デジタルエンタテイメント断片情報誌

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SpotifyとNMLでクラシック音楽 その11 秋とブラームス

配信サービスで音楽を聴いていると、「こんなのもオススメ」というアーティストや音源が表示されますね。あれは悪魔ですね。ちょっと気になってリンクを辿っていくと、ジャンル関係なくピンとくる曲があって、しばらく音源漁りしちゃいます。

人のオススメなんか聴かない、という御仁もいるのでしょうが、音楽の好みはともかく聴くきっかけ自体はやはり何でもアリなんだよなあ。

CD・レコードのコレクターの中で、今だ配信サービスを意地になって「使わない」という向きを見かけますが、個人的には両方使うと今まで以上に散財できますよ、という勧め方をしたいです。ただの実体験ですが。

冬の気配も感じますが、記事タイトル通りのお品書き。

秋といえばブラームスなのか

「ドイツ3大B」のうち、今までこの記事でやっていなかったブラームスの話をしたい。しかも何やら、秋といえばブラームスだそうではないか。「ドイツ3大B」も学校知識の上に、なぜ秋にブラームスなのだ? 根拠は? 出典は? 記事のタイトルにしたものの、秋とブラームスの話題を安易に結びつけるのは、眉唾ものではないか。

そんな具合に、わざわざ私の書いた記事なぞに辿り着いた奇特な方に喧嘩を売るような書き出しを考えていたら、興味ある指揮者がラスト・コンサートでブラームスを採り上げていたことを思い出した。作曲家でも芥川也寸志が「ブラームスの一番を聴かせてくれないか」という最期の言葉を残している。

もしかして「秋=終わりへの入り口」なのだろうか。いやそれもまた論拠に乏しく、飛躍し過ぎだろう。ここは心穏やかに、彼らが選んだブラームスの魅力を再確認しておきたい。

ブラームスの音楽は魅力的な要素が多い。メロディの歌わせ方、拝借の仕方も耳に馴染む。交響曲においては華やかさや哀愁よりも、ふくよかで濃厚な佇まいが印象に残る。もっとも、それが私にとっては「聴きたくない」理由になるときがあるのだが。ジャンルで言うならば、協奏曲が聴き物だと思う。個人的には、ソロ楽器よりもオーケストラの演奏・伴奏が聴きたくて協奏曲を聴いている次第だ。今回はその辺りを軽く。


どうせ最初は交響曲の話題をしたかったんでしょ? ああそうですよ、ということで全集を。好きなの聴いてください。いろいろ聴けるから。

それではナンなので、ショルティ指揮シカゴ交響楽団のブラームス。シカゴ交響楽団の弦に魅力を感じる。作為的でない解釈に飽きが来ない。

趣味全開でヘルビッヒ指揮ベルリン交響楽団。本当はマズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団も紹介したかったのだが、Spotifyで見つけられなかった。旧東独録音、オケ名に惑わされてはいけない。ヘルビッヒの解釈は颯爽とした現代的なもの。第3番に惹かれる。

CDを買おうとすると、なぜか市場では価格がこなれていないクーベリック指揮バイエルン放送交響楽団。Spotifyなら無料から。包み込むような独特な雰囲気の録音に、クーベリックの歌い上げるような第1番の解釈が濃い。


ブラームスのヴァイオリン協奏曲とヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲。どちらも聴きたいときはヴァイオリン:ユリア・フィッシャー、チェロ:ダニエル・ミュラー=ショット、クライツベルク指揮オランダ・フィルの演奏。演奏・録音共に旬を聴くなら。

二重協奏曲では、ヴァイオリン:カガン、チェロ:グートマン、カッツ指揮ノヴォシビルスク交響楽団の演奏が渋い。LiveClassicsの音源もSpotifyに登録があるんだなあ(楽章のピックアップ配信の音源あり。残念)。シベリアのカラヤン、誰が言ったのか知らないが、カッツの指揮が巧い。ソロを盛り上げる演出としては、スヴェトラーノフ指揮ロシア国立響の伴奏より好き。

編曲されたブラームスを聴く

どうしても現代音楽の話題に結びつけたい感アリアリだが、ピアノ四重奏曲第1番(シェーンベルク編曲版)。最近新譜や演奏会でも耳にする機会が増えた気がする。きちんと調べていないのだが、著作権関係か。
新録も目白押しだが、ちょっと珍し目のヒルシュ指揮ユンゲ・フィルの音源。第3楽章が声楽のような響きを醸し出していて、まあ不思議。

今年8月の新譜。速攻で聴ける配信バンザイ。ケネス・ウッズ編曲・指揮のピアノ四重奏曲第2番! シェーンベルク編曲の第1番のような、管楽器・打楽器によるド派手な大管弦楽曲への変身、という印象はなく、リヒャルト・シュトラウスのソナチネのような穏やかさが耳に残る好編曲だと思う。


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