今の日本でゴジラの「顔」というと、どの顔を思い浮かべるのだろうか。
やはり最近ヒットした映画「シン・ゴジラ」の”第4形態”だろうか。
それとも原点として語り継がれる1954年の”初代”だろうか。
はたまたTOHOシネマズのシンボルとなっている”平成ゴジラシリーズ”が親しまれているか。
ちなみに私が思い浮かべるのは『三大怪獣地球最大の決戦』『怪獣大戦争』の頃である。
ゴジラの話題はまだまだ尽きない。評判は芳しくなかったがアニメ版が昨年完結し、ハリウッド版の新作が今年公開予定だ。未確定だが日本でも制作の雰囲気が漂っている。
そして2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは、個人的に開・閉会式辺りで何かしら登場する予感がある。
そこでふと、慣れ親しんだゴジラの「顔」のことが気になってしまったのだ。
映画の『ゴジラ』シリーズでは制作の都合もあり、毎作ゴジラの顔(造形)が異なってきた。それを(私含めた)ファンが喜び、近年は制作側もウリにしてきたフシがある。
そんなゴジラを例えば「これが日本のゴジラです」と世界に紹介するとき、ゴジラはどんな「顔」をしているのか。
誤解を恐れず書けば、ゴジラを”映画スター”として考えた場合、現在活動中の日本人の中でゴジラに匹敵する世界的な知名度・人気を誇る役者はどれだけいるのか。残念だが、せいぜい数えるほどだと思う。そして生きている役者であれば、衣装の違いや(重ねた年齢による)風貌の変遷は許容されるだろう。
だが作品世界で永遠にその姿を保つゴジラではそうはいかない。ゴジラという”存在”が「思っていたゴジラと違う」「これじゃない」という反応が内外で起きては口惜しい。また、ゴジラですら世界で確固たる知名度を保っているわけではないことも念頭にある。
一体ゴジラをゴジラたらしめるものは何なのだろう。
年末に家の掃除をしていたら、この話題にちょうど良い本が出てきたので読み直した。『怪獣人生~元祖ゴジラ俳優・中島春雄~』(著:中島春雄 洋泉社新書y)。元祖ゴジラ俳優(スーツアクター)である著者の語る半生である。復刊された新書が手に入れにくく、旧版がまだ新品で入手できるという変な状況の一冊。※2020年追記:残念だがどちらも入手しにくくなってしまった。
- 作者:中島 春雄
- 発売日: 2014/08/06
- メディア: 新書
- 作者:中島 春雄
- 発売日: 2010/07/16
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
著者のゴジラ観は職業然としていて、淡々と、率直に語られる。そこがまた、映画人として飯を食ってきた凄みのように感じる。
まず、作品ごとに顔の造形が異なるゴジラについても明快だ。以下引用:
これに限らず、ゴジラは作品ごとに顔が違うね。ファンはこのゴジラの顔が好きとか、よく話題にするよね。僕はどれが好きってのは、あまりないね。ただ、ゴジラの顔はいつも同じの方がいいんじゃないかって思っていたよ。自分が入るんだから格好がいい方が嬉しいのは当然のことだよ。
(『怪獣人生~元祖ゴジラ俳優・中島春雄~』P.132 洋泉社新書y)
1950~70年代当時の東宝の映画スターを思い起こせば、なるほど、同じ顔(格好いい顔)で写真やポスターに並んだ方が良いというのは得心が行く。ただ前述の通り、今やゴジラに並ぶ映画スターがいなくなってしまったことが、少し寂しい。
ならば気を取り直して、ゴジラを”ゴジラ”たらしめるものは何か。それについてもサラッとヒントを残してくれている。以下引用:
「真似しなかった」
それだけだね。憧れるのはいいよ。僕の作ったものを大事にしてくれるのは嬉しいよ。でも、僕は、自分で考えて芝居を作って欲しいね。(中略)
ゴジラはまた出てくるだろうね。同じゴジラだからって、どこかで昔のゴジラを真似しているうちは、いい映画はできないんじゃないかね。
(『怪獣人生~元祖ゴジラ俳優・中島春雄~』P.282 洋泉社新書y)
やはり既存のゴジラの顔でどれが良い、という話で収まっていては、”ゴジラ”にならないのだ。造形に留まらない、オリジナリティを追求してこそなのだ。これは映画に限らないのではないか。映画が総合芸術と呼ばれて久しいが、今まさにその総合芸術たる真価が問われているように思う。
これから生まれるであろう、そんなゴジラに、もし2020年東京オリンピック・パラリンピックで”日本の顔”として会えるのならば、密かに楽しみにしたい。