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帝王でも君主でもありませんが、『貞観政要』の君主論に学ぶ

特段素性は公開していませんが、私は所謂やんごとなき身分ではありません。やんごとなきの定義・認識は色々ありましょうが、学校で学ぶ日本史・世界史や国語の資料集に名前が出てくる人物もしくはその血縁でもないし、偉業を打ち立てた一族郎党がWikipediaに載っているわけではありません。ましてや事件・事故を起こしても特別扱いされてると疑われるような⋯⋯まあこれは書かなくてもいいか。真相不明だし、そこまで鬱屈もしていません。本当?

わざわざそんな書き出しをしなくてもいいのでしょうが、競争の究極に殺し・殺されるという選択肢がなくなった現代社会で「帝王学」や「君主論」ってどう役立てるの? などと漠然と考えていたら読むのが遅れた古典があります。『貞観政要』(著:湯浅邦弘 角川ソフィア文庫)です。

紹介するのは岩波や講談社学術文庫みたいに学問的要素が強くなく、かつビジネス書然としていない優しい体裁のもの。最初に平易な日本語訳、原文の順でとっつきやすいです。

他の記事でも書いたのですが、毎年この時期になると社会人心得や仕事関係の書籍を漁っており、どうもそれらの「ネタ元」や種本を探ってしまいます。要はそれらの本に感銘を受ける前に「どっかで同じようなこと書かれてないか」「先人の誰かが言ってたんじゃないの?」となってしまうのです。ネットの検索で身についたクセかもしれません。


『貞観政要』でまず注目したいのは、この本にでてくる各種登場人物・エピソードも既に中国の古典(『論語』等)を参照している点。いやあ私と考えることが一緒ですね、というのはおこがましいですが、人の営みが繰り返されている気がします。それを咀嚼し、当時の状況に生かし、用心しているかが分かるわけです。実践例なわけですね。そのため、後々の歴史を辿ると一層感慨深い。

例えば王(太宗)と長男(李承乾)の話などがそうです。子供の育て方をいろいろ実践したけど、結末は? 成功例が並べ立てられがちなビジネス書とは、やはり一線を画するものがあります。興味があれば各自調べていただきたいです。


また「用心」という言葉を出しましたが、このスタンスがとりわけ良い。警戒・慎重と言っても差し支えないでしょう。全編を通じて、帝王学とは用心が肝要なのだ、そんな印象なのです。

ある時、優れた人(人材)を得る方法として、太宗が「自薦」(我こそはと名乗り出てもらうこと)を思いつくのですが、臣下に反対されるのです。

他人を知ることはそれ自体すでに難しいことです。自分自身を知ることは、実にまだ容易ではありません。さらに、暗愚の人は、みな自分の才能や善行を誇りがちです。[自薦させれば]おそらくは澆競(ぎょうきょう。乱れ競う)の風を助長することでしょう。自薦させるべきではありません。
(『貞観政要』P.141-142 角川ソフィア文庫)

著者の言う、当時(唐代)の「まだまだどうなるかわからない世情」で自薦を認めれば、どこぞのどんな目的のある輩共が殺到してしまうやもしれない、ということです。自薦の手軽さとともに危険性に警鐘をならしているわけです。

冒頭で書いた話ではないですが、ネットの世界、SNS等々で様々な意見の発言・発信、閲覧が容易になりました。ニュースの本質や事実関係よりも「反応」を楽しみにしてしまう向きもあるでしょう。私自身もそれを否定しません。様々な人々が「ああしろ・こうしろ」「〇〇では?」「〇〇が正しい・悪い」と主張し、中には自身の経験・経歴から声高に主張する向きもあります。

もちろんそういった主張をする人々を「暗愚の人」などとは言いませんが、それらの話を鵜呑みに、あるいは手当たり次第に反応する行為は果たしてどうでしょうか。それらをちょっと引いた目線で伺い、冷静になるためにも役立つ話ではないかと思います。


この他いろいろ、君主論というよりも、普遍的な考え方の一つとして胸に納めておきたい古典です。

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