デジタルエンタテイメント断片情報誌

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邦画と特撮、アニメに寄せて 18/4/22週 鳥

今週から1ヶ月位、扱う邦画は”特撮”映画が多くなるかもしれません。元々邦画を看板にしているのは、特撮映画を話題にしたかったこともあるのですけどね。当サイトの場合、連載記事は他の記事との連動・関連も狙っているので、もし一般の邦画に関する記事目当ての御仁がいたら、ご容赦を。自意識過剰だよなあ。

今回は鳥づくし! のお品書き:

特撮:帰ってきたウルトラマン(テレビ神奈川)

第16話「大怪鳥テロチルスの謎」、第17話「怪鳥テロチルス 東京大空爆」では鳥の怪獣、始祖怪鳥テロチルスが暴れます。今夜のテレビ神奈川(毎週日曜、22時30分~)だと今週・来週放送分です。ウルトラシリーズの鳥怪獣と言えば、強敵。

大怪鳥テロチルスの謎

大怪鳥テロチルスの謎

ご多分に漏れずテロチルスもウルトラマンを目潰しするわ、スペシウム光線2回くらっても平気というタフさです。こういう時にキチンと前・後編エピソードをやるから、怪獣の強さが一層印象に残るんですよね。そして最近ではMXで放送中のレオもそうでしたが、ちょっと恋愛絡みのエピソードもありという、盛り沢山の内容です。

特撮・邦画:怪獣大戦争(1965)

というわけで、完全に特撮だろという感じですが、『怪獣大戦争』(1965 カラー作品・上映時間1時間34分)です。

怪獣大戦争

怪獣大戦争

あらすじ:木星に13番目の衛星、X星が発見された。調査に向かった富士とグレンは、そこにキングギドラの脅威にさらされたX星人がいることを知る。彼らはギドラ撃退のために、ゴジラとラドンを借りたいと訴えた。だが二大怪獣にコントロール装置を埋め込んだとき、X星人はギドラを含め、三体の怪獣を使って地球征服に乗り出したのだった・・・。
映画 怪獣大戦争 - allcinema:映画データベースより)

人類中心のドラマとゴジラシリーズを路線統合した作品。前作『三大怪獣 地球最大の決戦』の続きにあたりますが、特に『怪獣大戦争』から観ても問題ないです。昨今、初代(1954)の登場背景や外見をリスペクトする風潮があるように思いますが、『モスラ対ゴジラ』以降顔が安定し、動きも素軽く躍動感のあるゴジラの姿は、忘れて欲しくないゴジラ像の一つです。

ゴジラを始めとした怪獣も大暴れしますが、中心は怪獣を操るX星人と人類の攻防を描くエンターテイメント作品であり、その集大成とも言える出来栄えです。伏線の活かし方が近年のゴジラ作品よりハリウッド調で、何気ない描写が後半重要な鍵になるのは痛快です。大人の鑑賞にも耐えうるドラマに、子供が観ても楽しいゴジラの動きや自衛隊の攻防、私のゴジラシリーズ一押しです。

アニメ:『ダーリン・イン・ザ・フランキス』第15話

そう言えば、『怪獣大戦争』の作中でX星人がゴジラ、ラドンを呼称するときは、「怪物01(ゼロワン)」、「怪物02(ゼロツー)」なんですよね。ラドンは翼竜の怪獣ですよ。まさか01の正体は・・・制作会社的に、あってもおかしくないか。

とまあ特撮ネタにかこつけて、ノリで楽しく観てきた『ダリフラ』なのですが、ここ数話はチョット真面目に観なければ「???」みたいなことも多く、窮屈な感想を強いられていて今更ながら苦笑。文章もすごくダリフラ、じゃなくてダラダラ気味。

前回の感想で14話から新エピソードなのか、みたいなことを書いたんですが、15話で区切るんすね。話の区切りとしては、7~14話はどうも1~6話に比べてモタついた展開が多かったように思う。特に8、9話あたりは気になった。その辺りは今後挽回となるのでしょうか。

では15話の感想。作品タイトル含めた文字の演出は、印象的な効果・必要性を正直感じなかったかな。たまに入っていたシネマスコープみたいな演出も、画面のインパクト含めてそこまでは、というもの。全話通してみたときの仕掛けにしても、印象が薄いでしょう。演出箇所を憶えている自信もないな~。

さらに演出の話をすると、今話のOPの使い方はあまりテンション上がるものではなかったです。歌の良し悪しでなく、曲調と画面のミスマッチが主な原因だと思う。

前話で大規模で厳しい戦いだと緊張感を強いた割に、いつもと変わらぬ指揮命令系統の様子。何だか戦闘場面は度々肩透かしされている気がする。第13部隊も戦闘はこなれたのものだが、それ故に「いつもの戦闘」みたいなイメージも払拭できなかった。26部隊の最期も、正直思い入れある部隊でもなかったし、彼らが「コドモたちの知識」として自爆をどう捉えているか測りかねるので、必要だったのかなと思う。作品が倫理観、死生観の謎をまだ引っ張っているからねぇ。

登場する叫竜も、数の多さとサイズのデカさ以外に取り立てて面白味もなく、またしても期待はずれ。うーむ。8話放映時に「くだらねえ」と思ったスーツを溶かす叫竜よりも、無個性なタイプばかりとは思わなかった。ウルトラマン好きとしては、手強くて面白い叫竜なら1体でも大喜びするのになあ。


そして何より作中の、観ていて「これは」というイベントや仕掛け(になりそうな事項)が15話で思ったより機能しなかったのが残念。話の構成としても、6話と同じような展開で、既視感が漂うものだった。
特にデルフィニウムにイチゴとヒロが乗る・動かせる展開は、作中を通じたかなり大きなイベントに昇華してもよかったはずなのに、もったいない。作品の売りでもある、フランクス・コックピットの仕組みに係る部分でもあり、序盤の話や雰囲気を活かしきれなかった感が強い。

まず率直には、2話で歩くのがやっとだったペアが、途中リンク切断もなく難なく動かせたことに疑問が残る。「互いに一連の戦いで経験を積んだから」などといわれると、それこそナオミが報われないだろう。これも過去に書いたが、それなら予備のピスティルとして部隊に残って調整しても良さそうだ。

ここは「ヒロがゼロツーを想っていて、それでも今の状況からイチゴと2人で動かすんだ、そのために一瞬、一時でも心重ねた」という演出を強め、ハナシに織り込んでおかないと、ヒロがあれだけイチゴに気がなくても「あっさり動くんだ」という感想しか出てこない。その仕掛けとしては、14話や今話の出撃前の描写も機能しなかったといえる。

例えばパートナーの思考が読めるなら(※余談だがゴローの思考は今まで読み取れなかったのか? うーん)、ヒロがイチゴの思考を読み取れてもよい。そこに2話や6・7話、9話に14話や15話を活かす。パートナーの在り方としては、11話もか。やっぱイチゴ絡みだと多いな。いっそ14話のイチゴの行動の理由だけでもいい。しかし、それでもゼロツーを選ぶのなら、ヒロから言葉を発するなり、伝えることでイチゴとの関係に決着をつける。それができることも一つの心の重なりだ、というわけね。

これでヒロにとって何のわだかまりもなく、イチゴは本編以上に潔く、また溜飲も下がるわけですよ。その上で、ゼロツーを救うためにフランクスを一緒に動かすんだ、その二人の心情がひしひしと伝わってきたら、バリバリ動いても納得かなと。もの凄い決意と悲壮感で動くデルフィニウムですよ。

それをやらないのなら、プレゼントした鏡の描写に、ラスト付近のヒロ・ゾロツーの再会と台詞の応酬も、それこそ14話でミストルティンを離れる直前(すれ違うところ)くらいにねじ込んで解決でよかったんじゃないかなあ。15話はヒロとゼロツーで出撃ね。そうそう、「ダーリン」という言葉の種明かしも予想通り過ぎて凡庸だったかな。隠さずとも13話で明かしておいて大差なかったのでは。

そんなこんなで、また新たなステージを予感させつつ、1週空けて後半戦ですか。ゆったり、サクッと楽しいことが書きたいものですね。

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