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戦争と生き方 『「ゴジラ」とわが映画人生』に寄せて

本多猪四郎(1911-1993)という映画監督がいた。『ゴジラ』を始めとした多くの東宝特撮映画で監督を務めた人物だ。最近ヒットした映画『シン・ゴジラ』や『パシフィック・リム』の話題でその名前を見かけた・知った人もいるだろう。

その本多猪四郎が生前残したインタビュー集が新書で復刊されている。『「ゴジラ」とわが映画人生』(ワニブックスPLUS新書)は、本多猪四郎の生い立ちから映画に関わるまで、『ゴジラ』(1954)や『地球防衛軍』といった特撮映画作品や映画のことを語った一冊だ。

元々1994年に刊行された本である上に、既に復刊から時間も経っているので、ある程度内容は世間で語られている。特に映画を作るスタンスや黒澤明との関係から、特撮映画ファン以外からも注目されたのではないか。


ただ、この本の話題であまり取り上げられない、触れられない内容がある。本多猪四郎が戦争体験について語った内容である。

招集され当時の満州で軍隊を経験し、最後は中国で足かけ8年従軍した本多猪四郎の語る戦争は、戦争に対して否定的でありながら、とても現実的だ。

戦争なんかで死にたくない、そんな当時の心情を繰り返しながら、淡々としていて共感できる等身大の内容なのだ。自身の思想やイデオロギーを仄めかしたり、誘導するような言葉もない。それが現代で極論や煽情的な発信をされがちな「戦争」に対する恐怖や不安よりも、生や死の本質を突いているように思え、胸に迫る。

 しかし、だからといって、軍の勤め方はね、これはぼくの生き方なんだけど、その状況に行ったら、やることに関してはなげやりにしたりしない。これはという本当の思想をもって戦争反対というのとは違うんですよ。
 平凡な人間として生きているだけですからね。あの当時、それだけのことでやって、また、本当に反対の気持ちでいたら、多分死んでいるでしょう。

(「ゴジラ」とわが映画人生 P.203 ワニブックスPLUS新書)


射撃の記章を持ち、戦場経験があった本多猪四郎は、その経験を糧に軍隊生活を過ごす。下士官として教育するときも、いい加減なことはしない。むしろ実直さが滲み出ているのだ。

 それから、右にならえとか、敬礼はどうするとか、三ヵ月目、半年目と新兵を教育しますね。それもちゃんとしましたよ。戦争に行くときには規律を身につけていないと絶対に危ないんだから、死なないために、そういうことはしなさいと。走っていくときにはモタモタ走っちゃ駄目だと。走らなくちゃいけないから。それは死なないために走ることなんだからね。自分の身体はいつでも健康にしておかないと、病気になって死んだり、弾丸に当たって死んだりするんだから、そこはピシッとしてくれと、誠心誠意、教育っていうとおかしいけど、人間的に付き合ったよね。
(同 P.204)

だから、日常の軍隊生活に入ってまで、死にたくないから戦争は嫌だという気持ちをハッキリもって軍隊に反芻していたら、ぼくは一日も生きてられなかったと思うわけよ。
(同 P.206)


戦争経験と後の映画作りの関連性、といった話は安易にしたくない。

ただ本書を読めば、黒澤明を補佐して若い俳優に指示するエピソードや、撮影依頼があれば積極的に受け、ひとつの製作条件の中で作品を仕上げていく本多猪四郎の姿が、上記引用からも窺い知れるのではないだろうか。その点を含めて見逃せない内容であり、本書の魅力として心に留めておきたかった。

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