デジタルエンタテイメント断片情報誌

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モーツァルト 交響曲第41番ハ長調 K.551「ジュピター」の名盤

モーツァルトの3大交響曲の中から、第41番ハ長調 K.551「ジュピター」のこれは、という録音を紹介したい。

”名盤”というのは少し大げさだったか。どうもクラシック音楽界隈では「名盤」、「決定盤」、「推薦盤」に「特選盤」、といった確固たる自己主張とお墨付きで録音評をする風潮があったのね。私自身、今でも検索のときはそんな単語をつい検索ワードに加えちゃう。

しかもリンク先で並べている”名盤”も先人が褒めちぎっていた録音ばかりだったりして⋯。まあこれは趣味の問題ですから、ね。

でも今回はなるべく、そういう名盤とは、少し違う盤を並べておこうと思います。録音も意識してステレオ録音を。聴いてみたらモノラルでびっくり、もさせたくないので。

どういう演奏が好みなのか

ズバリ現代のオーケストラによる、弦の厚みを感じる、一定の推進力がある演奏。穏やかさよりも、ある程度整然とした中に、キレが欲しい。そこに指揮者の個性的なアゴーギクがハマっていると尚嬉しい。

古楽器や室内楽的なアプローチを否定はしないが、私は鳴らしに鳴らした録音が要は好きなのです。そこにどっぷりと浸りたいのです。それが近年の録音だと案外楽しめなかったりする。

ディスコグラフィ

セムコフ指揮ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団の録音(PNCD 494 A-D)。いきなりこういう手に入れにくい、配信でもなぜか聴けない(2019/8時点)録音を挙げてやろう、というのが今回の趣旨なのだ。検索して辿り着いて、いきなりワルターにクラウス辺りの紹介だったら、「またかぁ」ってなりません? いや、悪くはないですがね。奇をてらっているだけ? ワハハ。
tower.jp

セムコフはポーランドの指揮者。有名ソリストが演奏する協奏曲の指揮者として、またシューマンの交響曲全集(VOX他)が知られているかと思う。このモーツァルトが典雅な解釈で聴ける。オーケストラの状態も良い。録音の影響もあると思うが、弦の主張が著しい。第1楽章から厳しく入り、第2、第3楽章でも音楽を緩めない。そして終楽章でさらに爆発させる。
セムコフが一気に好きになって、晩年の録音(チャイコフスキーやブルックナー、マーラー、シューベルト)を聴き漁るきっかけになった録音。


ポーランドの指揮者からもう一人。ヤン・クレンツ。この人のモーツァルトも良い。ポーランドの指揮者が演奏するモーツァルトはアタリ、みたいな自分だけの法則になりつつある。残っている録音の傾向がセムコフと似ていて苦笑。シェリングやグリュミオーの伴奏指揮者(実はこの書き方はあまり好きではない)ね。

tower.jp

まだ存命な様子で、晩年の晩年にひっそりと発売された録音がモーツァルト(PRCD 891-892)。2004年の録音。これが素晴らしかった。オーケストラの雄大さに、音楽の振幅。決然とした第1楽章、これが緩いと私はがっかりしてしまう。たっぷりと優美な第2、第3楽章。そして終楽章はしなやかでいて、音楽が鳴動しているという⋯。せせこましさを感じない演奏。現代でこういう演奏が聴けるんだなと感激。


メジャーレベール聴いてないんでしょ、などと思われるのも癪なので、ここでカラヤン指揮ベルリン・フィルの録音(DG)。何なら配信ですぐ聴けちゃうご時世なんで⋯。いい意味でギンギン、ゴリゴリの録音。この頃はレガートよりも、オケの能力をまざまざと見せつけた演奏のように思う。それがモーツァルトを演奏するとどうなるかというと、音楽にねじ伏せられるような快感がある。CDで聴いて以来、モーツァルトはそうこなくっちゃ、と思い続けている。EMIの録音よりも私はこちら。


ヴァントがRCAに残した三大交響曲集のジュピターも良い。録音は明晰で、オケの音を隅々まで捉えている。その上にオーケストラをヴァントがまとめ上げて、広がりのある演奏に仕立てている。テンポ設定も絶妙。現代のオーケストラが演奏するモーツァルトとしては最高峰だと思っているのだが、指揮者とともに少しずつ影が薄くなっている気がする。


ジェラード・シュワルツがロサンゼルス室内管弦楽団を指揮したジュピターは、鋭利な、キレキレの演奏。全楽章を通じて、一気呵成という言葉がよく合うと思う。ちょっと衝撃だった。室内管弦楽団だからといって、弦の厚みにハンデは感じない。今や配信で聴けるが、CD時代にアタリだと思った録音のひとつ。


ボールトはイギリス音楽だけの指揮者ではない、と残された録音を聴く度に思う。このジュピターもそう。終楽章の躍動感。終結部の追い込み。古臭いなんてとんでもない。後期交響曲をステレオで全部録音して欲しかったくらいだ。



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