デジタルエンタテイメント断片情報誌

デジタルな話題もそうでない話題も疎らに投稿

「それって、○○ってこと?」という問いかけが頭の中でせめぎ合う

意見や相談、説明から感想・考察、そして賞賛と非難等々、何かしらの会話・議論がネット上の各種SNSや掲示板で日々繰り広げられている。ここ、はてなの界隈でも同様だ。

そのやり取りに参加することは基本的に、ない。ネットが一般化してきた昨今、自分が考えていたことを他の誰かが既に発言・発信していることが多いし、どうしても自分の主義・主張に流れを持っていきたい話題というものが、正直言って、ないのだ。多少皮肉を書けば、そういう商売もしていない。

それに発言・発信する際は自分なりに整理し、調べる時間が必要になる。大げさだが「考えなしに」はなるべく避けたい。気楽な会話ですら、「わざわざ必要ないか」と思い留まるくらいである。それでも何か発したければ、ブログで書き連ねるのが自分の性に合っているというのもある。


そんなやや消極的にも思えるネット利用をしながら会話・議論を眺めていると、どうも引っ掛かる問いかけが割って入ってくる。


「それって、○○ってこと?」という問いかけである。


会話の中で相手の言っていることを反芻し、また要約して確認すること自体は必要だ。特に社会生活では誤認識を避けるため、「基本」として教えてよい位だと思う。

だが、ネット上で一連のやり取りを「なるほど」「ふむふむ」などと読んでいる最中に「誰かが」この問いかけをすると、一瞬思考が止まってしまう。そして大体において”〇〇”の中身は見当はずれだったり、当を得ていなかったりするのだ。話題が”脱線”することもある。

「いや、そういうことじゃない」「どこをどう読んだらそう受け取れるんだ?」という疑問が浮かび上がり、挙句の果てに「自分の読解力がおかしいのか」と自分を責めてしまう。そして本来の話題から興味を失い、それ以上追わなくなくなる。有り体に書くと、疲れてしまうのだ。

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こんな具合に、自分にとって厄介だったこの問いかけだが、正月に古書を買い漁っていたら思わぬところで解決の糸口を見つけた。『いつやるか? 今でしょ!』(著:林修 宝島文庫)である。

いつやるか? 今でしょ!

いつやるか? 今でしょ!


どうせ一時の人気者が書いた本だ、と決めつけて過去に一瞥したきり読んだことがなかった。古書で投げ売りだったので、「読みもしないで決めつけるのは・・・」と思い直して読んでみた。すると項目「24 相手に伝わる言葉を探せ」における説明がとりわけ明快で、この問題にピッタリだった。著者の地力と、人気が一時でなかった理由がよくわかった。以下引用:

わかるということは、相手の脳のなかでイメージがちゃんと広がって、相手が「ああ、そういうことなのか」という状態を作り出さねばなりません。そのためには、相手の脳のなかに、そういうイメージを広げる「グッズ」が揃っているかどうかを注意深く見極める必要があるのです。


(『いつやるか? 今でしょ!』P.131 宝島文庫)

先の話に照らすと、自分にとって「グッズ」が揃っていても、「それって、○○ってこと?」と問いかけた人物には揃っていなかった可能性があるのだ。さらに引用:

 特に年をとってくると、自分にとって絶対自信のある説明や、説教をいくつも人は携えるようになります。ところが言われる相手はどんどん変わるものですから、同じ言葉を発しているのに、以前のような効果が得られない-そんなとき「今どきの若いモンは」など言いがちなのですが、そういうときこそよく考えてほしいのです。

 自分は本当に「伝わる」言葉を使っているのか、と。

 これは世の中の変化のなかで、少し時代からこぼれかかっている自分を見直すいい機会でもあります。


(同 P.133)


ネットには様々な人間がいる。自分にとって住み慣れたネット世界でも、まだまだ全員がそうとは限らない。そのやり取りの中に、自分に、相手に対する理解はあったか? そんな当たり前の視点を提示してくれた上に、最後の一文で自戒まで促されてしまう。


発言・発信は頻繁な方ではないが、知らないうちに時代に取り残されていないか、今一度見つめ直したい。

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