にないことに気がつく。こんなところで発表したところで「???」である。まして詩を認め合うような同好の仲間、派に属しているわけでもない。スポンサーもいない。

そんなことを本棚整理したときに出てきたアントニオ猪木の詩集を読んで再認した。ブラジル渡って、力道山に弟子入りして⋯もう”降参”である。

猪木詩集「馬鹿になれ」 (角川文庫)

猪木詩集「馬鹿になれ」 (角川文庫)



だが詩でないのに、詩のように迫る文があったので、これを少し意識したい。百鬼園先生の『餓鬼道肴蔬目録』(がきどうこうそもくろく)である。

内田百けん (ちくま日本文学 1)

内田百けん (ちくま日本文学 1)

戦時に食べるものが少なくなり、せめて記憶の中から美味いものを、と食べ物の名前を列挙した目録である。冒頭を引用すると:

さわら刺身 生姜醤油
たい刺身
かじき刺身

こんなふうに食べ物が延々と並んでいる。これが食の多彩さと切実さで食べ物が並んでいるだけなのに、腹にも胸に来るものがある。

この域は無理でも、こういうのにオチを入れてお茶を濁そう。オチを入れないと気がすまないのよ。じゃあ書いて終わりにしよう。

「注文」


トンカツ定食
ご飯少なめ
ビールは一緒に


店員はビールを先に
ご飯は普通盛


まあいいかの一口

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