デジタルエンタテイメント断片情報誌

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生誕110周年・ショスタコーヴィチ交響曲全集を聴く 第9回 交響曲第9番

2019年最初のショスタコーヴィチの話題は、新生メロディアがショスタコーヴィチの生誕”110”周年を記念して発売した交響曲全集ボックス(10枚組 MEL CD 10 02431)から、交響曲第9番の話です。ちなみにこのボックスは、音楽配信サイトSpotifyでも無料配信されています。Spotifyに限らず買って後悔よりも、試しに聴くなら配信サービスが便利です。

(2023/7追記:各種リンク、目次や見出しを追加・修正)

2020/7追記)MelodiyaがSpotifyなど、サブスクリプションでの音源配信を停止した様子。※NMLのニュースも参照。お試しも終わってしまうとは大変残念。
2020/9追記)と思ったら、この記念ボックスはSpotifyの配信が再開されている。今ならお試しできます。※NMLの配信停止は継続。

・序のリンクはコチラ
・各交響曲へのリンクはコチラ:

「第9」との付き合い方

時節柄、年末の記事にねじ込もうと一瞬考えた。「第9」は「第9」でも、ベートーヴェンばかりじゃ飽きるでしょ、と。年が明けてからは「おせちもいいけど⋯」という具合に書いたらどうだろう、と考えた。しかしそんな、甘くてバレバレの変化球は今更投げるまでもないだろう。既に世間でもそれをわかっていてか、年末にこの曲を演奏する団体もあるし、マーラー、ブルックナーの”話題”を選ぶところもある。

ならばこの曲の作曲背景や曲の性質も、通り一遍な話題は避けるべきか。肩透かし、期待はずれ、ショスタコーヴィチの意図や如何に⋯。仲間内や初演時には好評だったという話の真偽は? 交響曲第9番は、またしても後続の曲についてくる”名誉回復”という話題のダシなのか? 

ショスタコーヴィチがどんな気概で作品を生んでいたか、その一端だけ引用して、ディスコグラフィといこう。以下引用:

 作品を創造する作曲家自身は、その筆から生れる結果にはきわめて厳しい態度をとらなければならぬ。したがって作曲家は、自分の作品を印刷に付したり舞台にのぼせたりするまえに、そうしてもいいかどうか、十分つとめをはたしたかどうか、発表に価するよう力のかぎり才能のかぎり努力したかどうかを考えるべきかもしれない。
(『ショスタコーヴィチ自伝』P.172 訳・ラドガ出版、発売・ナウカ)

世界でこれほど演奏され、録音され、”古典”として生き続ける曲を生み出した人間ですら、こんな謙虚なことを言うわけだ。第9番はもう少し正面から向き合って、聴かれてよい。

ディスコグラフィ

記念ボックスには、ロジェストヴェンスキー指揮ソビエト国立文化省交響楽団の演奏が収録されている。交響曲第1番辺りを思い出して一瞬期待してしまうが、個人的にはやや期待はずれのチョイス。第1番でハマっていた解釈がどうも合わないのだ。いつものつんざくような音色も、やや空元気というか、「こんな音出しときゃショスタコーヴィチの音楽に聞こえるだろ?」と言わんばかりの印象だ。そして時折管楽器の反応もだらしなく感じてしまう。同コンビが交響曲第4番の演奏でみせた、透徹感もない。また室内楽的な魅力を求めると、音の鳴りがやや遠い上に独特な残響が耳につくのはマイナス。

(2020/7追記)Spotifyにはスタジオ録音の音源はない模様。1982年のライブならある(Brillantのボックスに収録されていた音源)。クソッ。

(2020/9追記)記念ボックスはSpotifyの配信が再開されたので、今ならスタジオ録音もライブも楽しめます


イマイチといえば、このボックスに度々登場しているコンドラシンが指揮したアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団とのライブ(PHILIPS 438 284-2)もあまり良くなかった。同じくレア盤、そして名盤扱いされている同コンビの第6番もそうなのだが、オケの状態がよくない。こなれていない演奏と素人が聴いてもわかるキズに少々萎える。低音部がやや貧弱な録音も残念。

Symphony 3

Symphony 3

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そこにいくとスヴェトラーノフ指揮ソビエト国立交響楽団の演奏(Zyx Music他)は統一感のある解釈で聴かせる。早目のテンポに大柄な演奏なのだが、手を抜いているようには聴こえないのだ。室内楽的な魅力も良いが、こんな演奏もアリだなと思わせてくれる。録音は1970年代後半にしては時代がかった印象だが、鑑賞には何の問題もない。初演者ムラヴィンスキーの録音も現存しないことだし、これをボックス収録していれば。

(2020/7追記)スヴェトラーノフの音源はアンソロジーでちゃんと配信音源が聴ける。同じくスタジオ録音の第6番(!)とのカップリング。


アシュケナージ指揮ロイヤル・フィルの演奏(DECCA)が、解釈・録音ともに聴かせる。アシュケナージも少なくなってきたショスタコーヴィチの伝導師の一人なのだが、日本における”指揮者”としての評価に引っ張られているのか、未知の録音にまで悪印象を持たれている気がしてならない。
ダレないテンポ、ここぞというときに胆力のある鳴りを要求する解釈に満足。ロイヤル・フィルの特性を引き出している。退屈な演奏には決して聴こえない。第3楽章~第5楽章が特に聴かせる。

Symphonies

Symphonies

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バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの旧版(CBS録音)。特に第2楽章で顕著な、重く沈んだ解釈。そしてクライマックスに向けての躍動感。「らしい解釈」という評以上に、交響曲第9番を読み込んでいるように思う。後年のウィーン・フィルとの比較はもちろん、バーンスタインのショスタコーヴィチで今一度注目すべきはこの演奏ではないのか。バーンスタインの第5新旧、第7の新録音より好きな録音。そうそう1965年録音なので、『証言』(1979)前・後の解釈についての話題が気になる御仁にもオススメ。気にしないから書くな? と言って欲しいなあ。


次回は交響曲第10番を:

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